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前回「朽ちた囚人の手記の作者は、古文書を持ったオカミに出会ったのだろう」と考察しましたが
結局それは誰だったんだろう?というところから結構想像が広がったのでまとめてみました。
ゲーム中のテキスト類から導き出した「お凛」を先にまとめると、以下のようになります。
・破戒僧の娘、巴の妹
・輿入れした巴の一族の唯一の例外
・お米が出せる
・寺に引き取られるも脱走、水生村で生活
・巴を介して丈、一心らとも知り合い
・開門の事故で御霊姿に
仏師の正体や道玄の居場所よりはヒントが多かったように思います。
未見の方は最初の考察を見てからのほうが読みやすいかも知れません。
【隻狼】新 隻狼考察①_巴の一族と水生村の事件
作左については墓をみつけました。
そちらの詳細についてはこちらに。
【隻狼】新 隻狼考察⑦_作左と弦一郎
彼の女たち
「朽ちた囚人の手記」で、石を探し村を目指した「彼の女たち」、
それはきっと淤加美の末裔であったと思われるが、それは一体誰であったのか。
香気の石、葦名の底の村に祀られておるとか
丈と香花を探していた巴か?
→これまでの考察の通りなら、水生村で生まれたはずの巴が村に帰るのに案内を要したとは考えにくい。
仙郷へ出立した比丘尼か?
→比丘尼は古文書を残した側と考えているので更にあり得ない。
しかし水生村には最後の、それも有力な候補がいる。
それは巴流に似た剣舞を使い、青錆の毒という血族独特の弱点を持つ水生村の女性、
「水生のお凛」である。
見ぬふりを、するのですか
お凛の狂気のようなセリフから推し量れる背景は少ないが、よく観察すると言動以外の点から推測できることは多くある。
まず服装と持ち物から、三味線を弾く旅人であることが予測される。
本邦の歴史において旅する女三味線弾きは「瞽女(ごぜ)」と呼ばれる職業で、
それは主に視力が不自由な人の職業だった。
よく墓石や段差に引っ掛かる点からも(?)、彼女は盲人ではないかという推測ができる。
あらぬ方向を向いていることもしばしば。
次に彼女の名を紐解く。
「凛」はパーツとして「冫」「禀」に分けられるが、
「冫」:冷たい
「禀」:こめぐら
という意味をそれぞれ持つ。
加えて彼女もまたオカミの末裔、つまり変若の御子ではないかという推測の上に立てば、
「盲」「冷」「米」が指すものは明確であるように思われる。
その三点が揃うのはつまり、
「竜の帰郷」エンディングに至る変若の御子の姿である。
そこから彼女は「細雪」の排出が可能な、二つの蛇柿を食べさせられた過去の変若の御子だったのではないかという推測が成り立つ。
竜胤の揺り籠が、二つの蛇柿を食すのを
田村よりも前の時代、蛇柿と御子の知識を持つのはまず仙峯寺である。
寺が御子に蛇柿を食べさせる動機があるとすれば、おそらく前回考察のとおり蟲憑きの育成と維持に必要な変若米の強化を狙ったものであり、
もしそうだとすると彼女は旧い時代に仙峯寺にあり米を提供していた変若の御子、
隻狼と出会った「お米ちゃん」こと現在の仙峯寺の御子の先代にあたる存在ではないかと推測できるのである。
貴いお方が、そこにはおわす
変若の御子様の、お米じゃぞい
現在の御子は秘匿性が高いように思われるので、おぼろ比丘尼たちが指すのは先代(凛)で、彼女は民間にもその存在と米とが流布されていたのかもしれない。
また寺では御子に名を付けないので、冷たい米を出せることから「凛」と後から誰かが名付けてくれたと考えると
名に意味があること、寺との関係があること両方の補強となるように思われる。
そしてこの推測を前提にすると、仙峯上人の言葉の意味は異なる内容に解釈することができる。
仙峯上人の懺悔と後悔
貴いお方…あの子のことじゃな
もうここにはおらぬ
