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今回は結論から先に言ってしまうと、百足衆「長手」の正体は道玄ではないかという考察です。(ジラフゼンウンのことではない)
また仏師のかつての修行仲間「川蝉」もまた道玄であり、
さらに獅子猿のねぐらに横たわる謎の遺体も道玄のものではないかという結論に至りました。
いくつもの顔を持つ、怨霊だ
彼が何故どのように、仏師の中の怨嗟となっていったか、前回の考察をベースにその経緯の予想をまとめてみます。
義手とほそ指
作りかけの義手をいじっておる、馬鹿者
まずは前回、この宴会は葦名国盗りの祝勝会であると考察したが、そこで道玄と思われる人物が作っていた義手について考える。
ここで重要なのは誰のための義手であるかである。梟=仏師はまだ腕を失っておらず、つまり仏師のための忍び義手ではない。
人の酒を幻術でかすめ取る、馬鹿者…
祝勝会のメンバーをもういちど考えると、この場にいてもおかしくないのに一心が思い出さなかった人物が二人いる。
共に戦ったはずの巴、そして若殿の丈である。
戦勝会という性質上、欠席の理由で最も可能性が高いのは「負傷」である。
もし負傷したとすれば、剣技の使い手、戦士である巴のほうであるだろう。
丈はそれに付き添っていたのかもしれない。
義手が必要なほどの負傷を巴が負っていた、という仮定は更に2つの考察に発展する。
まず竜胤の御子である巴を傷つけられるのは不死斬りしかないため
巴の対峙した相手は不死斬りの使い手ということ。
この刀は、長く仙峯寺に秘匿されていた
刻まれた銘は、「拝涙」
拝涙は寺なので、巴を傷付けた不死斬りはおそらくは一心が最終決戦で振るっていた開門と思われる。
これは獅子猿が過去に開門を振るい、巴を傷付けていたのではという以前の考察にも嵌まる内容となる。
これにより竜胤血刀の条件を満たし、ここから十数年後に獅子猿がパートナーを黄泉帰らせたのは、やはり開門の力であった可能性が濃くなる。
国盗り当時に話を戻すと、捨て牢で獅子猿を撃退したのち、手に入れた開門を一心は国盗り決勝戦に使用したのだろう。
そしてもうひとつは、「年若い女の、ほそ指」というアイテムが切断された状態で誕生するということである。
宮のオカミである巴の片腕を、変若水の研究者である道玄がうち捨てるはずがない。
巴はもしかすると、道玄が作った義手の礼として、切断された片腕を竜咳対策の研究材料として交換進呈したのではないだろうか。
このほそ指には、その跡がうかがえる
道玄はそれを獣避けの笛に加工までして、忍具のひとつともしていたのである。
竜胤の御子の片手は切り離されてなお不死、即ち腐ることは無かったのだろう。
余談となるがそれはのちに隻狼が戦う雷竜の片腕が失われていた理由であるとも予測される。(更に余談として、竜の腹の傷は巴の「自刃」の跡と思われる)
真説百足衆
百足衆は、己の「星」を探す者たちだ
「寄鷹衆」「らっぱ衆」そして「孤影衆」が存在している以上、「百足衆」もまた忍者軍団だったのではないかという想像は難くない。
では(あのような異形になる前は)どのような特長を持つ忍者たちだったのか、という点は「星」の読み解きがヒントとなるはずである。
星とは空に光るもののほか「目的」「標的」、つまりターゲットを指す意味もある。
星を見出せば、それに仕え、時に名すら変える
それを踏まえるとこの一文は対象人物の組織に紛れ込み、仲間になってから暗殺する潜入型の忍者集団である、ということを指しているのではないだろうか。
