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気ままな感想・考察ノート。基本的にネタバレです。
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異形が生まれる葦名のメカニズム解明の前に、仙峯寺について考察が溜まってきたので整理しました。

「葦名で超常の力を用いて何かをしようとしていた」組織ではあるので、今後の指針とかになるはず(多分…)

 


 

仙の気配

 

仙峯寺の特徴といえば境内を埋め尽くすような紅葉、そして異形の蟲憑きたちである。

 

 

 

前回考察を前提とすると、蟲憑きは滝を飛び降りられる肉体を得た、源の宮から追放された者であることと予想した。

そして源の宮の「京」は不老不死、仙道の地であったと考えた。「仙」の文字は隻狼界では重要キーワードなのは周知の通りである。

これら考察を元に仙峯寺をもう一度見直すと、ある仮説が浮かび上がった。

 

それは、実は仙峯寺は仏教ではないのではないかという疑いである。

では仙峯寺の功徳と修行は何のためなのか。

 

それは仏ではなく神仙への道、即ち道教ではないかと現段階では予想している。

以下にその理由をまとめてみたい。

 

 

仙道に至る教え

 

道教とは大陸由来の宗教であり、ごく簡単に述べると仏陀の悟りや輪廻転生ではなく、

個人が修行により不老不死のスーパーマン「仙人」になろうという教えである。

 

特に仏を敬うということはない点、境内の仏像が埃を被っていたり池に棄てられている事実は不思議ではなくなる。

 

また以前も触れたが「蠱毒」「巫蠱術」という虫を使う技術を道教は持っている。仏教にはそれに類するようなものは見当たらない。

加えて蟲の効能は周知の通り、輪廻転生より不老不死に近い。

 

さらに以前の考察で道玄、道策、道順は仙峯寺の関係者として薬物研究を行っていたのでは、と予想した。

こちらも仏教にはそのようなものはないが、道教には伝統的に不老不死に連なる薬物「金丹」を追求する薬師の教えが存在する。

(そう考えると末弟子であるエマの服装や髪型は、女性道士「坤道」の姿に似ているように思われてくる)

 

そして拳法もまた、仏教だけではなく道教にも存在する。

有名な少林寺拳法などの外家拳に対する内家拳、こちらも高名な太極拳である。

 

不老不死の仙道を求める者とは、死なずの求道者と言い換えることができるのではないか。

 

道教を前提とした各要素の見直しは突飛なようでいて、筋の通ってしまう点の多さは無視できない。

しかし確実に「仏教でしかない」ように見えるポイントもあり、それをどう考えるかが次の課題ともなる。

 

 

 

仏か仙か

 

「寺」と呼ばれているのは何故?

 

通常、道教の施設は「道観」と呼び「廟」「堂」や「院」、「宮」とも呼ぶが「寺」とは呼ばない。

しかし「かつて寺だった道観」を「○○寺」と呼び続ける例は現実にも僅かながら存在する。

仏教が道教に勢力的に押され始めた時代に見られた模様である。

 

 

天井の端が反るのは渡来風、大陸風の建築様式である。そして大陸風ならば、仏寺であれば黄色のはずであり、赤色は道観の色なのである。

紅葉の色も何かを現しているのかもしれない。

 

 

・本堂に本尊の如来が存在するのは?

 

ふつう道教は仏を崇めない(神仙は崇める)という点から如来像が最重要位置に存在するのはおかしいが、

「蟲憑きの修行者たちは源の宮から来た」という前提に立つとこの像は別のものにも見ることができる。

 

 

仏像として見なければ、これは偉大異形な一人の女性とその多数のコピーの像である。

これは先の考察における水生の御初代と、そのクローンであるオカミたちを崇める神仙群像、というのが真相ではないだろうか。

 

つまり不老不死の実現、源の宮への回帰を願うためのオブジェクトという可能性である。

(幻廊も高所の楼閣、中央付近の大木、さらに高所からの滝、と源の宮と共通する構成要素でできているように見える)

千手は人の手ではなく、桜の枝の表現なのかもしれない。枝として見ると、像全体の印象は大樹に見えなくもない。

合掌姿は恐らくは魂鎮め、水生の御初代の仕事姿なのだろう。

 

水生の神主は、これを割り拝み

魂鎮めを役目としていた

 

 

 

・五重塔に鎮座しているのは?

