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葦名における「忍び」の定義、そして炎上する鉄器の謎解きについて。
忍び衆と鉄器
終盤の忍び義手には、数々の恩寵が宿る。
竜や人の魂が物品である忍び義手にリアルに移っているという仮定は、これまでの考察、魂が移動し所有されるルールの上に立つならば、全く想像もつかないものではない。
そして「忍び」たちが己の命を軽視し死を厭わず、自他の命を物品のように扱うのは
忍者の精神修行の成果ではなく、それら呪具の精神が身体に「忍び込み」操っているからではないか、という疑いが本稿の起点となる。
久しいな 御子の忍び
忍びの掟は忘れまいな
落ち谷の飛び猿と呼ばれた忍びが、かつて愛用した忍具
葦名では「忍者」という単語は一切頑なに使用されない。
また隻狼の服装や戦闘スタイルは、普通に考えるならば忍者のそれではない。
実は「忍び」という語を特殊な意味で用いているのでは、と疑うに足る環境であるといえる。
文字通り、心の宿る刃こそが、葦名の忍びなのではないか。
自分の魂、人格を物品に移しこむならば、これまで予想していなかった、断つべき「不死」の一形態である。
では忍び義手に人格があり、隻狼はそれに操られているのか。
だが隻狼が手放さないのは、忍び義手だけではない。
楔丸もまた、文字通り死んでも彼が手放すことのない相棒である。
仮に忍び義手の人格が隻狼を操るのなら、それは仏師と同様の人格となるだろう。
だが彼と仏師は人格面では似てはいない。
そして忍び義手の主は、九郎ではない。
隻狼と楔丸の所有者は、共に九郎である。
彼の心に忍び込み操っているのは、実は楔丸の方の人格ではないだろうか。
心まで無くしたか
オープニングで拾われ裂傷に反応しない幼少期の隻狼は、とある刀を拾い上げた瞬間から、刃を恐れる本能を侵食され失った、という見方もできる。
あの夜のこと、覚えておらぬのか
隻狼が平田で死して楔丸を失い、目覚めたのちは過去の記憶がないというのは
隻狼本体の人格は御子と会ったことがない、あるいは刀と本体が長く離れたことで
刀側あるいは両者の記憶が一時リセットされた等の理由によるものかもしれない。
葦名の庶家である、平田氏に伝わるもの
失っていたが、再び狼の手に戻った
頑健な肉体を楔丸が操り、語り、時に肉体を蘇らせつつ主の九郎に従い不死を倒す。
楔丸こそが「御子の忍び」と呼ばれた無慈悲な心持つ刃であったのではないか。
そもそも死んだあと、蘇るかどうかの選択は実際に死んだ方の人格には不可能である。
しかし忍びは隻狼だけではない。
忍び衆は葦名に無数に存在する。以下に「鉄器」との関連を整理してみる。
百足衆:人格なく身につけた鉄器に操られているのでは、という仮定は逆にすんなりと納得がいく。
寄鷹衆:人格は薄くとも存在するが、極端な命知らず集団であり、武器としては漏れなく鉄器を持っており条件は満たす。
はぐれ忍び:忍具としては仏師は忍び義手、飛び猿は忍び斧、「せがれ」は楔丸である。
(川蝉は不明。泣き虫 or 鉤縄?)
らっぱ衆:鉄器を持ってはいないがこれは例外で、異なる「魂の依代」に操られていると考える。
上人より授けられた「飴」である。
弧影衆:葦名忍びではないため微妙な所。多量の兄弟は量産品?
賢すぎる犬は、忍びの影響下にある可能性はあるかもしれない。
他には大忍び梟についても、確かに大振りな大刀、加えて極端な人格変貌が精神支配の影響を思わせる。
影落とし、お返しいたす
もうひとつの魂が「影」と呼ばれるのでは、という以前の考察も否定には至らなかった。
なお忍びが影の心持つ刃ならば、「親」という単語の意味は改めて考察する必要があるようである。
忍び狩りが宗教者の姿なのも、一種のゴーストハンターである前提ならば納得がゆく。
次の大きな疑問点は、そのような魂の宿る鉄器の数々は、誰が、いつ、なぜ、どのように作り上げたのか。
ここまでで予想してきた葦名の歴史が、あくまで仮定だがそのすべてを示しているように思われる。
葦名のたたら場
磁鉄で鍛えると硬い鋼となる
葦名にとって磁鉄は、貴重な銭の種だ
葦名の地で産鉄、製鉄が行われてるのは、ほぼ確実な予測と言えるだろう。
そして隻狼の時代背景としては、製鉄は「たたら場」と呼ばれる人工施設で行われる可能性が高い。
しかし葦名の隻狼が訪れる範囲には、明らかに稼働中と見えるたたら場は見当たらない。
では前時代的だが、自然の地形を活かした「野だたら」がどこかに存在するのか。
野だたらの構造条件は「中空構造の坩堝」に「酸素を送り込む下部吸気口」「熱気を排出する上部排気口」、そして「鉄を流し出せる平坦な底部」が必要となるが、
この条件に合致する自然地形が、葦名に一箇所存在する。
「葦名の底」、獅子猿のねぐらと呼ばれる場所である。
だがそこは現在は使われてはいない。仮に大昔の野だたら場であったとしても、既に廃棄物の毒に満ちた遺跡である。
現在は蛇の目が居座る葦名の底に、かつて住み、炉を用いた者たちとは何者だったのか。
白木黒木の翁についての以前の考察に従うならば、葦名の古代住人は源の宮から白桜の一族により落ち谷に追われた二種類の民族、渡来人一族と黒松の一族のいずれかであり、
落ち谷上流の高い技術の石像信仰が渡来人一族によるならば、もう一方の黒松の一族が下流の住みにくい土地に追いやられたと見るのが自然であるように思える。
