忍者ブログ
気ままな感想・考察ノート。基本的にネタバレです。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「太郎兵は何故太郎兵なのか」

そんなことを考えていたら

獅子猿に繋がってしまったという話です。

 


 

 

柿と「太郎」

 

葦名の太郎兵は、柿をたくさん食べて育つ

ゆえに食べ頃を心得ている

 

隻狼の太郎兵といえば白い巨漢であるが、

彼らが柿を所持したり食べたりする描写は少ない。

柿を落とすのは葦名の猿である。

 

 

落ち谷の猿は異様な強さを誇る二刀流の白猿のほか、刀や鉄砲で武装しており内府軍と戦う気概まで見せる。

対して巨漢のほうは地均しのハンマーやなぜか鐘を担いでいるだけで内府襲来時は泣き叫び、兵らしさは相対的に低い。

 

つまり柿食う太郎兵とは実は猿の兵士を指す言葉であり、火牛のような葦名の秘密調教兵器であるという可能性はないのだろうか。

 

お主、太郎兵に鎧を着せたそうじゃな

ああ、あ奴め、ぐずりおってな

 

猿に鎧を着せたとしても意味は通じる。

巨体に強力も「猿にしては」だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

捨て牢の「太郎」

 

その仮定の上に立つと、若干意味合いが変わってくる文章がある。

捨て牢の注文書である。

 

頑強な男、一人 入用

熟達の侍、若しくは大柄の太郎兵などが、良い

 

ここに書かれた太郎兵が猿兵を指すとするならば、捨て牢ラボは猿も改造対象とする技術を持つことになる。

(寺外れでうずくまっていた巨漢の小太郎は「頑強な男」でもあるので注文は満たせる。)

 

しかし赤目に改造された人間はいるが、赤目の猿はいない…と思うところだが、明らかに自然発生とは思えない猿ならばいる。

 

二刀流の白猿、そして獅子猿である。

 

 

獅子猿の顔の傷は縦に入っており、首を切り落とす途中のような大刀の切断方向とは実は無関係である。

またその割れたような痕に若干似ているのは、捨て牢の囚人たちの傷である。

 

 

もしも「太郎」が猿ならば、獅子猿は捨て牢で作られたクリーチャーである可能性が出てくるのである。

 

 

 

手記の「太郎」

 

もうひとつ、捨て牢と「太郎」を繋ぐものがある。朽ちた囚人の手記である。

 

小太郎や、小太郎や、すまねえなあ…

 

小太郎は寺にいる巨漢の名ではあるが、珍しい名前であるとはいえない。

捨て牢で改造される前の獅子猿が普通の小猿であったならば、それを「小太郎」と呼ぶ囚人がいたと仮定することも

太郎と猿、牢と獅子猿を繋ぐ線の先ならばあり得ないことではない。

 

 

またこの手記には他に大きな特徴がある。

 

香気の石、葦名の底の村に祀られていおるとか

じゃが「身を投げねば、辿り着けぬ」とは…

 

この囚人は一部を引用できるほどに淤加美の古文書を知っているのである。

 

 

石を求めるのはなぜか。古文書を見るくらいなので、源の香の材料集めだろう。

この後に「彼の女たち」ともあり、それは比丘尼や巴のような輿入れを望む淤加美を目撃した記録の可能性が高いように思われる。

 

あの白い、香気まとう花が咲いておるやも…

 

ではその石や花を集めていたであろうオカミは、猿から見たらどのように映るか

 

雌の猿は、この白い花の香りを好む

 

それは香の材料となる白い花をも求める雌であった、という認識は誤ってはいない。

この認識に至った賢い猿は、しかし人と猿の区別がついていないのである。

 

淤加美一族の伝承を辿り、ここまで来た

彼の女たち、まこと源の宮に辿り着けたのか

 

つまり、手記の主と「小太郎」獅子猿は、源の香を作ろうとする「ここまできた彼の女たち」と、共にどこかで出会っていたという可能性が読み取れるのである。

 

そして「ここ」とは、捨て牢の中とは限らない。

「猿と共にいた者」のヒントは外にある。

 

 

 

 

村外れの「次郎」

 

猟師の犬彦のやつが松脂を燃やして、家に立てこもってたんだ

 

水生村を覆う森には、かつてこの松脂が取れる黒い松があり、

くすぶる火は、村への道しるべであった

 

水生村の森には、黒松脂採取、猟師、道案内を生業とする一族がいたとみられる。

 

いま猟師に見えるのは、森に住み銃と火を所持している牛飲の徳次郎である。

彼の特性からその一族は猿の使い手、大刀の使い手でもあると想像できる。

 