 

洞の奥、五重塔には仁王と思しき武張った像が安置されている。不動明王ならば仏像だが、道教ならば仏像信仰はない。

しかし本来は右に剣を持つはずが、なぜか左右が逆になっている。

 

 

これは左右逆なのではなく、もともと左に剣を持つ像と考えると、ある候補が浮かぶ。

 

托塔李天王という道教のメジャーな神がある。西遊記などで有名なバトルマスター哪吒太子の父である。

それは小さな法塔を持つ姿の武神であり、

大切な塔を右手に持った場合、武器を左手に持つ武神という珍しい姿で表現されるのである。

 

塔も剣もなく坐像であるが托塔李天王を現したものであると推定した場合、他の放置仏像と異なり崇拝を受けていた形跡も自然なものと考えることができる。

(なお大量に存在する地蔵についても、道教においての立場が明確にあり、冥府の王の一角ということである。)

 

 

これらのように強引ながら道教でも解釈できるものもあるが、しかしどうしても説明しようがないものが以下のように残る。

逆に考えると、選り分け残ったこれらがピースとなりパズルを構成するのかもしれない。

 

・遺棄や放置されているとはいえ仏像がある

・拳法の起源が「仏敵を討つ」ためである

・両界曼荼羅と護摩壇が隔離設置されている

 

これらはある事実と結びつけて考えることで答えとなるように思われる。繰り返しになるが、建物の名称は「寺」を引き継いでいる点である。

 

この仙峯寺は、今や御仏の教えより外れた場

 

だが今や、仙峯寺は死なずに囚われた

 

つまり仙峯寺はかつて仏寺として建立されたが、現在は不死の仙道を探究する道教に乗っ取られたような状態にあるのではないだろうか。

らっぱ衆と僧形の拳法使いは、裏切ったか雇われたかした者たちであることになる。

(ムジナは仏教徒のままであるのか、子の墓は寺外に置いている)

 

いまでは死なずの探究の手足である

 

 

その場合、かつての「寺」は、護摩壇の場所だけがいまだに生き残っているということになる。

蟲憑きではないミイラを護摩壇近くに並べているのも、木や石を掘る力を失った仙雲和尚が仏像を欲しがった結果だったのかもしれない。

 

 

狂えども、信じ続ければ、見えるものもある

 

曼荼羅と護摩壇を用いる真言密教において即身仏は、一個の仏像なのである。

 

 

 

仙峯寺の過去

 

拳法は道教にもあるが、仏敵を討つ仙峯寺拳法の起源は、明らかに仙峯寺黎明期、仏教時代であるだろう。

 

己の身一つで仏敵を打ち倒すためには、

拳と法、どちらも欠けてはならぬ

 

己の身ひとつで敵を倒さねばならない理由とはそもそも何か。

それは鎧武者の武装、即ち鉄器を用いることの出来ない相手であれば理屈は通じる。

拳法を用いる想定の仏敵とはもしかすると「落雷」、そして「錆」をもたらす相手ではなかったか。

 

 

そうなるとかつての仙峯寺は雷竜とオカミの存在を知り、その打倒を目指した武闘派集団だったという可能性が朧げに見えてくる。

 

だが今の仙峯寺は考察の通りなら、御初代の像を崇める源の宮シンパである。180度の方針転換をしていると言っていい。

それは功徳を積む行為が、拳法の修行だったものから商売と間違われるようなものに変わった点にも現れているように思う。

 

仙峯寺の者は、拳法を修めて功徳を積む

 

さらなる功徳を積むことだ

くれぐれも、儲けようなどと考えてはならぬ

 

この2つの功徳は同じものとは思いにくい。

そして金儲けに似た宗教行為、それもまた道教は持っている。「銭」集めの独特の位置付けも道教の特徴なのである。

また今回は掘り下げないが、金銭と宗教の接続は供養衆にも関係しそうである。

 

この功徳ライフの切替、仏の教えが神仙への道=不死の求道に塗り潰された時期はいつなのだろうか。

 

 

再びこれまでの考察ベースになるが、寺のターニングポイントの候補は3つある。

ひとつは創設期、掛け軸のあやかし退治。

もうひとつは国盗り期、道玄道策の対立。

最後に平田後、梟による寺社居座りである。

 

仙峯上人が、らっぱ衆に授けた飴

 

ニセ梟によるものとすると三年前だが流石に新しすぎるのかもしれない。

少なくとも道術金丹に似た薬物成果「飴」の歴史は上人まで遡るので、一心による国盗り以前ではあるはずといえるだろう。

(ということは、新仙峯寺は平田襲撃の「共犯」の可能性が出てくるのかもしれない)

 

 

我が弟子は、みな道玄の元へ去った

 

