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「川沿いにさかのぼった先、水源に近いお社にいらっしゃるぞ」
このセリフがずっと気になっていました。
なぜ「遡った」が、ひらがな表記なのか。
そして「実は『坂登った先』つまり川の逆方向を指す台詞では?」と気づいた途端、
・破戒の僧こそ仏敵の名に相応しいこと
・ミヤコビトのスカウトは宮の貴人の意志であろうこと
・「二階から入れる建物」は逆であること
いろいろな点で辻褄が合ってしまうことにも気付き、同時に隻狼の世界が急に広がった気がしました。
明らかに意図的に「ひらがなを仕込んで」あるならここだけではないはずで、
独特のどこか不自然ともいえる文章の端々、
「義父」「ぬし」「御子」など、複数の意味で読める単語の数々、
そこには日本語のダブルミーニングや思い込み・引っ掛けを駆使した、隠された要素がテクニカルに混ぜこまれている可能性があるのでは?
その観点で台詞や文章を見直すと、謎解きの材料として用意されたいくつかが見えてきた気がしました。
以下は隻狼のテキストとセリフを中心に「何かが隠されている」観点で読み直しを図り妄想で補う、純粋な意味での考察とはいえないかもしれない隻狼考察です。
こんな風に読んだ人もいたんだ程度で流し読みいただければ幸いです。
巴の『一族』
お宿りは吉兆ぞ
かぐわしく、輿入れ奉ろう
源の宮にいる「ぬしの世話係」と老婆A、老婆Bは家族であることはイベントから明らかであるが、
宮では逆に異質といえる普通の外観をした彼女ら(とその父)は水生村から輿入れしてきたのだろうと考えられる。
しかし仮に「偶然のお宿り石だけで輿入れしてきた」(そもそもそれが出来るか不明だが)とすると家族三人だけというのは不自然で、「源の香を家族で纏った」という方が流れとしては自然である。
しかしモブ以上のパワーを持たなそうな彼らに不死斬りと御子の血まで材料揃えられるのか…というと厳しそうだが、それを補える仮定がひとつある。
伝承知識とパワーとを兼ね備えたであろう、このお方が一家の「母」である場合である。
香気の石、葦名の底の村に祀られたり
身を投げねば、辿り着けようもなし
これで源の香気、揃うたり
淤加美の古文書によると過去に香リーチに辿り着いたオカミの末裔の人物がいることがわかる。
「身を投げる」については不明だが隻狼のように飛び降りなければ着けない立地の村とはそもそも考えにくく、
山麓の「村の一員になった(身を投じた)」と考えるべきところかもしれない。
破戒僧・八尾比丘尼がこの古文書の作者であり、かつて水生村に住み、やがて家族を持ち一家で輿入れした、と仮定すると
源の宮に異質な一家族だけが存在している結果に齟齬なく繋がる。
輿入れの岩戸を使う必要から彼女は神社の神主と結ばれ、そのため水生村の宗教模様は元々の神道のほか、比丘尼が持ち込んだ蛇、仏の信仰が加わり三つ巴になったのかもしれない。
そしてその婚姻は、仏の教徒からは確実に「破戒」と映る。それは彼女が破戒僧と呼ばれる理由に繋がる。
巴の一族は、かつて源の香気を集め、宮に至ったと言う
仮に「葦名一心の一族」とした場合、孫の葦名弦一郎を一族に含むのは不自然ではない。
同様に「かつて輿入れした巴の一族」とは、巴の「種族」「民族」以外に「家族」であったと読むこともできるはずで、
巴は、破戒僧こと八尾比丘尼を母とする、水生村生まれの娘であり
幼少期に父、母、姉妹の家族と共に水生村から五人で輿入れした可能性にも発展して考えることもできる。
オカミの血を引くとはいえ宮にいる姉妹が一般人老婆の姿であることから、巴の外観も通常の女性姿であったのだろう。
丈と巴
普通に考えれば丈と巴は仙郷から同時に降りてきた竜胤の御子と従者であるが、
良く読めばそうとは限らないと考えられるように思われる。
その遣い手は、
浮き舟を渡り、葦名に舞い降りた
名を、巴と言う
浮き舟テキストで名言されているのはなぜか巴だけである。
