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謎の男「作左様」について、更に考察を進めます。
結果、九郎様ほか「変若の御子たち」の家系がまとまったように思われたので、図にしてみました。
作左の過去
前回の考察で「お凛」の名を考察したが、
「作左」という(奇妙な)名についても同様の見方で考察を試みる。
亻:カタカナの「い」に似る。
乍:やや強引であるが、書き順などから平仮名「た」と似た線形をしていると言えなくもない。
左:そのままだと左でしかないが、筆書きで崩すと平仮名の「ち」に似るともいえる。
「いたち」。作左のもうひとつの名なのだろうか。
前回の考察を前提とすると、鐘鬼のお堂に閉じ込められた凛と縁を持ち、そこから逃し護りぬく実力を持っていた「イタチ」はおそらく寺の忍び、らっぱ衆である。
そして同じような名を持つ老らっぱ衆「ムジナ」の存在が、「イタチ」の存在に無視できないリアリティを与える。
こいつぁ、俺の…ガキの墓だ
ムジナの「死んだガキ」とは、イタチこと作左だった、と仮定すると何が見えるか。
ムジナは結局は自分も寺と決別することになり、かつて凛と共に逃亡した息子の評価を急に改めたのではないか、と
それは突然に息子の墓を訪れた理由の判明に繋げられる。
ガキが、いなくなったあと…
何やら急に、らっぱの任が、面倒になってなぁ
息子が「死んだ」のではなく「いなくなった」と表現した理由も、ここで判明となる。
だが、受け継がれてきたものは、何かと重い
手放したくなる者がいても、おかしくはない
かつて手放したのはムジナではなく、らっぱの若長、作左こと「黒笠のイタチ」であったのだろう。
凛との出会いの場所に残された木片は、盲目で文字も知らない御子に「イ」「タ」「チ」の名を教えるのに使われたものかもしれない。
ムジナの一族
下手な字で、何か書かれている
「ムジナから、テン吉へ」と読める
竜泉詣とは、風船を用いた水生村の祭礼と考えられる。
テン吉へ宛てたミブ風船の存在は、息子一家が水生村に住んでいた可能性を補強する。
そこから、テン吉はおそらくは孫、作左と凛の子の一人では、と予想ができる。
作左と凛の子といえば隈野陣左衛門だが、他にも候補がいなくもない。
シラフジとシラハギである。
なぜなら彼女らは年齢が陣左と同世代とみえることのほか、青錆の毒が有効なことから、変若の御子、比丘尼の血筋の女性と推定されるからである。
残ったのは、あの子だけ
比丘尼の血筋は輿入れしたため、この時代は葦名には凛しかいない。
凛と母娘である可能性は、年齢の点からも矛盾しないように思われる。
「シラ」=「白」は以前の考察のとおり変若のカラーを指すものを名に追加したのだと考えて良いだろう。
彼の女衆は、いにしえの淤加美の一族の末裔
葦名の救い主ともいえるかつての変若の御子が粗野な落ち谷にいる理由は不明だが、そこを根城とする旧葦名衆とは田村時代の捨て牢で接点が出来たのかもしれない。
従って、彼らの幼い頃は水生村の「はぎ」「ふじ」そして「じん」という姉弟だったと推測される。
そして考察が正ならば、彼らはムジナの孫たちでもあったことになる。(比丘尼の孫たちでもある)
それは田村時代に捨て牢に囚われ、帰りを願う唄の対象となった変若の御子たちである。
三味線一家
「ふじ」「はぎ」はそれぞれ植物由来の名とも思われるが、もうひとつ可能性がある。
「富士糸」「剥ぎ撥」、すなわち盲目の凛が覚えた楽器である三味線のパーツ名である。
「じん」というパーツは見当たらないが、三味線のネックの先の部分は「天神」という。
もしそれが元の名前であったと仮定すると、風船に書かれた「水生のテン吉」らしき名がようやくここに現れることになる。
父上から、霧深い隠し里のこと
聞いたことがござった
彼自身は実親を覚えていないが、幼少期に地下牢に囚われ、そこで親代わりになってくれた人の養子となった、と想像してもこれまでの考察とは矛盾はしない。
そしてもう一人、近い年代で三味線のパーツ名とも言える名を持つものがいる。