道玄が道士であり、仏僧の道策たちから寺と弟子を奪った、という線は有り得なくはない。

しかし道策が僧侶ならば弟子の道順もまた僧侶であり、彼が仏にも祈らず薬物・生体研究を続けるのは不自然に思われる。

不老不死に連なる変若水の研究は、道術の流れであると考えるほうが自然である。

 

 

ではあやかし戦の前後はどうか。

キーになる人物は、仙峯上人である。

 

開祖と呼ばれてはいるが、仏教時代の開祖なのか道教時代の開祖なのか明確でない。

また上人という呼び名も本来ならば僧侶であるが、源の宮という「上から来た人」であると考えると引っ掛けの可能性もある。

彼との対話においても、仏の名も念仏一声も出てくることはない。

 

彼の事績はこれまでの考察も交えるならば以下である。

 

・大陸から渡来、山頂神域に不死を見出す

・源の宮から放逐され蟲憑きになる

・あやかし戦で破戒僧に協力した(?)

・その末娘を初代御子として鐘鬼の堂に囲う(?)

・宗教の開祖として教えを開く

・月隠の飴をらっぱ衆に授ける

・不死斬りを隠したと巴に疑われる

・変若の御子を囲い、彼女には「蟲憑き」と認識されている

・ミイラ化した外見になって生存(?)

・御初代の手によると思われる書付けを、大切に懐に入れて(?)いる

・御初代の像と思われるものを拝んでいる

・匂いで隻狼を「竜胤の御子に仕える者」と看破したうえで助言を与えている

 

竜胤を断つなど、あの者は望まぬゆえに

 

トータルで見ると悟りや仏の教え、仏敵である竜一派との闘争よりは

源の宮に寄り添い、不死の仙人を目指した者に近いように思われる。

 

月隠の飴を開発したのも、僧侶の趣味というよりは道士の練丹術の延長と読むと、その色はより濃く見える。

破戒僧との連携の可能性も、自身が仏門ではないならば特に支障なく肯定できる。

 

つまりかつて寺だった場所を、破戒僧との共闘ののち、力を得た仙峯上人の一派が乗っ取り道教施設とした可能性が最も高いように思われる。

 

 

失われた仏

 

葦名にはもう一箇所、仏像と明言された像の存在する場所がある。

鉄砲砦である。

 

社の仏像の裏にある扉を、開くためのもの

 

そしてそこには仙雲同様にジラフが居る。

阿吽を名に含む彼らは仏教と関連があるかと想定していたが、いずれも仏門僧侶の成り果てた姿なのかもしれない。

 

鉄砲砦はかつて道玄の仲間がいて、梟と共に襲撃された過去があったと以前に考察したが

それを前提として再整理すると、複雑怪奇なストーリーが紡ぎ出された。

これが仙峯寺の正史である、と断定するには仮定と考察に拠る部分が多すぎるが、今後の考察の仮の下敷きとして以下にまとめる。

 

 

 

 

かつて源の宮から追い出された渡来人の一派は、

落ち谷に住居を拓き、菩薩谷に石仏を彫り、渡来仏教砦(現在の鉄砲砦)を持った。

彼らはやがてより住み易く、また変若水を飲まずに済む現在の仙峯寺に移り、

オカミおよび水生の御初代・八尾比丘尼を「破戒僧」と定義、仏敵として竜打倒の修行を続けた。

 

同時期、同じ渡来人ながら弱小勢力に成り果てていた道教一派は、

しかし「あやかし」との戦で破戒僧に協力することにより、御子であるお凛を入手する。

彼らは鐘鬼のお堂で竜咳に効く「貴い御子の米」を配布し、

民間や有力者の支持を得ることに成功した。

 

勢力を覆した道教はやがて寺を占拠し、リーダーは仙峯上人を名乗る。

(この頃、仏像の破棄、神像の設置がなされる)

ふたたび落ち谷に追いやられた仏教側は、忍びである百足衆を用いて

道教仙峯寺に反撃の刺客を放つ。道玄である。

 

道士として名を変え仙峯寺に仕え、御子である凛を逃したうえで一心の国盗りに協力し、

寺の主導権を握った道玄だったが、内府と組んだ道策と飛び猿の奇襲反撃にあい

寺の主導権を再び道教勢力に取り返される。

(その際に道玄および友人の梟は身体を奪われ、僧侶と百足衆はすべて異形となった。

具体的な方法は未だ不明)

 

だが忍び義手を用いて再修行した梟仏師と川蝉道玄、更に一心とその手勢は大々的な仙峯寺鼠狩りを敢行、

道策と飛び猿は逃亡、道教勢力は壊滅し一心に降った。

 