また死なず化した水生村住人の現状認識は10〜20年程度昔のままと考えられることを合わせ、「犬彦」は彼の先代の猟師ではと推察される。

 

強力な火薬の元となる黄色い煙硝

落ち谷で取れる貴重なもの

 

個人で銃を持っているのは猟師だからであるだろうが、葦名における火薬の入手ルートは落ち谷が有力な候補と考えられる。

 

落ち谷は旧葦名衆のルーツであると思われることから、犬彦もまた前回考察にあった田村時代に捨て牢に収監された旧葦名衆であった可能性が想定される。

 

彼が道しるべ担当、つまり森林内で村へのガイドをも務めていたのならば、石や花を求めて旅をするオカミの一行と出会い、そこで古文書を目にしても不思議はないといえる。

 

 

 

つまり朽ちた囚人とは猟師の犬彦であり、

彼は飼い猿であった小太郎と共に、古文書を頼りに源の香を作ろうとするオカミを村へ案内したことがあったのである。

 

彼にとって目の前の村、祭礼には人々も多く訪れる普通の村が「身を投げねば、辿り着けぬ」と書かれていたことが気になって日誌に残したのだろう。

 

 

よく見ると数枚の組み合わせのようである。

それはもしかすると、何回かに分けて書かれたものだったのかもしれない。

 

今回の考察範囲からは、獅子猿誕生までの流れが以下のように想像される。

 

 

 

 

田村による葦名侵攻の少し前、

水生村近くの森。

 

奇妙な古文書を持った女たちが、森の猟師であり案内人でもある犬彦に道を訪ねた。

「源の宮に行くため」「白い花も探している」「身投げ」等など、話の意味はよく判らないが、目的地だという水生村ならば目の前である。

猿たちに命じて近隣の白い花を探しに出してみたが、芳しくないのでその日は諦め旅人を案内し別れた。

 

小太郎猿だけは迷子になったかまだ帰らない。

犬彦はその日、日誌に以下のように記した。

 

香気の石、葦名の底の村に祀られているとか

じゃが「身を投げねば、辿り着けぬ」とは…

 

 

 

それから数日後。

田村なる武将が葦名の城の中枢に居座ったらしいとの噂を別の旅人から聞いた。

落ち谷との関係者は城の牢に拉致されているとの噂も聞く。

先日の女たちはどうなったか知りたかったが、自分も収監を覚悟しなければならない。

犬彦はその日、日誌に記した。

 

 

淤加美一族の伝承を辿り、ここまで来た彼の女たち、

まこと源の宮に辿り着けたのか

れが知りたいが、どうやら叶わぬようじゃ

 

 

 

それからどれほどの時が過ぎたのか。

大勢の人間が押し込まれ肺病も流行り始めた暗い地下空間の中、犬彦は思いがけないものを見た。

 

猿の小太郎が、主人の居場所を探しあて帰ってきたのだ。

その手には、白い美しい花が携えられていた。

 

朽ちた囚人の手記には、最期の言葉が綴られた。

 

小太郎や、小太郎や、すまねえなぁ…

 

 

 

 

 

小太郎の運命については、その後に花を知る獅子猿が生み出されてしまったことが証明している。

 

獅子猿は大切に育てていた

己のつがいに供えるために

 

この文は実は「(自分を)大切に育てていた己のつがい(=飼い主)」と続けて読むのが正しいように思われる。

 

手向けの花も、朽ちてもう無い

 

またその手に花が携えられていたことも、「花は」ではなく「花も」であることと、囚人と一緒の「朽ちて」の表現が示しているように思える。

「手向け」とは旅人に渡すものも指す。

 

真白いお花を、探さなきゃあ

 

そして名前に加えて白い花を探すという偶然とは思えない共通点から、更に考察を飛躍させることもできる。

 

 

 

寺の「太郎」

 

なにせ、おらは、御子様たちのお世話係だからな

 

花を探すのも「お世話」といえる。

そして探していた女は地上のオカミ、即ち「変若の御子」とその協力者でもある。

 

じめっとした…穴倉みたいな所に、連れて行かれちまった

 

寺の小太郎の捨て牢の描写は、行ったことがあるかのように具体的である。

 

お父ちゃんは、そこにいるんだあ

 

「お父ちゃん」という単語は「父親」のほか、妻から見た「夫」を指す場合もある。

人間と猿の区別がつかない猿、という前提をここに反映させて考え、

もし小太郎猿が雌であり、愛情をもって接する男の飼い主を「つがい」と思っていたのなら、

小太郎が飼い主である犬彦を「お父ちゃん」と呼ぶことはあり得ることになる。

 

