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気ままな感想・考察ノート。基本的にネタバレです。
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百足衆の現時点での考察について。長いので二回に分けました。

 

まずは、関連が深いと思われる道玄道策の整理からとなります。

 


 

ふたりの「師」

 

隻狼世界の重要人物と思われる道玄と道策について、各テキストから導き出される姿をまとめる。

 

あいつは稀代の薬師だった

そして、絡繰りにも明るい

 

まず道玄といえば絡繰りだが、隻狼世界でカラクリといえるのは忍び義手のほか

 

・寺入り口の昇降機

・寺入り口の忍び凧

 

が挙げられるだろう。

 

 

ここから道玄はおそらく、仙峯寺の関係者だったのではないか、

両者を備える建物は、道玄の診療所兼研究所だったのかもしれない、という想像が導かれる。

 

 

一方で道策については資料はないが、弟子とみられる道順が拳法の使い手であること、

また名前の類似や道玄にライバル意識(?)を持っていることから全員同じ仙峯寺一門の僧侶だったのでは、という見方が最もシンプルなものになる。

 

我が弟子は、みな道玄の元へ去った

 

それぞれ弟子を持つからには、道玄道策の二人ともそれなりの位の僧であったと思われる。

対立に至る原因として想像されるのは、寺の方針のイニシアティブの奪い合い、

つまり以前に考察したように一心の国盗りの際の意見の相違が有力な候補となる。

仙峯寺として、一心につくか、田村につくかである。

 

本来のトップである上人は既に無力化、つまりこの時点でもう物言わぬミイラ化していたのだろう。

 

捨て牢にいる施術師・道策がしたためた文

ぼろぼろで、血に濡れている

 

「血」とは僧侶の間では師弟関係を指すとのことであるので、

師弟関係に拘泥し「ぼろぼろ」なのは、もしかすると道策その人を指すのかもしれない。

 

 

 

道玄の技

 

稀代の薬師・道玄

その弟子の一人が、作り出したもの

 

道玄はエマの師匠にあたる薬師でもある。

その研究は弦一郎が口にしたという「変若の澱」に至ったことから、変若水についてかなり深い知識を得ていたことが伺える。

 

「種鳴らし」は、深い谷あいに生える

深い谷で、白蛇の腹の中へ、嫁に行くのだ

 

また薬師という職業柄か、瓢箪ほか植物についても造詣が深かったことが各テキストから想定される。

この種鳴らしが収録された「葦名薬種捗」なる書物も、エマとの類似から道玄の作である可能性が高い。

 

竜咳の血よ…お前は…

果たして、如何に…病を起こす…

エマのやつぁ、やはりお前さんに、そっくりだぞ

 

エマの成分の擬人化はぬしの力の移動を「嫁入り」と表現した師譲りなのである。

 

 

余談となるが、変若水の力と植物とは何らかの結びつきがあるように思われる。

理由としては

 

・長命化、時間と共に巨大化

・「斬撃」に強く、火に弱い

 

という変若水がもたらす変異のほか、

 

・桜と一体化した竜、髯枝の生えたナメクジなどが「源の宮」の眷属とみられること

・また本来は植物の寄生虫であるムカデが白化した生物内でこそ本領を発揮するように見られる点

 

などが挙げられる。

 

色白にもなることから、本質は桜になる水なのかもしれない。

 

 

 

 

道策の技

 

一方、道策はどのような技を持つのか。

 

各種のテキスト等から、彼の方は御霊降ろしの技を得意としていたのではないだろうか。

 

飴を噛みしめ、「阿攻」に構えることで

人ならぬ御霊の加護を自らに降ろす

仙峯上人が、らっぱ衆に授けた飴

夜叉戮の飴は、仙峯寺で禁制とされる

 

まず飴は御霊降ろしの技が使われており、それは仙峯寺の開祖からの伝統である。

 

また弟子である道順は捨て牢をラボとしているが、以前の考察からかつてそこで人の御霊を宿した獅子猿や猿兵たちを作ったのではと疑われること、

 