この枝に、かつて咲いていた花を眺め、
丈は仙郷に想いをはせたのだろう
丈については仙郷を想像していたというだけで、仙郷から来たという点は巧みに明言を避けているようにみえる。
丈が仙郷の名残として持ち帰り、
接いで咲かせた花である
こちらも仙郷から持ち帰ったとは書いていない。
仙郷の名残りとして咲いていた地上の桜を城に持ち帰って接いだとしても通じる。
予想としては水生村の桜である。(八尾比丘尼は源の香の材料は全て持っていたのだ。)
香炉の上で、丈様が刀で腕を斬っておられた
このあと巴が丈に説明していることから、丈が巴の腕を切っていたと読んでも矛盾はない。
傷が塞がる、つまり先代の竜胤の御子とは巴であったことが示されている。
つまり巴は幼少期に母である破戒僧、八尾比丘尼とともに輿入れし、源の宮で剣術修行ののちに再度地上に降りた「竜胤の御子」だったと考えられる。
その後の二度目の輿入れは、彼女にとって「帰郷」だったのである。
余談だがこの作者はいわゆるニセ神主となったと想像される。巴の実家を占拠していることのほか、京の水の匂いに反応したのは、源の香の匂いや宮の情報を二人に仕えることで知ったからだろう。(巴の二度目の輿入れには置いていかれた模様)
かつての竜胤の御子、丈が記したもののようだ
竜胤の御子と、丈が記したものである。
香花の手記の「巴の~」の部分は丈による記載で、
「あの白い~」は、かつて見た経験を伺わせるので過去に輿入れ経験のある巴の記載部分だろう。
しかし丈は城内に部屋を持つ葦名公認の「先代の御子」ではある。
竜胤の御子でないならば、何の御子であるのか。
葦名城の一等地に居を構えるという事実からは、先代の殿の御子、即ち葦名一心の子であったいう仮定が自然ではないだろうか。
巴は一心に出会ったのち、その若殿に仕えたのだろう。
(なお浮き舟渡りと伝承された移動手段は、浮き鮒、つまりぬしの色鯉の死骸に乗り込んで宮から地上へ降りたものと予想する。)
水生村に何が起こったか
水生村は複数の出来事が中心の出来事の上に層を成すように覆い被さっており、そのままでは考察が容易でない環境にある。
そのため1枚ずつヴェールを剥がしていくことを試みる。
己がもう狂っている
それを悟り、男は一人、森奥へ消えた
・水中の死体は?
水中の大量の死体を観察するとすべて足を開き、尻方向から強い力で水底に押し込まれている。
水中の出来事という観点からも、これは首無しが尻子玉を抜き続けたのだと想像するのが正しいように思われる。
死んでも生き返り同じ行動を繰り返す、謎の無限ループが発生したのである。
さすがにおかしいと感じ、首無しは村を脱出し森を彷徨っていたのだろうことがこのテキストから推測される。
・大量の卒塔婆は?
清宝寿院 妙醐日光大姉 也
おそらくすべてこの名が入っている。
「姉」を用いるのは女性の戒名または僧侶名であり、この村に無限に発生する新たな死体にこまめに卒塔婆を供えられる、常駐の女性僧侶は一人しか該当しない。
かつてこの村の宗教者であった、破戒僧の幻影の手によるものと推測しても良いように思える。
・ナメクジのような魚は?
隻狼に登場するナメクジのようなものは他に二種類、貴い餌、まこと貴い餌が形状が近い。
若さを吸うという理屈を超えた能力を持つ宮の住人は、何らかの手段を用いて御霊をナメクジに変容する手段を持っていて
白ナメクジも「餌」、源の宮で用いられる生物に変えられているのではないだろうか。
すなわち偽の神主である貴人の謀により、無限に死なない村人を利用したぬしの餌の無限養殖場とされていたのである。
籠被りの正助がいう「火を怖がる」「水を求める」姿は、単に乾燥を嫌うナメクジ化の途中段階を指すものであったのだろう。
おそらく水を飲んだからどうということではなく、初対面の時点から実はおかしいのである。
村の現状を維持するために余所者を排する、それも呪いによる強制行動の一端と考えられる。
・血染めの布は?