我らは異端、そして弱い民じゃった
当然に蹂躙され、服従を強いられた
ずっと、長い年月な…
特別な水場を奪われたその素性は、一心の回想と繋がる。
差別された彼らの末裔こそが「葦名衆」であったということになる。
ゆえに黒松は失われ、
その守り人もまた、嫌われ者である
ここまでの考察ではこの葦名衆は黒松の力、炎の呪術に長けていたと予想している。
彼らは本来であれば変若水を用いた死魂の転生で不死の存在であったが、
源の水を、祀ることさえ許されん
差別の末、その環境を奪われることとなった彼らは死と滅亡の未来を得た。その怨み、怨嗟は炎に託さざるを得なかったことだろう。
鉄屑は、砂鉄とは呼べぬほどに粒が大きい
葦名はおそらく質がよく加工しやすい餅鉄の産地であり、鉄の原料採取には川下にあることは有利となった。
そして川を用いて大岩を砕く鉄採取の方式は「鉄穴(かんな)流し」という。
それは形代流しと名称が非常に似ている。単なる偶然であるのだろうか。
刻まれた銘は、「奉魂」
それがこの短刀の真の名
偶然でないとすれば、彼らは砂鉄と共に己の魂を製鉄材料として奉じた証跡になる。
葦名の底へ行きたくば
身投げをするのが良いじゃろう
補強となるのは葦名各地に残る断崖信仰、投身で自決した事実の伝承である。
巨大な天然製鉄炉とされた葦名の底、
そこで燃料となったのは、絶望した人間たちの身体であり、魂であり、怨嗟であった。
裏付けるように、炉に飛び込むのに適した地形が「獅子猿のねぐら」内には確認される。
彼ら虐げられた民族は変若水への同化を諦め、復讐と狂気の鬼となり煮える赤鉄に己が身を沈めたのだ。
身を投げねば、辿り着けようもなし
地獄からの救済を担うといわれる、地蔵菩薩たちの見守る前で、葦名衆は怨嗟に燃えた。
一面の、葦名を焼き尽くすような、炎
何を供えようとも、それしか見えん
そうして大量の魂が苦痛の記憶と共に溶け込んだ溶鉄結晶は、偽りといえども竜の涙結晶に匹敵する異能を得たのだろう。
おそらくはそのために、聖地「身投げ場」の分祀は明々と炎光で照らすのが正式なのである。
怨嗟の鉄器
通常の製鉄と同様であれば、最初に排出されるのは質の良くない屑廃鉄である。
地に掘られた溝に沿って赤熱の鉄は無数の線となって進み、棒状から冷え、くねり、やがて多数の黒色の蛇状の鉄棒となる。
屑鉄でありながら怨嗟を含んだそれらが、人体を取り込み操る仮定に沿うならば、多数の黒蛇鉄の脚を与えられた者たちは、おそらく百足衆の原型となる。
彼らは正気を失い、鬼と化した。
次に玉鋼が排出される。原始的手法でありながら鍛造に耐える純度を持っているそれは、量は少ないが武器としての利用に耐えるものとなったことだろう。
そして怨嗟の呪炎を纏う数々の忍び鉄器が産まれる。劇中で自然発火する鉄は以下。
老一心の佩刀。
黒の不死斬り。
火吹き筒。
忍び斧。
火は帯びないが、あやかしを払ったという古刀の錆び丸も葦名の民の作と明言がある。
(ただし鉄に青錆はつかないので、怨嗟の鉄とはカテゴリが少々異なるのだろう。)
なお火槍は製法から見ておそらく火吹き筒のエンチャントと思われるので今は除外する。
そうして黒き刃、金棒持つ鬼となった彼らの悲願の国盗りは成り、葦名衆は落ち谷の主となった。
田村侵攻の遥か前、第一次の国盗りである。
屑鉄の毒性が葦名の底に溜まりはじめた頃、鉄器の技術、そして黒松の火術の血筋はやがて、鉄砲衆として落ち着くこととなる。
(とはいえ御子はなく、変若の祀りは大蛇への輿入れに頼るしかなかったようだが。)
瑠璃の浄化は、神宿り
凝った怨念は、その火に焼かれよう
そして流れ流れて忍び義手に仕込まれた古の怨嗟の鉄器は、やがて瑠璃の恩寵に浄化を受けることになるのである。
楔丸はしかし、自然発火や浄化の対象とは無縁であった。理由は以下と予想される。
複雑形状で鍛鉄の技巧が高まっている寄鷹忍びの鉄器と同様、怨嗟忍びの兵器としての有効さが認められた古代葦名の後の時代に、
他勢力にその特殊な精魂製法を真似られた、怨嗟の炎とは無縁の新世代鉄器だということである。
草火丸
人の魂が物質に宿るには鉄に直接溶けるほか、葦名では他に二つの道がある。
ひとつは竜胤に吸収され、その涙または赤子から取り出せる「桜雫」となること、
もうひとつの可能性は運にもよるが「お宿り石」の形成と摘出である。
源の水を長く飲んでいた者は、
身体の内に石が宿ることがある
これらを鍛冶材質とすることでも、おそらくは人は鉄に宿ることができたのではないか。
竜胤を武器に変えるのはまず材料が希少すぎるのであまりメジャーとは考えにくいが、
もし神や仙に匹敵する大量の魂を持つ石を用いたのならば、それは不死を斬るような神刀になり得るかもしれない。
お宿り石はそれに比べれば一人分の魂で、異能には欠けるが入手はまだ容易といえる。
この製法に着目したのは、おそらくまずは仙峯寺である。
お宿り石摘出が可能な腑分け場があること、(百足衆に比べ)新世代高性能忍び衆と思われる寄鷹との繋がりが槍術師(ゲルググ)などから察せられるためである。
敷地内のどこかに、たたら場と鍛治場を持っていると予想される。
ただし仙峯寺は各種技術研究力は異様に高いがオーナーがかなり変遷している認識であるので、どの時代に忍びを作成して用いたかは改めて整理が必要かもしれない。