こちらも半ば狂気を感じる上人との直接会話であるが、これは凛のことを指す可能性もあるということになる。
許しておくれ、変若の御子たちよ
残ったのは、あの子だけ
不死斬りを隠し、それを巴に悟られることから上人は巴および比丘尼の一族と近い関係であったことが推測される。
そこからこの台詞の「変若の御子たち」とは知己である御子、つまり巴と宮の老婆二人であると仮定すると、
四姉妹のうち葦名に「残った」のは凛だけで、ほかの三人は輿入れで源の宮へ行ったというこれまでの考察の状況に適合した台詞として読むことが出来る。
つまり彼のため、寺のために末妹の凛だけが残されたということになる。
奥の院に篭ってしもうた
ここでいう奥の院はおそらく水生村の奥にある例の建物を指すと予想される。
輿入れ後に残された不死斬りを隠した人物なので建物自体は知っていただろうし、主が破戒僧と思えば僧院と言えなくもない。
なお凛を一人で閉じ込めていたのは、その孤立性や格子の向こうを拝む構造から、鐘鬼のお堂が候補のひとつとなる。
そこにある三点の像は変若の御子、つまり巴と宮の老婆二人を模したものかもしれない。
貴き者とて、人は人…
姉妹代わりの像と共に閉じ込め、御子は貴いと拝んではいても人間扱いしていなかったことを後悔するような台詞を上人は吐くが、
そなたは…そなたの御子を、独りにするでない
最終的には逃したことを後悔している。
しかし、あの強い比丘尼が御子の擁立を許可したことを考えると、上人は古の戦でそれなりの信用または働きがあった者、
たとえば先代の竜胤の御子の従者であったことなども考えられるかもしれない。
宮や竜、変若の御子の事情に詳しいこと、
現在の変若の御子が隻狼を見て竜胤の従者であると見抜くこと、
それらはそのあたりの事情に起因する可能性があるように思われる。
何より、危険な赤の不死斬りを平然と持ち帰った点がポイントなのかもしれない。
少なくとも誰かは、古の戦でそれを抜き「あやかし」から拝涙を果たしたのは確かなのである。
御子の旅
凛が古文書を寺から持ち去り、内容すらよく分からないままに源の宮を目指したのは家族に会いたかったからであることがここまでの考察から推測される。
盲目であるはずの彼女が寺から脱走し森を抜け水生村まで辿り着くのは困難であったはずだが、
彼の女たち、まこと源の宮に辿りついたのか
この文からは凛を手助けした協力者の存在が推察される。
寺からの追っ手も想像されるかなりの危険を伴う旅であり、ゴール地点も夢のような存在である「源の宮」。
作左様は、いずこですか?
そんな無謀に付き合ってくれた人間だからこそ、死してなお彼女は会いたいのだろう。
作左様が、代わりにあの子を寄越してくれた
そして陣左衛門が彼女の子であること、
相手が「作左様」であることは明確といっていいように思われる。
つまり彼女たちは(この時代、葦名の何処にも竜胤の血はないので)源の宮へは行けなかったが、おそらくは水生村で平和に家庭を持ったのだろう。
しかしその後の葦名の歴史は、田村の侵攻へと続く。
貴い御子の米を失った葦名全体が竜咳の流行により弱体化した、つまり凛の逃亡が田村台頭の引き金になったということもあるのかもしれない。
捨て牢の唄
ああ…呼んでおるのは儂なのか、尋ねるのじゃった
隻狼の時代、亡霊となったお凛の唄は捨て牢へ届き、その子である陣左衛門を呼ぶ魔力を持った。
以前の考察で、田村時代に捨て牢に囚われた変若の御子がいる可能性に触れたが
それが凛と作左の幼い子であったとするなら、子を呼ぶ唄との線が繋がることになる。
盲人ではあるが三味線を習い覚え、普通の人として生きようとしていた凛が
肺病に効く米を利用しようという田村に子を奪われたと仮定した先ならば、
捨て牢に囚われた子供たちへの帰還への強い願いを込めて唄っていたと想像することは難しくない。