「弦」である。
葦名弦一郎は、市井の生まれである
水生村の三味線弾きの子供たちは、「げん」を含む四人であったのではないだろうか。
そして更に考察を飛躍させ、仮に一心の子である丈と巴が結ばれていたのなら、
凛が巴の実妹であるため、彼らは市井の生まれでありながら一心の外戚となり得たのである。
よくぞ我が孫、弦一郎を止めてくれた
陣左衛門の名は幼名のほか、実の親である「凛」と「作左」の音韻の名残もあるのかもしれない。
そう考えると弦一郎の名には、「凛」と「イタチ」の名残があるようにも思われる。
叔父上と九郎
叔父上の墓前以来か
ここまでの考察からは、弦一郎から見た「叔父上」とは母(凛)の姉(巴)の夫、すなわち「丈」が叔父上という位置付けに収まる。
九郎は先代(一心)の御子である丈の墓前に立てる立場であることと、
平田屋敷において梟にマークされていない存在であったことを合わせて考えると
「凛」の血筋:平田から葦名に米を提供する役割をもって表に知られた変若の御子たち
「巴」の血筋:有事の際の隠し御子、更に隠蔽のために男子として周知された裏の存在
と仮定してもいいように思える。
つまり九郎は巴と丈の子であり、平田屋敷の隠し部屋の主であったのだろう。
貴い御血を、お守りしたいだけにございます
だからこそ平田を襲った時点での梟は、表に知られた変若の御子こそ殲滅したが
「御子でなく」「男子である」九郎を見落とし、後に判明してから奪いに来るという行動理由にも繋がり得る。
(警備責任者である「本物の」梟ならばあり得ないことでもあるが)
不死の契りを、俺と結べ
弦一郎と九郎は母同士が姉妹、即ち従兄弟同士の関係となる。
また弦一郎が葦名に引き取られ跡継ぎとなったのは一心の孫としてなので、おそらくは義理の兄妹でもあるのかもしれない。
以下に、現在までの考察から、「巴の一族」こと変若の御子たちの家系図を表としてまとめる。
(「=」は夫婦、「/」はスペースの都合で兄弟姉妹の同時記載)
八尾比丘尼(破戒僧) = 水生の神主(ぬしの世話係) |
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┌─ |
┌─ |
│ |
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宮の老婆A /老婆B |
巴=丈 (一心の子) |
凛=作左 (ムジナの子) |
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│ |
│ |
─┐ |
─┐ |
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│ |
シラフジ /シラハギ |
陣左衛門 (テン吉?) |
弦一郎 |
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│ |
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九郎 |
│ |
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仙峯寺の御子 / その兄弟(屏風の猿たち) |
考察が正なら、九郎はちょうど九番目の変若の御子となる。
(男子の変若の御子は特別な力は持たないようではあるが)
寺の御子たち(屏風の猿を含む)はシラフジまたはシラハギの子、九郎の年の近い甥や姪となる。
寺の御子は、九郎とは平田屋敷では姉妹のように育った間柄であったかもしれないが、九郎という名は偽名のためか知らなかったとみられる。
竜の帰郷エンディングでは彼女の元に九郎が運び込まれるため、もし彼女の目が見えていればかなり違った展開になったのかもしれない。
この葦名は、俺の全てだ
ここまでの考察から、弦一郎の親戚たちは葦名のあらゆる場所に散っている。
その生い立ちから彼は竜胤を断つのではなく共存の道を模索し、九郎と道を違えたのだろう。
外から来たものが、伝えた技ゆえに