もしそうなら、彼らはまさに獅子身中の虫を体現する「虫」たちだったことになる。
そして隻狼の物語には、正体を隠し組織に潜入していたであろう人物が一人いる。
父さま…母さま…蝶々…
みな、どこへ行ったのだ…
平田屋敷にいた、お蝶である。
彼女が百足衆の一員であると仮定し、さらに梟、ムジナのように忍者集団は名が固有のルールで統一されている可能性を踏まえると
百足衆の一員は虫の名であることが予想される。
趣味の絡繰り(木彫り)のために木を抱え、
変若水という樹木性質の水気を好み、
地に潜る昇降機、天を翔ぶ凧を作った、
それらは道玄が「蝉」だったことを暗示するものではないのだろうか。
彼が仙峯寺に僧となって名を変え侵入した「虫」であったというのなら、彼の「星」は自ずと仙峯上人ということになる。
そして不死の上人を行動不能とするため、彼は薬師と偽り、変若の研究の末に上人のウィークポイントである凛と作左の逃避行を手助けした可能性すら考えられる。
凛がいた鐘鬼のお堂にいる百足衆は、かつての「蝉」の仲間だった者なのかもしれない。(もちろん異形になる前の話である)
我が師、道玄の悔い
その仮定は、凛の逃亡の結果として発生した過去の葦名の竜咳の流行に
彼がなぜか強い責任を感じていた理由にも繋がるように思われる。
ともあれ「蝉」は上人を追いライバル道策から弟子を奪い、彼は寺トップとして仙峯寺を一心に降らせることに成功したのである。
「川蝉」と彫られている
おそらくは木彫り(絡繰りを含む)を趣味としていた「蝉」の銘ではないだろうか。
隻狼が川の字と読んだものは、もしかすると指輪着脱に伴い自然と彫られた縦線の傷に過ぎなかったのかもしれない。
しかし本人も興を感じて、以降「川蝉」を名乗った可能性もなくはない。
仏師と川蝉
ジラフや仙雲の「長手の百足」とは「リーダーである長手の、部下である百足衆」の意味と思われる。
百足衆の長は「長手」と呼ばれ、鉤爪を持つ
鉤爪の付いた長い手とは、忍び義手の初期装備「鉤縄」の説明そのものである。
であるならば、その使い手が、即ち長手たる道玄が、忍び義手に仕込んだものであったと推測するのが自然な流れとなるだろう。
その証明として、彼の作った絡繰りの一つと思われる寺の忍び凧は、鉤縄の使い手でなければそもそも使えない代物なのである。
不死の上人をも仕留める実力を持っていた彼は、鈎縄を使いこなす忍者、木から木へと飛び移る「蝉」であり
おそらくは百足衆の長でもあったのだ。
落ち谷の水辺で、川蝉は泣いていた
仏師=梟と道玄の絆は、寄鷹と百足、共に忍びの頭であった点も大きな補強となったと予想できる。
そして仏師に泣きすぎの百足衆、即ち泣き虫とあだ名されるほどに彼は泣いた。何故か。
猿と変わらぬほどには、動けるようになったわ
仏師=梟は、この時期の近辺で修行のやり直しを余儀なくされている。
例の御霊降ろしを施術されたのである。
新たな身体に慣れ「元の飛び猿と同程度に」動けるようになったことがこの一言から推測できる。
つまり何か大きな動きを見せた道策と飛び猿、一心の国盗りからしばらく潜伏していた彼らの術中に、二人が嵌められた何らかの事件があったと推測される。
何があったかは定かではないが、ほぼ全ての百足衆が道策の御霊降ろしで異形とされたのがもしかするとそのタイミングなのかもしれない。
鉄と火薬を扱う所から推定して、彼ら百足衆の本拠地は落ち谷にあった。
そしていまは鉄砲砦と呼ばれる場所、まさにジラフたちの居場所には床下に潜伏可能な空間が存在する。
そこは「梟」や「蝉」が空中戦の強みを発揮できない閉鎖空間でもある。