そして忍びに着目したのはもう一勢力ある。
久しいな、御子の忍び
「御子」である。
竜胤の御子か、変若の御子か、別の御子か。これだけでは誰を指すかは判然としない。
かつて人であったが途中で刀になったということは、現在は不在で、その存在は明らかだが人としての死は確認できない者となる。
御子と呼ばれる人物そのものが刃になった可能性も、充分にある。
目的のためやむを得ず刃になったのならば、その御子に付き従うものは、斬るべきを斬った後には何を思うか。
人に返して差し上げたい
その小さな背中が、巴にとっては全てだった
楔丸に封じられた人格は、
一心様の御子、丈のものではないだろうか。
生死不明の御子など他にはいない。
一心の国盗りには重要人物ながら参加の姿は見えず、その後の酒宴祝勝会の各人の記憶にも姿は見えない。
かつて確実に存在し、エマたちと共に桜の下で笛を吹いていたにもかかわらず。
丈様が刀で腕を斬っておられた
ここで「丈様が刀」に着目したい。
古文における属格助詞は、「我らが殿」「我らの殿」のように「が」は「の」に置き換えられる。
つまり「丈様が刀」は「丈の刀」と読める。
丈の所有物の刀とも読めるが、かつて丈様であった刀、という読み取りが正しかったのではないだろうか。
斬っていたのは実は巴の腕、という以前の考察にも符合する。
(巴様が)「丈様が刀」で(自分の)腕を斬っておられた、のである。
そして幼い隻狼が拾うまで戦場に無造作に落ちていたのは、巴が片腕を失ったと見た戦況考察と合致する。
巴は丈が刀、楔丸を振るっていたのである。
梟が野良犬と呼んだのは、正式な忍びである自分と比較して、新造のはぐれ忍びに過ぎない丈を揶揄していたのかもしれない。
一心配下では新入りであった梟はそもそも楔丸回収任務に遣わされていた可能性もある。
丈が一心の御子で、御子の忍びが丈の魂ならば、弦一郎にとって母の姉の夫、叔父であると同時に異父兄でもある。
彼がライバル視していたのは「狼」ではなく「御子の忍び」丈であったのならば、延々と隻狼をそう呼び続けるのも納得がゆく。
丈様の咳は、ひどくなられるばかり
おそらく竜咳の原因は楔丸の影響力なのだろう。
人返りには、常桜の花と不死斬りが要る
なれど、花はあれども不死斬りはない
人返りとは、刀の魂を変若の御子が吸収し産み直す手法を指すのかもしれない。
その場合、すでに胎内にある竜胤は一旦排出しなければならず(混ざるため)、そのためには不死斬りを用いた涙結晶(桜花雫)の摘出が必要となる。
竜胤の血を受けた不死は、その主を縛る
「竜胤の血を受けた」は概念である混合魂に赤子の血肉を受胎、即ち懐妊させた、
相手である「不死」は今は刀となった丈、
その子を胎内に抱える「主」は当人、巴。
彼らは親子の情から竜胤を断てず、結果的にそれはおそらく九郎の誕生に繋がる。違うと思っていたがやはり九郎は、最も正しい意味での竜胤の御子であったのかもしれない。
斬り続けた者は、やがて、修羅となる
また魂の過度な吸収は、忍具の自我であっても負担に耐えられないものとみられる。
真言曼荼羅と同様、胎蔵界と金剛界は本質的には同等のルールであることが伺える。
楔丸の名には、願いが込められている
以上の考察が正ならば、葦名は歴史の裏面から独自の「忍び」たちの世界が生まれ、公然の武力として発展していた。
木と水の胎蔵の異能である変若に対する、
火と金の金剛の異能である忍び。
そこで用いられた「忍」は心ある刃であり、
「楔」は木の主の刀、丈であったのである。
ここまでの考察を前提として、葦名と人物たちを改めて考え見直す土台としたい。
鬼と天狗(山伏)は山岳系の被差別民族、製鉄者では、という予断をもってあたりました。
個人的には納得の整理。
考え始めたときには丈様のことは考慮の外だったのですが、こうなるから隻狼考察は面白いですね。
思えば胎蔵界は巴に、金剛界は丈にそれぞれ集約されていたというのも収まりが良いようです。
次回はようやく「隻狼」という人物について。
吉備津彦命 - wikipedia・・・日本一有名といえる桃太郎の鬼とされたのは、製鉄を生業とした被差別民族「温羅」といわれる。
関連記事:
【隻狼】新 隻狼考察⑰_平田の狼(金剛界)
【隻狼】新 隻狼考察⑱_平田の真神(仮)

樹、竜、炎、水、そして剣と魂。エルデンリングにも隻狼と同じような要素を感じつつプレイしています。
あやかしの棲家
首無しや七面武者については、これまでの考察でも正体の見当がついていない「物理法則から外れたモノ」である。
その青白く暗く湿った印象は印象だけではなく、その居場所には以下の共通点があるように思われる。
・水気ある、またはあったような地形
・日光の当たらない、当たりにくい場所
逆にその条件に合致する場所が他にあるかと考えると、捨て牢や獅子猿のねぐらなど葦名にはそういった場所が妙に多く、
またそれらは「物理法則から外れたモノ」、怪物だけでなく白い巨大な花や、手から米を出す人物なども「そういった場所」に多く連なっているように思われる。
思いつくままに挙げてみる。
解りやすい水洞
・捨て牢-地下水道
・獅子猿のねぐら
・氷洞の首無し
・獅子猿の水場奥(白い花)
・仙峯寺 胎内くぐりの洞
「水」が以前はあったような洞
・烏の友の供養衆の下の洞穴