道玄の弟子たちは薬師として存続するが、その後の事故(修羅化)で道玄は死に、

仙峯寺は殺せぬ蟲憑きたちの住処に残るもほぼ廃寺となる。

(仏の教えを護持する、仙雲の存在は気づかれぬままであった。

彼は戦の死体を加工し、廃棄された仏像の代わりとして彼の寺を築く。)

 

 

しかし三年前、平田屋敷を襲撃したニセ梟こと飛び猿は、ふたたび変若の御子を誘拐、

道教勢力残党と共に仙峯寺跡地に立てこもったのだった。

 

 

 

 

彼らの誤算は平田で死した御子たちが屏風の猿となり御子を守る結界を張ったこと、

および仙峯上人が(御霊となって?)自由に歩き回る術を持っており、変若の御子に接触してきたことだったのだろう。

 

そして、テロ組織が人質を持って立てこもるその危険な廃寺に、隻狼が知らず誘導されるのである。

 

 

 

この推測からは百足衆=仏教徒、ということになるが、仏教におけるムカデは武の象徴たる毘沙門天の眷属なので実行部隊名としては矛盾はしないと思われる。

 

薬に詳しいことや弟子たちが公式に健在なことから道玄の立ち位置について悩ましいが、

怨嗟が彼ならば、仏を掘るのもまた彼であるため、仏教徒側の立ち位置に当てはめた。

結果、複雑ながら今のところ大きな破綻はきたしていないように思われる。

(逆に道玄の動機、行動理由の説明がついた)

 

 

また密かなポイントとして一心は仏教徒とともに道教を成敗していることから

その庇護にあった変若の御子たちと平田屋敷は仏教の影響を受けたと見られる。

竜胤である巴との共闘後、竜との武力闘争は時代遅れとなったのだ。

平田地下の仏殿の存在、および幻廊の猿御子たちが僧侶の姿であることがそれを補強する。

 

なので変若の御子と仙峯上人は実は宗派が違うのである。御子は竜胤を呪いと呼び、上人は竜胤を貴いとする差はここから来ている。

 

 

 

夜叉戮の飴は、仙峯寺で禁制とされる

だが、死なずの探求は金を食う

 

飴はおそらく道教側の成果と予想される。一時期禁制としたのは道玄だろうか。

護国の戦士たちも道教の徒であった可能性が高いということになるのかもしれない。

そして御霊降ろしもまた、道教の力ということになる。これは源の宮の考察と一致する。

 

 

なお不死斬りや「神隠し」との関連もあるはずなのだが現段階では不明である。

少なくとも「不死」そして「神」は仏教用語では有り得ないとは思われるため

道教時代に何らかの関わりがあると推定される。

(加えて神隠しのリアクションが異なる点など、僧形の者たちの素性はおそらくまだ何かある筈である)

 

 

 

最後に、仙の文字が含まれる仙峯寺というやや奇妙な名の考察を試みたい。

 

この蹴りは、仙峯寺の名を冠する

仏とは悟りである

悟りの峯に、登らんとする者よ…

 

この文章の違和感に答えがあるように思う。

 

違和感の正体は唐突な「仏」の登場で、文章がイコールで示すとおり「仏=悟」に置き換えても「悟峯」にはならない。

仏を置き換えて悟峯になるならば、元は「仏峯」でなければならないのである。

 

つまり元々はおそらく、寺の名は「仏峯寺」であったのではないだろうか。

仏の文字に縦棒を足し、仙とするのは書類上は難しい作業ではなかったのだろう。

取り込まれた仏峯寺拳法は「功徳」などを後から追加され、仙峯寺拳法となったのだ。

 

 

寺の表札である扁額は失われている。どこかに落ちているのかもしれない。

しかしあえて扁額を外した点自体、寺社名リネームの可能性を補強するものかも知れず、

 

この説を採るならば、仙峯寺は文字通り、名も実も道教に奪われたものだったのである。

 

 


 

カエデも樹液が出ますね。しかも甘くて食用になる奴。

だから、おはぎエフェクトは「統括」なのだと思います。白、黒、そして甘味。

 

次回こそはそのあたり、葦名の異形と魂の溶ける樹液の話をまとめたいと思います。

呪いとはまじないであり魂の混じ綯い、

瞳と火継ぎで抗える、という内容の考察となる予定です。

 

参考:

五斗米道 - wikipedia

道観 - wikipedia

 

 

関連記事:

【隻狼】新 隻狼考察⑬_源の宮(不死の追求編)

【隻狼】新 隻狼考察⑭_仙峯寺の過去

【隻狼】新 隻狼考察⑮_血から生まれるもの

 





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