御霊降ろしは、人の身に余る御業

 

加えて御霊降ろしが魂=人格の移動をベースとした技術であるならば、二人分の人格が棲む現在の道順自体が道策の「作品」では、とも考えられることも仮定の理由として挙げられる。

 

その仮定のうえで「飴」や「御霊降ろし」のテキストを読むと、道策の目的や過去が読み取れるかもしれない。

 

 

鎮めの首塚はあるが、長く参るものはいない

 

一心の国盗りの後、放置され捨てられていた地下牢に道策一派が密かに居座ったことを示すと予想される。

 

 

 

道玄が一心と組んだ以上、対立者の道策は田村側に肩入れし、敗れて隠れたのである。

 

仙峯寺は護国の勇者たちのため、

これを葦名に広めた

 

「これ」とは「御霊降ろしの技術」そのものを指すとも読める。

つまり「護国の勇者たち」とは、道策が田村の支配する葦名を一心から護るために御霊降ろしで創り出した

半人半獣の怪物となった者たちのことではないだろうか。

 

 

この勇者は、双子として生まれるはずだった

二人いたならば、宮の貴族に敗れるなどは…

 

道策の戦場である「葦名国盗り」で勝利した宮の貴族といえば、おそらくは巴のことであるだろう。

そして以前の考察より、巴と戦った可能性のある捨て牢クリーチャーといえば獅子猿であるので

獅子猿はなにかの失敗で双子になれなかったものらしい(寺の小太郎が「失敗した方」かもしれない)。

 

 

そして葦名には、道策がこの反省から2体セットでリリースしたのでは、と考えることが可能な半人半獣のクリーチャーがいる。

 

長手の百足、ジラフと仙雲である。

 

 

 

狂気の業

 

人ならぬ御霊は、降ろせば力となるが、

代わりに差し出すものなくば、やがて狂う

 

ジラフたちにはまともな理性が残っているようには見えない。

彼らは人ならぬ御霊=何かの動物霊を憑依され「狂う」に至ってしまった例なのではないだろうか。

 

暗所を好み壁を這うのは例えばトカゲのような低級生物の霊か、または飴や赤成り玉のような特殊な神仏関連なのかもしれない。

なお「ジラフ」「仙雲」の名には、それぞれ「阿」「吽」がzei、hyuと苦しげな息遣いの中に隠されている。

 

 

御霊降ろしは、人の身に余る御業

 

複数の魂では「一人の身体に」余る、と読む可能性もある。

 

 

百足衆は、己の「星」を探す者たちだ

 

百足衆について言及されているのはこのテキストしか存在しない。(「星」については後の考察にて)

百足衆たちを道策の御霊降ろしの「成果」と見た場合、彼らが棲息するのは落ち谷仙峯寺であることから

それは敗走した道策の足跡を示し、かつては落ち谷にも潜んでいたが、その後で一時期、寺に復帰した時期があったことを示すようにも思われる。

 

「飛び猿」も田村についた寺の関係者であり、また御霊降ろし施術済と予測した考察を踏まえるなら、かつて二人は組んでいたと考えるのが自然な考察といえるだろう。

 

彼らは田村が破れたのちも葦名に潜伏し、誘拐や改造手術を重ねたが発見され敗北、

飛び猿は梟、道策は道順の中に隠れたという流れがここまでの考察からは予想される。

 

敗北者には見えるが凛と作左を葬り梟を倒し道玄も行方不明であり、平田屋敷も焼き払ったことまで考えるとたった二人でかなり葦名を揺るがしている。

 

 

変若の試しだ、人さらいだ、黒笠の責務だ…

 

ムジナは寺で道玄・道策の両方に付き合わされていたことが、どことなく想像されるボヤキである。

 

 

 

以下に「御霊降ろし」の可能性があると見られるキャラクターたちを列挙してみる。

次回以降の考察分も含む。

 

 

対象

ベース(身体) 御霊

獅子猿

猿(小太郎) 犬彦+蟲

小太郎

(太郎兵) 猿(小太郎)

ジラフ

(落ち谷衆) 動物霊(トカゲ?)