梟と道玄は今の鉄砲砦=百足衆の本拠地にいたところ、地下から急襲した飛び猿と道策の一味に敗北し、
命は助かるも仲間の百足衆たちは異形に改造、自分たちは指名手配犯たちに身体を奪われるという屈辱の御霊降ろしを味わう結果となったのではないだろうか。
鉄砲砦に今も残る、乱れた様子の梟の羽、
これはそのときの動乱を示す僅かな痕跡のひとつなのかも知れない。
無能ゆえ敗れ、生き恥を晒す忍びなど
一度見てみたかったが
またこの台詞から垣間見える背景として、その時点で既に飛び猿=平田梟は内府と組んでいた可能性もある。
つまり、この敗北した忍びとは過去梟=仏師のことだったのである。
復讐の忍び義手
落ちれば死ぬる谷で
ただひたすらに、駆け、跳び、刃を交える…
そのような修行を重ねた
敗北を喫し全てを失った二人の忍びは復讐のため、落ち谷で修行を重ねる。
(特に梟にとっては、復讐の遂行は掟の義務でもある)
まともな師は、もはや、おらなんだ
彼らは強制交換された身体こそ不慣れだが、師匠が必要な若手ではない。
そこからこれは忍術の師ではなく、仏教の師を指していたのでは、と読むと
人格交換をやり直してくれる師、仙峯寺の上級僧侶はもはや存在しない、
つまり動乱の後おそらく、道策と飛び猿はニセ道玄、ニセ梟として仙峯寺を手中に収めたことがこの台詞から導かれる。
「ゆえに」、本物二人の目標は、いまの身体での再トレーニングのうえ、自分の偽物に乗っ取られた仙峯寺の壊滅となった。
道玄はそのために忍び義手を作成し、片腕の飛び猿の身体をあてがわれた梟に与える。
修行に飽きると、儂はこの猿酒を飲んだ
そして、あやつの、泣き虫の指笛を聞いた
エマにせがまれ、独楽やら何やら、彫らされたものじゃ
忍びを捨てた男が、だが捨て難く残していた研鑽の記録
やがて忍び義手は牙となり、内府の関与から一心の手も借りた大々的な仙峯寺鼠狩りが行われたと推測される。寺に残る葦名侍たちの亡霊は、その戦の犠牲者であるのだろう。
(敵側の亡霊はおそらく形代となって仏師の忍び義手に喰われた)
隻狼の不死断ちから、およそ5~10年程度の昔にあたる時期となるのだろうか。
ベテラン二人のモチベーションは高かった。
しかし彼らには、さらなる不幸が訪れる。
極め、殺しすぎた。
男の「義手」、友の「指輪」の異端の力はその日、仙峯寺に屍の山を築いた。
忍び義手。呪物の指輪。形代。
殺した敵の命が、己の力となる。
その高揚感に、しかし男は僅かな違和感を抱いてもいた。
それからしばらく後。
指輪の所有者、男の友である道玄が、心身の変調を訴え何処かに姿を隠してから数日後。
葦名の底、洞穴の奥、
男とエマが、剣を構えて対峙する友の姿は、
すでに全身に炎纏う異形と化していた。
もはや斬るより他にないと悟った男の覚悟と若きエマの剣才は、理性なき焔鬼と化した道玄をも徐々に追い詰める。
やがて元凶の呪物たる「指輪」を、エマが一刀のもとに斬り捨てた。
同時に男の忍び義手技・纏い斬りが、炎を失った異形の友に最期の慈悲を与える。
忍殺。
止めを刺した、その瞬間。
形代が――戦いの記憶が、男の身体に忍び義手を通して奔流のように流れ込んで来た。
鬼の中にあった無数の「業」。それは殺した者が引き受けなくてはならない。
男は、指輪と忍び義手の「呪い」を急速に理解しつつあった。
なんのために斬っていた。
なんのために殺していた。
呪物をもって斬り続けた者は、やがて。
――ただ、斬る悦びだけが。
無数の死者の戦いの記憶が溶けて混ざり、
男の魂すらも、残滓となり果ててゆく。
視界が戻る。