・首塚の首無し
・鉄砲砦奥の洞穴
考えようによっては水洞
・鉄砲砦の奥廊下
・大地蔵の毒沼(葦名の底)
・ぬしの寝床
・毒沼の古社(乾き蛇柿)
・奥の院(お米)
・水生村の岩戸奥
・隻狼が目覚めた地下壕
・神域の巫女の石室
睡蓮、お米、白蛇、獅子猿など、ざっと見る限り「白いモノ」との関わりが多くあるように思われる。
蛇柿を宿す白蛇がいることから、死魂を集め結晶化し産み直す存在の場と仮定すると、
それは竜胤の揺り籠たる変若の御子と関わるとして、過去の考察の補強になり得る。
またこの「洞穴の(元)水場」周辺には塚や墓、骸が多いように見えるのも、産まれ変わりの信仰の裏付けとなり得るかもしれない。
(この分類だと首無しも白く赤子を宿した女性ではないのか、という発見もあったが考察は別途とする)
あやかしの霧
しかし基本的に葦名の変事の素は変若水なのだから、水場なのは当然ではないかという気もするが、
では川や堀ではなく壁と天井に閉じた地形に「あやかし」が多いのは理由はないのか。
仮説として、変若水とは実は液体ではなく水蒸気、白霧の姿のほうが「物理的法則から外れた力」を発揮する形態であると仮定はできないだろうか。
であれば閉じた水場は、変若水の気体が濃く溜まる危険な実験フラスコのような状態になっているということになる。
他に滝や森林も湿度は高いといえるはずで、変若水マイナスイオン効果の高い場所はいずれも物理法則から外れた状況に実際になっている。
変若の御子の異能が連続して使えないが自動回復する点も、それならば説明がつく。
異能のお米は、周囲の大量の水の気化がその素、つまり霧の呼吸チャージ式だったのだ。
お米が、たくさん実りました
そして平田屋敷の隠し仏殿も、炎の熱に乾く前、本来は水が敷かれていたのなら、
入口の座所は絶好の霧の呼吸チャージ場となる仕掛けの構造と読み取れる。
そして変若の御子たち、少なくとも九郎は平田にいたのである。
(追記:ゲーム本編ではないがアートブックの隠し仏殿の項がほぼ裏付けとなりえた)
源の水を、祀ることさえ許されぬ
このような地形こそが御子と水の祀り場だったとするならば、かつての「葦名衆」は変若水パワースポットを奪われ、結果として本来持っていた生まれ代わり手順が奪われる、かなり悲惨な形で虐げられていたのかもしれない。
しかし考察としてゲーム情報を眺めると、奇妙な水としての言及は多いが、気体についてのテキストや台詞は少ない。
が、決定的ともいえる言及があった。
源より流れ出ずる水こそが、香気の鍵だ
「源の香気」である。
このテキストは明らかに水は香気の元としか捉えていない。
源の香気、すなわち変若の水蒸気こそ、やはり源の水の真の姿ではないのだろうか。
つまり変若水が溜まる場所ならば、
あの白い、香気まとう花が咲いておるやも
そう考えると、この本文はガス場を頼りに花を探していたのではなく、
花を手掛かりに(利用または破壊すべき)ガス場を探していた、とも読み取れる。
(隻狼は「源の香気」という言葉の意を読み違えていたか、二つの意味がある前提となる)
水蒸気は雲である。雷を纏うこともあり、また渦雲信仰そのものが変若水信仰であった、とも繋がる。
またそういう意識で見直すと、葦名の屏風絵などは水表現のセットとして、雲表現がかなり多いことに気付かされる。
(余談だがやはり白-桜、と黒-松の対比図も多い)
そしてここで改めて雷返しの図を見ると、
それはあやかしの香気を抱き留め、高所へ帰る天女の図にも見えてくる。
そして葦名侍の足元に描かれているのは、水である。
巴の一族は、かつて源の香気を集め、
宮に至ったという
以前に、この絵のモデルはかつての破戒僧で、葦名のあやかしを回収、人の形で出産する揺り籠となるため源の宮から下天した、と考察したが、
それはこの変若ガス収集、および危険なフラスコとなり得る自然地形の破壊が具体的な作業であったのかもしれない。
彼女は源の宮から流れた水霧が死者の魂を吸い、本来の人間の法則から外れた怪物を産み出してしまうため、管理責任者として不死断ちのため葦名に降りて来たのだろう。
そのため、隻狼の時代では水が無いなど要素が欠けた姿の水洞が目立つのかもしれない。
そして破戒僧たる御初代は赤子として巴を産んだと考えている。
彼女らは取り込んだ複数の魂を合体させ産むシステムの一族と予想しているので、もしかすると御初代の魂も赤子である巴の人格に混ざったのかもしれない。
そうなると魂の抜けた御初代は遺体が残ってしまうが、彼女の遺体もまた人の物理法則から外れたものであり、葦名には残せない。
抜け殻ともいえる、母でありかつての自身でもある遺体の処理方法を考えた「巴」は、
死なずが都合良いだろう
処理の難しい「蟲」と組み合わせて持ち帰って宮の門番にするというダイナミックな活用で「宮の破戒僧」を生み出したのならば、話の筋が一応は合いそうである。
ブッ飛んだ判断というべきだが、今後だれも宮に入れないよう、徹底した不死絶ちを試みたというならギリ納得がいかなくもない。
またこのように葦名の霧、変若水蒸気こそ危険という正しい判断があったからこそ
内府軍はやたらと炎を用い、湿気を追い払う攻撃を行っていたとも読み取れる。
(そして「風」もまた、妖しい霧にはおそらく有効な術といえるだろう。)
御霊の溶媒