巴が異邦人なら弦一郎にとっては母も、更には自分も異邦人になってしまう。
また葦名衆は竜胤との関わりを断つべき、という思想は父母の関係を完全否定する。
その点では葦名衆の独立不羈にこだわる一心「葦名流」とも反りが合わなかったのではないだろうか。
親たちの心
作左様…
どうかこの子を、この布でおくるみください
作左に敬意を払うこの文章は凛でなく、その母の比丘尼が、娘が世話になった婿の作左に宛てたという読み方でも文脈に矛盾はない。
この布でおくるみ、とは(愛妻の輿入れを)見送る(作左の)身、を意味する可能性もある。
竜泉詣では桜色の布をあちこちに下げることから、その「布」を首吊りに利用したという読み解きになる。
なお今も残っているライトアップ首吊りは、凛に現実を気付かせるため比丘尼が作ったダミーと思われる。
作左が実際に吊り下がっていたのは、今も村人が手を合わせたまま固まっている場所、村の常桜だったのかもしれない。
開門の発動直前に死んだので、本当の彼の肉体は既に朽ち果てたかに思える。
(父親のムジナが回収し、落ち谷に葬った可能性もそういえばある。風船を持ったままであることから彼はその日、テン吉に会えていないが会いに来たのだ)
村の入り口を不自然に崩したのは、工事のための人手が使える一心かもしれない。
新たな犯人像
盲目の妻が三味線で稼いでいたことから、夫である作左は身体が不自由になっていた可能性もある。
逃避行に負傷したか、あるいは竜咳を患っていたのかもしれない。
ならば今生の別れとなる妻の「輿入れ」を前に、彼は生活不安と寂しさから悲嘆にくれ自決をしたのか。
母が死んだのち、葦名に引き取られた
しかし親戚となった一心は身内の世話くらいするはずである。実際、一度に両親を失った弦一郎やフジハギは引き取っている。
なにより輿入れ当日の朝に首を吊ると、愛妻を絶望に落とした上で別れることになる。
タフで頭もいい作左が、最後にそのような裏切りを行うとは考えにくい。どうしても死にたかったのなら、輿入れ後である。
自殺の動機がないなら答えは絞られる。
作左は絶望を与えるのに効果的な祭礼の日に、他殺のうえ目立つ場所に吊るされた可能性である。
「その日」の水生村には殺意を持った不審者がいた。
巴の輿入れに乱入した者、つまり開門の暴走を引き起こした水生村事件の犯人である。
その殺意は源の香を作る現場にいた巴や一心たちのほか、御子を寺から奪った作左、逃げた御子である凛にも向いたということであれば、
その者は凛がいた時代の仙峯寺の関係者だったのではないか、という予測が水生村事件の犯人像に追加されることになる。
元は寺を護るための忍びであった
御子である凛と、らっぱ衆の若頭に同時に逃げられた仙峯寺。
結果、蟲憑きの首脳陣は米不足で行動不能となり、更に田村と一心の戦いも始まり、寺は混乱の渦中に叩き込まれたと予測される。
我が弟子は、みな道玄の元へ去った
そこからおそらく仙峯寺の僧侶たち、すなわち師弟たちは田村につく側、一心につく側に割れたのでは、と推測すると
水生村事件の犯人となったのは、かつて田村側についてしまい勢力争いに破れた「寺の落ち武者」という線も成り立つ。
それならば水生村のその日、作左、凛、そして一心を狙う動機は「恨み」の一点で明らかといえるだろう。
仙峯上人が、らっぱ衆に授けた飴
元とはいえ寺の者ならばこちらも元らっぱの可能性が高い。月陰の力も借りたであろう犯人の隠密行動は、一心への最接近をも果たした。
だが飛び猿は、左の腕と共にこれを失った
しかし彼は作左と凛の暗殺に成功するも、一心の暗殺にだけは失敗する。
だがそこで、源の香と「死なず」となる村人たちを目撃した犯人は、混乱の中逃げおおせたことが
さらに他のテキストから読み取ることができるのである。
今回の考察はここまでで区切りとして、
寺の両派のリーダーと予測される、道玄と道策の対立については項を改めてまとめたいと思います。
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