義父を斬った悲嘆のうちに、隙だらけの姿を晒すエマ。
斬れる。簡単に。
双眸に影を、義手に炎を宿した男の得物が、エマを貫く――
寸前。割り込んできた影が、凶刃を弾いた。
女の泣く声が導いた、葦名最強の剣聖。
一心が。
無数の怨心の傀儡、修羅となった男の前に立ちはだかっていた。
死闘の予感に、微かな笑みさえ浮かべて。
「古い指輪」に怨嗟暴走を招く力があったというのは、完全に状況からの想像に過ぎない。
強いて言えば怨霊に特殊な影響力を持つこと、のちの仏師がほそ指と指輪に(彼にしては)強い反応を示す点からの推測である。
(加えて、放ち斬りや神隠しなどの一部忍術の使用は義手型である必要はないと考える)
ある男が修羅になり損ない、怨嗟の積り先となった
仮定が正ならば、修羅=仏師のほうは半ば義務的な復讐であるのに対して
怨嗟=道玄は仲間を壊滅された怨みに満ちていた。その差が影響したのだろうか。
鬼など出れば、斬りたいと思っています
あの子に斬らせるのは、ちと…忍びねぇ
エマは鬼を知っており、仏師がそうなる可能性すら知っており、また斬る自信もあるとみられることから過去の戦闘を想像した。
仏師も忍びないといいつつエマならやれるとなぜか考えていることも、かつての経験に裏打ちされたものであったと考えると納得がゆく。
やれるとしても二度も父代わりの男を斬らせるのは、忍びないのも良く分かる。
お主の目にも、修羅の影があるぞ
一心は一心で忍び義手の暴走体「修羅」をその身で知っているらしいことも含めた。
どうやら鬼のお出ましか
孤影衆が持つ、葦名に棲む鬼の情報は、おそらくはこの仙峯寺鼠狩りの際の仏師と道玄を指すと思われる。
極め殺し過ぎて全滅したため噂だけが残ったのかもしれない。
炎は、まだ…消えませんか
いくら仏を彫ろうとも、怨嗟の炎は消せぬ
押し留めるが、せいぜいじゃ
仏師は忍び義手の切断により修羅化は免れたが、体内に留まってしまった御霊、怨嗟となった道玄の暴走を押し止めるため
道玄の趣味であった絡繰り作りに近い木工=仏像彫りにその身体を貸しているものと予想する。
いまは、もういない
死者の魂と入り混じり残滓となった道玄はしかし、木彫りに集中させることで
かろうじてその暴走を押し止められる荒御魂となったという想像である。
道玄の残滓が腹に残っているから、「まことの仏師」ではないが鬼仏も彫れるし忍び義手も触れるのである。
猿の腹の中とはな
仏師が作った後の仏はかなり放ったらかしなのも、作ること、手を動かすことそのものに意味があるからと考えると理解できる。
なお鬼の骸に供えられた酒は、かつて痛み止め治療を受けた猿の恩返しと思われる。
(この死体は奇しくも「蝉の抜殻」であったことになる)
ほそ指に似合う、古い指輪
人の骨を模した偽骨を軸に、
絡繰りが施されている
そして忍び義手の偽骨(および指輪)は、形代という小型の御霊降ろしを機構に組み込める
素材自体が強力な呪物で出来ているとしか思えない。
予想に過ぎず根拠もないが、巴が残した腕骨は、その素材として考えられる有力な候補ではないだろうか。
それは竜の片腕でもあり、
即ち忍び義手もまた、封じるべき「死なず」のひとつであったのである。
参考:
…片手を笛にしたのは、道玄なりの「ちとふざけた」公案の解だったのかもしれない。
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【隻狼】新隻狼考察⑩_長手の百足、川蝉と怨嗟

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