葦名において誰かの中に誰かの死魂が移動する現象は、過去考察からの流れもあり、隻狼の深部を知るには避けられない前提のように思われる。
魂は変若水に溶け、霧となり、あるいは形代として、吸われた誰か、またはその赤子の中に蓄積する。
それを繰り返し「人」の魂を「山」のように抱えると「仙」となれるのかもしれない。
あやかしの霧が仙を産む反応の実験室、それが自然あるいは人工的に存在するのが葦名の呪いであるのならば、皆殺しによる死魂全回収は解法のひとつとなり得る。
あるいは涙の結晶(花?)でも、大量の魂をパッケージ化して取り出せるようでもある。
ただし力のあまりないものが吸魂を無制限に重ねすぎて失敗すると、おそらく内面の多重人格化に「狂う」。
狂ってしまい
誰が誰だかわかっておらぬ
代わりに差し出すものなくば
やがて狂う
体内に入り込んだ魂たちを統御する強い意志、あるいは影響なくカプセル化する(「記憶」「残滓」に留める)特殊能力などが必要となるのかもしれない。
そして魅入る、降ろす、といった単語もそうした魂の侵入を現すものではないかと以前に予想したが、
実は「忍び」という単語も、その「魂が肉体を離れ別なものに忍び込んだ」「そしてその物体を所有したものの心に忍び込む」ことを指す可能性はないだろうか。
誰かから誰か、では密かに忍ぶ印象はない。
誰かから何か、そして何かから誰か。
物体、つまり武器などでの魂の媒介である。
忍殺は、忍びにとっての息継ぎである
殺すとともに、忍びの呼吸で体と心を整える
見切ればすぐにも殺せるではないか
忍びは、そう考える
生命の吸収という、変若水に匹敵する異能。
自身の人格と人命の軽視、身と心の分離。
それが呪いの武器の精神であると考えると、妙な納得感と共に、形代を燃料とする忍び義手の存在が、不気味なものとなってくる。
葦名は「武器憑き」が「忍び」と呼ばれる世界ではないのか、というのは果たして飛躍が過ぎる考えなのか。
しかし液体状態からの凝縮とは水だけに起こる現象ではなく、
その願い、ときに刃が汲むこともあろうか
鉄を精製する過程においても、起こり得る現象なのである。
今回は魂を溶かして産み出す水の観点から。
隻狼の正体を語る前提の更に前提となる内容ですが、これまでのまとめっぽい感じにもなりました。
次回は仙峯寺は仏教ではないのでは、に続く大前提ちゃぶ台返し考察(?)、
「忍びは忍者ではないのでは」説について。
七面武者の正体も実はアイテム…?
関連記事:
【隻狼】新 隻狼考察⑯_平田の狼(胎蔵界)

今回はブラボ考察の後、その結果得た情報を隻狼の読み解きに反映してみるという
相変わらず個人的な納得追求トライです。
なお前回、ブラッドボーンの主人公の狩人の正体はウィレームであると読み解きました。
大前提として、究極の上位者になるというED、また「人形」やメンシス学派との関係性などはプレイヤーの思惑に関係なく
「断片テキストが示す公式(過去)設定が主人公にある」としなければ考察にならないため
(ただし各人の想像したキャラ、想像した物語が唯一の正解という考え方は誤りではない)、
あくまでゲーム制作側の構想を追うスタイルとして、主人公は隠された特定のストーリーを持ったもの、
プレイヤーのまだ知らない人格を持ったもの、とする前回の考察結果が今回の前提となります。
以下になります。前置きの話が少々長いです。
はじめに
ブラッドボーンの物語は、正攻法では解くことが出来ない。
すべてのテキストが精査され尽くしている現状なお、内容がほぼ解ったという考察が皆無に近いのは、
正道として単純にゲーム内文章の断片を正しく繋ぎ合わせれば、隠された情報に近づけるものではないことを示していると言える。
ブラボの解法はテキストを繋げて正解を得るのではなく、テキストや観察結果に逆らわない範囲内で矛盾しないストーリーの仮定に向かっていくしかない、
つまり公式テキストを綱渡りの綱でなく、道の左右を押さえる迷路の壁と見なす必要があると予想される。
時に途切れ途切れの情報迷路を進むには、邪道を行く心構えが必要である。
邪道のひとつはあえての飛躍である。
仮説を大量に立て、どのテキストにも否定されない僅かなものを有効仮説として
次の仮説の前提として活かしていく流れを作ることで、本編テキストという決して超えてはならない壁の内側を仮定の線で満たしてゆくスタイルである。
(そうすると待っていたかのように新たな扉が見えてくるのがブラボ/隻狼考察の醍醐味である)
「これらのテキストから〇〇ということではないか、しかしこのテキストでは…」の思考の繰り返しである。
邪道のもうひとつは意地悪な読み方を意図的に「仕込んである」という前提での読み解きである。
例として「ヤーナムの民」というテキストは第一印象ではヤーナム市民と読んでしまうが
ヤーナム女王の臣民、つまり地下ダンジョンに跋扈する怪人たちと読むこともできる。
すると以下のテキストは、怪人の異常性について述べたものであり、(こちらの方が重要だが)ヤーナム市民は普通の人間が多かったことを否定するものではなくなるのである。
ヤーナムの民の多くは、血の常習者である
これにより「しかしテキストでは」の壁を破壊できることが(非常に)多い。
人ならぬ穢れた血族が生まれたのです
「血族が生まれた」も同様である。
・血族そのものがスタートした
・血族の末裔の赤子が生まれた