仙雲

(僧侶) 動物霊(トカゲ?)

道順

道順 道順+道策

仏師

飛び猿 梟+怨嗟

飛び猿

(比丘尼の子) 神鳴り竜

破戒僧

比丘尼 比丘尼+蟲

赤目鯉

壺の貴人

 

 

「揺り籠」は次の世代に竜の御霊を降ろす特殊な御霊降ろしという見方もできると考え一覧に含めた。

また壷の貴人から鯉への変体も「身体の乗り換え」と考えられないこともないことから同上とした。

 

これらの例から、御霊降ろしは変若水と同じく宮の由来の可能性があるように思われる。

それらを寺に伝えた上人は、やはり宮(=上?)から来た人であったのかもしれない。

 

ちなみに上人レベルになると身体を置いて御霊状態で散歩している疑いもある。(洞窟内の身体が全く動いていないため)

 

 

御霊の影

 

上記のようにまとめると、余るといいつつ二人分の御霊を一人の身体に持つ場合がかなり見られるようにも思える。

 

そこから考えると隻狼世界では、例えばひとつの生命は首と胴体にひとつずつ御霊を持つという仮定も可能なのかもしれない。

一人の人間であれば一人の人格であるが、どちらかを入替えられると二重人格になる可能性である。

 

それを私に使うというのか…!

 

喋ってるのは道順だが、身体の制御は奪われているようでもある。

 

お前さん…

ありが…とうよ…

 

こちらも暴れているのは怨嗟の鬼だが仏師の意識は残っている。

 

また首を切られる前後で明らかに動きが異なる獅子猿破戒僧などの例、

首がなくても動きまわる首無しなども観察すると、胴体側の御霊のほうは

 

・会話はあまりしないが身体の制御が得意

・攻撃的、暴力的、感情的

 

という首側との違いがあるようにも思える。

逆に言うと首側の御霊だけだと理知的だが無感情に近い状態になることも予想されるが、

 

心まで無くしたか

 

泣くことも、怒ることもできず

ただ、呆然と…

 

もしかすると、梟に拾われた隻狼やエマの姿がそうであったのかもしれない。

 

 

害はないが、効果が切れたのちも

きっと腹の中にずっと残るだろう

 

また怨嗟の御霊など、胴体側の御霊は複数が蓄積、変質していくようにも見える。

加えて赤成り玉が示す重要な点として、胴体側の御霊は「眼」の変質に現れるようにも思われる。

 

あやつの瞳を覗いておると…

水底に引き込まれるような、心地がしたものよ

 

お主の目にも、修羅の影があるぞ

 

そう考えると、巴の目にはやはり竜が現れていたようでもある。

他にも目が特徴的な生物、例えば水生村の桜鯉なども御霊降ろしされている可能性が推定できることになる。

また竜の御霊は、目を介して「拝涙」されることの説明にも繋がる。

 

 

影落とし、お返し致す

 

上記の一心の台詞や、背後からの胴体狙い=影落としと呼ばれることから

胴体の御霊が「影」と呼ばれている可能性もある。

もしかするとそこから「影は二度死ぬ」の意味が見つけられるのかもしれない。

 

 

猿の腹の中とはな

 

そして仏師は自分の影、飛び猿の腹の中に居る者を知っていた。

 

それはほそ指のかつての持ち主でもあったため、思わずこの台詞が口をついてしまった、という予想が可能な下地があるのである。

 

 


 

後半はやや詰め込みとなりましたが、長くなったのでいったん区切りとして

次回はこれら御霊降ろしと道玄道策の足跡を前提に

怨嗟の鬼となった男、「百足の長手」についてまとめてみたいと思います。

 

 

参考:

荒魂・和魂 - wikipedia

土蜘蛛 - wikipedia

 

関連記事:

【隻狼】新隻狼考察⑧_酒と猩々

【隻狼】新隻狼考察⑨_御霊降ろし

【隻狼】新隻狼考察⑩_長手の百足、川蝉と怨嗟

 





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