 

つまり記憶が定かではない寺の小太郎の人格は、犬彦が遺した猿の小太郎(雌)のものである可能性が高いように思われる。

 

 

では改造小太郎であるはずの、獅子猿の中にいるのは何者なのか。

 

 

あれはもはや…人間ではない…

 

犬彦は村の鼻つまみ者だ

獣の肉など、食いやがる

 

惨いことに、犬彦自身がいまや「獣の肉を食らう、かつて人間だった者」になっているという仮定がひとつの可能性となる。

 

首を失ってなお、水生村の森へ帰ろうとした意志は猟師だったならばおかしくはない。

首に刺さった刀は、人間らしい心が残っていた頃の自刃未遂の跡だったのかもしれない。

 

 

しかしこの仮定が真ならば、捨て牢は田村時代の時点で人格の交換技術が確立されていることになる。

(あるいはそれが「御霊降ろし」と呼ばれるものなのかもしれない。)

 

 

 

獅子猿の刀

 

2体目の巨大猿は謎として残る。

ひとつの可能性は黒の不死斬り、開門の力である。

 

・犬彦が黒の不死斬りを知っていた

・獅子猿が黒の不死斬りの実物を持っていた

・国盗りの捨て牢解放戦などで黒の不死斬りを持って竜胤である巴を傷付けるほどの善戦をした

 

条件がやや厳しいがもし揃っていれば、弦一郎と同じく、自らの首を切り落とすことによる開門を望んでもおかしくはないのかもしれない。

犬彦の人格ならば、最期に(全盛期の姿の)小太郎の復活を乞うかもしれないのである。

(蟲がいるので、半兵衛同様に自刃はできないのだが。)

 

獅子猿の残した咆哮は、

あるいは、何かを乞うものだったか…

 

登場と退場のタイミングを考えるとその願いは

「次に自分が生まれ変わった時、共に生き、共に死んでほしい」

といった内容のものだったのかもしれない。

 

 

犬彦が生業としていた黒松脂採取と黒の不死斬りは何らかの関係があるのか、

または道策・道玄などの捨て牢博士から用意されたのかなど

その辺りはいまだ予想がつかないので開門説は想像のその先がない。

 

蟲憑きであるはずの大猿の顔になぜか傷が残る理由や、一心が不死斬りを持っていた経緯に繋がるのかもしれない。

このあたりは田村時代の捨て牢についての考察時にでも再度見直してみたい。

 

なお獅子猿のねぐらにも、満月は見えるようにも思われる。

 

 

太郎兵たち

 

小太郎の名を継いだのが猿の太郎兵たちであり、太郎兵に食べさせる柿が太郎柿であったならば

獅子猿こそが初代の太郎兵でありネームドとなった白い悪魔である。

太郎柿も捨て牢で開発された、人工兵士たちの成長を促す特殊な品種なのかもしれない。

 

またあの長過ぎる刀は初めから生体兵器である獅子猿に持たせるため専用に作られたと考えるのが唯一、納得がいくサイズ感でもある。

 

 

白い二刀流の猿についても、獅子猿と同様に人間の人格を移植されてしまったと考えればその技術や強さは理解できる。

ただ同じ白猿である獅子猿が刀を一本しか所持していない理由は、今のところ不明である。

 

考察を続ければ、その空隙にいつか開門が違和感なく嵌まるのかもしれない。

 

 

 


 

仮定が多く開門については若干の消化不良ですが、各テキストの読み方によっては様々なドラマが浮かび上がることが想像される考察になりました。

また捨て牢の歴史は案外長く、その技術には予想以上に非倫理的・超自然的な力があることが朧げに見えてきたようにも思われます。

 

捨て牢は忍び義手や隻狼自身とも何らかの関りがあるように思われるので、今後も考察を継続したいと思います。

 

 

次回は犬彦が村へ案内した「彼の女たち」の足跡について。

 

参考:

サルタヒコ - wikipedia …猿であり道案内であり蟲とも縁のある神。

 

関連記事:

【隻狼】新隻狼考察④_誰が為の葦名

【隻狼】新隻狼考察⑤_獅子猿の主

【隻狼】新隻狼考察⑥_お凛の足跡





ブログランキング・にほんブログ村へ

拍手[0回]

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
MY BEST BOUTS.
お気に入りバトル映画や漫画の作品紹介。

[映画/ドラマ編]

[Comic/Anime/Game編]

[小説/その他編]

プロフィール

Author:くらげ

(twitter:コチラ)

P R
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]