いずれも「血族が生まれた」で表現できる。
後者を採るならば、血族そのものはビルゲンワースよりも前から存在していて良いことになるため、時系列の無理や矛盾に見える箇所を解消できる。
(ウィレームが学長を務めた時期だけで、特定の一族代々の繁栄は不可能と思われる点)
他にも教会と医療教会を別物と仮定するなど、思い込みを廃することで壊せる「テキストの壁」は無数に用意されている。
医療教会では、神父という敬称は使用されない
この仮定の上では、旧教会は「神父」がいたが、医療教会は「神父」がいないと自然に読める。
ガスコインが現実ではどちらに属していた狩人であったかも明確となる。
また医療教会は教会の「聖布」を引き継いでいる旨の情報追加が得られる。
(蛇足であるがガスコインは医療教会の神の聖体=主人公、の岳父とも予想される)
いずれもこれまで隻狼考察で行ってきたアプローチの適用だが、それにより得られたブラボの物語は前回考察のとおり、ほぼすべてがテキストの壁の内側で「矛盾なく各情報が繋がった」形のひとつを得ることができた。
流れと全体仮説を以下に改めてまとめる。
前提-ブラボ考察の導入部
目覚めをやり直すことができる
夢の上位者と交信するための触覚でもある
これらの単語などから、地域性や時系列の矛盾、異様な都市の外観や配置は「(「夢の上位者」の異能で)悪夢の中に落とされているため」と大筋のツジツマを合わせつつ全体像の仮定ができる。
偉大なるものの知識に触れた人間の物
お望みの神秘がやってくるだろうさ
断片的ながら様々な情報から、主人公は夢の中で「瞳」「啓蒙」「神秘」にこだわる特殊な人物とされていると考えられる。
夢の中で探す、頭蓋骨の中のもの、つまり主人公は自分の頭内にある啓蒙の記憶を探している、という気付きがポイントとなる。
加えて、夢に落とした側もわざわざ「啓蒙」を奪う、つまりそれに何らかのコダワリを持つものである、という内容が「敵」の予想図に加わる。
あるいは今でも学徒たちは、講義室で師を待つのかもしれない
かつてビルゲンワースのウィレームは喝破した
夢は普通、夢見る者の記憶から形作られる。
近代的大学や中世の城の風景が記憶の一幕だとすると、「(人の一生ではありえない)多くを見聞した長命な特殊能力者」の存在が予想され、
悪夢は異能の特殊情報(啓蒙)を「与えた側」=啓蒙と瞳に拘る学術者、ビルゲンワース学長ウィレームの記憶である、ウィレームは長命な超人であった(故に啓蒙を得ていた)という仮定に可能性が絞られてゆく。
また先述の啓蒙について「狂人の智慧」「上位者の叡智」いずれも主人公の記憶である(主人公は狂人と呼ばれ、また上位者でもあった)という点とも結びつく。
堂々とオバケの話をするための大学を作るなど、狂人扱いも止む無しといえるだろう。
晩年、学長ウィレームはこの場所を愛し、安楽椅子に揺れた
主人公狩人はかつてウィレームと呼ばれた男と仮定したうえで、ウィレーム像は夢の中に別に居ることから、若い頃の狩人自身など別の姿も夢から探せる可能性の気付きが得られる。
なお夢の中のウィレーム像は学長というよりも法王のような大仰なデザイン(=ゴス)を着せられており、触手らしきものが発生している。
我らの祈りが聴こえぬか
夢の中でも狩人とは!
また終盤、「与えられたい側」であった元ビルゲンワース生、メンシス学派と主人公の関係(絡まれ方)から
自分の数百年の狩人生涯を「啓蒙」として教えた教授と生徒であったのではという点、
主人公を悪夢に落としたのは「夢の上位者」と組んだメンシス学派だったという点、
また教えた過去人生の内容が悪夢にフィードバックされているのではという気づき、
医療教会が求める瞳を授けるよう主人公(ゴース=メルゴー)に強要しているという気づき、
それはビルゲンワースでの学びで学長は十分と考えたが学生は不十分と考えたこと、
等々、不安定な想像を含む仮定の先でミコラーシュの台詞による「補強」に出会い、
またここまでたどり着くと情報は相互に補強しつつ拡がりまた繋がってゆく。
(白い多眼の存在への共通する憎悪や嫌悪感、ビルゲンワースが啓蒙を与える側から奪い隠す側へのシフトを示すメモ、等々)
そして2周目からは記憶から作られた悪夢の情報をひとつひとつ紐解き、学長の過去に何があったか、悪夢を作った側は何を憎み何を嘲笑う形で配置したかを調査検討する「読取りゲーム」を始めることができる。
ある程度仮定と否定とを進めると、「飛べない鴉が授けてくる瞳のような石ころ」にも意味を考えられるようになる。
以降の情報断片の再見直し、「否定されない仮説」群から組み立てた「ブラボ主人公の過去」の詳細については前回の考察参照。
(番外編)隻狼考察からのブラボ考察
墓地街ヘムウィックの産となるようだ
ごく簡単にまとめると、主人公の狩人は人として数百年前のヘムウィックに産まれ(血によって人となり)、上位者である血の女王の眷属となって働き(人を超え)、最後は人類の未来のため一度死を得て上位者である赤子に転生した(人を失う)。
その過去を踏まえ、特殊な怪物となったその「海底の老いた赤子」が、母の腹中で体験する悪夢と闘争がブラッドボーンである。
敵は悪夢のゲームマスターともいえる、上位者の瞳を与えさせようとするかつての教え子たち、および獣の病の原因の上位者たちである。