「陣左のおくるみ地蔵」を所持していた水生のお凛の服装は時間経過を感じさせるものではなく、地蔵の布地も同様と予想される。
つまり数年単位を経ると変色して桜色→赤色となる染め物なのだ。
すなわち時間経過の前、昔は綺麗な桜色だった数々の布旗で村は飾られたままでなのであり、源の宮を思わせる祭礼の日のような姿であったことが想像される。
霧の中
村の入口にあたる森の中は霧に包まれ、ゴーストのような姿の人々が見られる。
これはニセ神主である霧ごもりの貴人による「振る舞い酒の酒宴」に囚われた人々の魂とみられ、この酒宴の中でナメクジ化が進行するものと思われる。
たまに酔っ払いの声が聞こえるのは気のせいではないのである。
霧籠りは僧侶の吊るされた僧院のような建物内にいるが、倒すと霧が晴れる。
では霧は貴人の技かというと、そうではない。宮に辿り着けば分かるが、あの厄介な幻影の霧は、破戒僧の技である。
哀れな村を騒がせる僧も忍びも貴人も追い出し、幻影の霧でくるんだのは村に愛着を持つ破戒僧・八尾比丘尼であった、という推測も成り立つ。
幻の牢として貴人を捕らえ続ける村外れの庵は、八尾比丘尼が村に馴染む段階で棲み家にしていたかつての尼寺の姿の再現なのかもしれない。
月光の剣
残った問題、つまり水生村の問題の中心にあるのは「無限に復活する村人」である。
良く観察すると村人たちは山菜を採ったり畑を耕したり、建物を覗いていたり「ある日常の瞬間」を繰り返しているのがわかる。
隻狼において、死人が黄泉還る方法は回生のほかただひとつしかない。
黒の不死斬り、開門の呪いである。
かの一心でも「憐れな孫の最期の願い」に逆らえなかったのと同様、復活した村人は誰かの「願い」によって日常を繰り返さざるを得ない状況に陥っているのではないだろうか。
一心戦と同じような満月の存在が、その可能性を補強するようにも思われる。
開門の条件は弦一郎の挙動から予想するしかないが、
・竜胤で血刀すること
・持ち主が強い願いを持って死ぬこと
は少なくとも必要と思われる。
平和だった水生村で、開門が竜胤を傷付けるような事件はあり得ない…ようにみえるが、ひとつの可能性がある。
それは源の香の作成である。
仙郷へ帰る道は、どうやら叶わぬ
せめて竜胤を断ち、人に返して差し上げたい
オープニングムービーで一瞬見えるが、巴の知人であった一心は開門を持っていた。
そして上記テキストにあるとおり、巴の優先順位は再度の輿入れが最優先である。
人返りには赤の不死斬りが必要かもしれないが、香の作成に必要なのは御子の血であるため、開門でも源の香の作成は可能なはずである。
そして御子の血がクリアできるならあとは花と「お宿り石」であり、自然現象である石はどのような知恵と力を駆使しても待つしか手はない。
この手記を記載した時点では諦めつつあったが、もしその後にお宿り石が手に入ったとすると、巴はどのような行動を取るだろうか。
ここまでの考察からは、以下のような「事件」が浮かび上がってくる。
隻狼の不死断ちの十数年前、
一心の国盗りからは数年後。
水生村の祭礼の日、岩戸の社。
その日に源の宮へ帰郷の輿入れをする巴の元へ、一心や丈など知己が集まる。
諦めていたお宿り石は、手に入った。
赤の不死斬りは、手元にはない。
巴に近い誰かが、源の香の材料「竜胤の血」の採取のため
黒の不死斬り「開門」で巴の身体を傷つける。
突然、殺意を持った何者かが乱入し、開門を持っていた「誰か」を殺害する。
何事かと覗き込む村人たち。
竜胤の血で血刀すること、
自身が生命を落とすこと、
被害者は偶然にも開門の両条件を満たしたため、
無意識の最期の願いが成就する。
「平和な村人たちの生活は、
永遠に今のままであるように」
祈りは呪いとなり、村人たちは死ねずの身となった。
被害者はこのあたりで足跡が途絶え、今では墓のみが残る丈か、加害者は凶器を持った片腕を斬られたという「飛び猿」か、
誰がどの役割を果たしたか、が今後の考察のテーマのひとつとなる。
事件の現場と想定した場所に残されていたこの片腕の男の像は、
少なくともここで何らかの騒乱があったことを示すものと考える。
今回の破戒僧の立場の想像、およびこの「事件」の存在を仮定することは、
隻狼における他の多くの謎について驚くほど様々な考察、特に人の動きの理由付けにつながった。
梟が平田屋敷を襲った理由もそのひとつである。
今後の考察で、順を追ってまとめていきたい。
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