なお陣左が特別扱いでないことや養子に出されたとみられることから、米を出す力を持つのは女性、お凛と作左の娘たちが別にいたのではと予想される。
そして捨て牢は、一心と巴に解放される。
帰りを願っていた子供たちは、彼女の実の姉が助けてくれたのである。
それは苦労の多い凛の人生の中で、最も幸福な日となったことだろう。
再会した二人は、(巴の竜胤の血を素材に)共に宮へ輿入れするために動くことを決める。
あの白い、香気まとう花が咲いているかも
丈が巴に協力したのはこのタイミングだろう。
また一心は水生村の水さえあれば、彼女ら竜胤の恵みを断っても葦名は自立できると思っていたと想定される。
丈様の咳は、ひどくなられるばかり
範を示すためか咳き込む丈に変若の米を与えていなかったとみられ、その姿に悩んだ巴は一時、自刃による抵抗力の返還まで考えている。
そんな紆余曲折の末の輿入れの日、
穏便な竜胤断ちが成るはずだったその日に、
水生村は呪いに落ちるのである。
ある日、水生村に首吊りがあった。
死んでいた男の名は作左。
その祝祭の日、愛妻と永遠に別れる筈の男であった。
同じ日、村からやや離れた岩戸の社殿。
大勢の友や家族に囲まれた凛は、微かな不安の中にいた。
姉に会えた。輿入れが済めば父や母にも会えるという。
お米を出すあの力が備わった娘たちは、葦名に置くべきでないというので共に連れてゆく。息子たちはここにはいないが、一心様の伝手で立派なお家の養子となった。
宮への輿入れ――それは幼い頃から、待ち望んでいた日であるはずなのだ。
しかし、目が見えずとも判る。
別れを惜しんでくれる村人、助けてくれた一心様やそのお仲間は大勢いらっしゃるが、
作左様は、この場にいない。
夫であり、囚われの自分を助けてくれた大恩ある作左様。
どうして見送りに来てくれないのだろう。
一心様や知人に、村のほうへ頼りの使いを出してもらっても、みな戻らないか曖昧な返答ばかり。
巴姉様さえも、知らぬ存ぜぬの一点張り。
誰に聞いても答えてくれない。
まるで――目が見えないのを幸い、何かを知らぬまま輿入れをしてしまえばいい、
そんなことで口裏を合わされているような奇妙な雰囲気を感じる。
落ち着かない気分のまま、源の香を作るという儀式は進行してゆく。
突然の怒号。混乱。
何が起こったのか分からぬままに――
村に何があったのか。
自分に何かあったのか。
――作左様。
今頃は、どこにどうしておられるのか。
気づけばただ、三味線の音だけが、響いていた。
水生村で起こった事件については過去の考察の発展となる。
村人たちの永遠の日常継続を開門に願ったのは、その混乱の場で死んだ凜であったのかも知れない。
凛もまた村人にカウントされる存在で、死んだ瞬間に開門の現状維持の呪いに捕らわれたため
生者でも死者でもない、隻狼世界では「御霊」と呼ばれる形のままの水生村住人となったのだろう。
そして全盛期の姿で黄泉帰った彼女は、当時捨て牢に向けて歌っていたわが子を呼ぶ唄を歌い、
やはり…儂を待っておったのじゃなあ
偶然にも十数年を経て、歌が届いた一人の息子との再開を果たすのである。
そして水生村の水が使えなくなった以上、葦名は竜咳で滅びる。一心は苦渋の選択で村の封鎖を決断、竜胤断ちを一旦諦め娘二人を葦名に残して貰う。
(変若水がない以上は、変若の御子の米に頼るしかないのが葦名の弱みである。)
そして寺や田村のような輩に二度と奪われない絶対の御子防衛施設が必要となり、
それが平田屋敷の誕生に繋がったのだろう。
従って凛の娘である二人の変若の御子、
シラフジとシラハギはおそらく平田屋敷にいたと推定されるのである。
長くなってしまいましたので、作左様の追求や次世代については次回に。
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