なお血の遺志である学長の魂は遺子となったが、死体は神の聖体として神の墓(地下遺跡)から拝領され、トゥメルと名付けられ臓器骨髄に至るまで完全バラバラにされた。それが先の骨髄の灰テキストの真意である(ヘムウィック産まれの者の骨髄から作られた灰)。
(なお墓守たるトゥメルの女王が代々継ぐ名は「マリア」である。刀を捨てた者、魂を与えられた人形、実験棟を救った者、主人公に対峙した者を含めると最低四人の存在が確認される)
悲惨な幼年期、一族の末裔、村の生き残り、暴力的過去、従軍経験、プロフェッショナル、過酷な運命と
主人公の生涯はキャラメイク時の過去設定すべてを満たす、長い人生でもある。
前提-ブラボ考察の結論の再確認
本編中の情報は以下ブロックに分けられる。
【過去】----【悪夢(ゲーム本編)】
【狩人の夢】
【現実現在】----【エンディング】
悪夢は過去を元に異常な圧縮再構成がされており、現在はエンディングに繋がっている。
狩人の夢は「現在見ている普通の夢」「現在かつ夢」のハブ領域となっている。
(墓石の「目覚め」とは「悪夢の攻略」を指す言葉と思われる。)
夢に気付かないまま組織や事件、事象を明確化しようとすると、現実ではあり得ない矛盾や無限ループによる行き止まりに延々とぶつかり続ける出口のない構成になっている。
(目覚めや灯り、ヤーナムと各「悪夢」に同ルールが働いていることが有力な証明となる)
吊り下げられた逆さまのルーン
自身の心の中に存在する、ハンターのシンボル
生まれる前の赤子は普通、母の胎内で逆さ吊りである。
現在の主人公=学長=上位者「星の娘」は海中の母体(ゲーム中で「エーブリエタース」と表記される異形。本体は腹中である)
現在の主人公=学長=上位者「輝ける星」、別名を「エーブリエタース」は自分の想い人の魂を持たせた実娘(人形/アメンドーズの双子の妹)の身体、「星の娘」の胎内にある。
腹部にロックできる巨大な異形は、「星」の眷属である上位者「星の娘、(および)エーブリエタース」。
老いた赤子の上位者を内包する上位者、すなわち再誕者やゴースの遺子は同じモチーフを悪夢の中で何度も、強力だが呪われた存在として用いられているものと予想される。
すなわち主人公は悪夢開始の時点ではすでに数奇な過去を経た結末、胎内でへその緒による「逆さ吊りの狩人」赤子となっており、現実の視覚はまだ得ていない。聴覚は母胎の子守唄を捉えている。
狩人の徴は現実の自分をイメージするだけで悪夢から自分の夢に帰れる道理である。
ちなみに本編(悪夢)中のアイリーンとデュラが語る「狩人の夢」は、「狩人たちの信仰/目標」という意味であり、古工房の記憶をさす固有名詞ではない。
メンシスが悪夢で得た巨大な脳みそは確かに内に瞳を抱き、だが完全な出来損ないであった
哀れなメンシス学派(出来損ないの元学生)の大半は夢の上位者メンシスに逆に利用され脳を奪われたことがわかる。
ヤーナムの悪夢は上位者メンシスの能力と予想され、血の遺志の収集が現実結果となる領域である。
まことに都合のよい技術である
学長はそれを利用して、メンシス学派を制した後、上位者狩り=上位者のすべての血の遺志が結晶化した青ざめた血、三本目のへその緒こと瞳の紐である「上位者の涙」の収集に用いたのである。
血の遺志のアイコンは「赤子がどれほどの魂を吸収できたか」を示している。
また血の遺志、啓蒙、の他に「何人の上位者を継承したか(へその緒使用数)」の見えないカウントがあるのは衆知の通りである。
青ざめた血を求めよ、狩りを全うするために
そして狩りは全うされ、すべての上位者の魂である瞳(涙結晶/へその緒)はヤーナムの悪夢の繰り返しを経由して胎内の赤子に宿った。
「学はないが特別な知恵」があり、疑い深い月の魔物は納得できる数の上位者の魂が狩人に宿っていることを確認し、ようやく自己を狩人に吸収させることに同意した。
すべての上位者の持つ膨大な血の遺志を自らに統合し、獣の病蔓延の原因、神々(上位者)を秘すという狩人学長エーブリエタースの大望は成った、
以上がブラッドボーンの神秘のストーリーであったと予想している。
君の過去は過酷な試練が続いた
それには意味があったはずだ
そしてこの結論は、隻狼に繋がっている気配があるように思われる。
ここから本稿の本題である。
血の遺志について
夢に依る狩人は、血の遺志を自らの力とする
死者に感謝と敬意のあらんことを
血に魂が宿り、特定の体質(白または黒)の者は血を流し殺した相手の魂を吸収できる。
それを無数に獲得することで、「獣」と呼ばれる人格混在での安定を得るか、「上位者」と呼ばれる一つの魂が体内の全ての魂を制御する形になるかのいずれかとなる。
これは形代のシステムに酷似している。
形代は心残りの幻である
ゆえに業深いものは、形代が多く憑く
怨嗟を多く取り込んだ者は修羅となる、それは血に酔った狩人が獣になることとほぼイコールに見えると言っても良い。
またブラボ上位者は特殊な瞳を授けると言われるが、隻狼にも拝涙ほか目や涙に特別な力が備わっている点は多く見受けられる。
特に赤目関連はその特長が顕著と言えるだろう。血の遺志は瞳に現れ、涙以外に首を落とすことでも上位者としての意識はおそらく失われる。
「下剋上」が可能なことが、隻狼で新たに示されていたのである。
首無し身体を制御する蟲に新たな考察が可能となるが、それは次回以降で明らかにしたい。
八柱について
ブラッドボーンの主人公狩人である上位者の集合体の赤子はエーブリエタース、酩酊者であり長じた(ably)八人(8th)であると前回予想した。
隻狼界にそれらしい八名がいないかという推測で眺めると、気付くことが何点がある。
まず仙峯寺御子の奥の院にある童子絵。
特別な力がありそうな八人が描かれている。
隻狼だけでは全く意味不明の八名である。
八つ手のうちわで神隠し
これも「八」関連を隠すものと読める。
また神隠しと神秘は、字義があまりにも似ている。
次いで身投げ場、および白蛇の社にある1+4の遺体。4人を吸収した1人が2組、と考えるなら、これは学長の赤子およびその母体と同数である。
学長が戦闘で吸収したパール、月の魔物、青ざめた月、メンシス
母体「人形」が飲んだマリア、血の女王、ヤーナム、オドン
これらの伝承さえも知っている者の墳墓ではないか、という疑いが持たれてくる。もしそうであるなら、隻狼には上位者狩り、獣狩りの夜の情報が流布されている可能性があるのである。
あの夜のこと、覚えておらぬのか
そして八人は九郎という名にまでも繋がっている可能性もある。
(なお筆者は現時点では、九郎は血の女王アンナリーゼの系譜ではないかと予想している。)
赤成り玉や赤目の数をかぞえると八つの転生の流れがあるのではないか、とも思えるが
この点は隻狼考察を進めることで自然と明らかになるだろう。
幻術について
眠っちまってる、お前さんの古い記憶を
隻狼の平田屋敷について、幻術は記憶をもとに別世界を再構築できる技術とみられる。
この幻術がもしもヤーナムの悪夢と同じものだとすると、その内部では血の遺志の継承、上位者の遺物である「涙結晶」の継承が可能なはずである。
では隻狼は平田屋敷で上位者から何かを受け取っているか。候補となる品は以下である。
一度目は桜雫。これまでの考察からも、実態はかなり「3本目のへその緒」に近い。
これは上位者狩りのシステムをそのまま活かしている可能性が予測される。
二度目は常桜の花。これは花が咲いた香木であり、形状からはあまり結晶感はないが
使い途が九郎に「飲ませる」という点は他の「涙」と共通しているという特徴がある。
またオドン教会を見るかぎり、上位者は仮の姿で幻術世界に入り会話などを行うことができた。
これらを渡してくれる者も、いわゆる「上位者」に近い存在だったのではないか、という示唆は貴重なものと思われる。
お蝶の特殊知識(啓蒙)の高さが伺われる所以や、仏師=梟説の補強ともなり得る。
そしてブラボでは、ヤーナム遺跡は地下にあり、またロマは「湖面の下」にいた。
ロマ戦は水面に逆に立っているように見えることから、上位者はみな地底、鏡の中の逆さまの世界にいるとこれまで考えてきた。
(聖杯は水面の鏡を作る道具ともいえる)
宇宙は空にある
逆さま世界の上空は、地底の深淵である。
様々な上位者の世界は円柱状で、地球が丸いならば中央にすべての円柱が重なる点があるはずなのであり、
それが「(他の上位者にアクセスする多次元の重なる点となる)宇宙は(すべての逆さま世界の)空にある」という意味とも読み取れる。
巫女は静かに眠っている
そしてロマと同様、仙郷も入口近くに水面があった。あの場所が逆さの水面下の世界であるとすると、仙郷に生えてくる植物は葉のないことから「根」の側だとも考えられる。
上下反転しても水中の根という見方に違和感はないように思われる。
そして桜竜もまた涙を残すことから、ブラボに登場したいずれかの(あるいは新しい?)上位者であるという可能性が想定される。
狼について
隻狼の主人公は狼であるが、ブラボには狼はいたのだろうか。
カインハーストの紋章は二匹の狼である。一般に吸血鬼は狼にも縁深いことから、カインハーストの騎士は双狼に象徴される存在であったのではないか、という予想が建てられる。
また、狼の異名を持つキャラがブラボにいる。旧市街の灰狼デュラである。
工房の異端「火薬庫」との交わりで知られるデュラは
ごく優しく、そして愚かな男だった
デュラの三人の仲間、最も若い一人が用いたという
悪夢ではない本当の過去では、カインハーストから来た主人公と、火薬庫、およびデュラは仲間だったのではと以前に予想した。
デュラと火薬庫は親交があり、加えてカインハーストから持ち込まれた武器を元に火薬庫が武器を作った形跡があるためである。
カインハーストの騎士たちが用いた独特の銃
カインハーストのそれは、より血質を重視する傾向がある
しかしエヴェリンのテキストでは、カインの騎士たちと複数形になっている。
いまや私たち、たった二人ばかりだがな
女王は二人だけと明言し、また銃器はブラボ世界の中世では血が火薬となる「黒の血質」の者しか十分に操ることが出来ないはずである。しかし、
貴公、よい狩人だな。狩りに優れ、無慈悲で、血に酔っている。よい狩人だ
だからこそ、私は貴公を狩らねばならん
デュラもまたカインの従僕の一人であり、また黒の血族であった可能性はないだろうか。
悪夢中の女王の台詞は、彼の裏切りの後の時点の記憶(再現?)だったという形に収まる。
その仮定は以下すべてを満たすことが補強となり、どのテキストにも否定されない。
・黒の血族の主人公や火薬庫と友だったこと
・主人公と思想の違いから対立した過去
・カインの銃器、火薬庫武器を扱えたこと
・貴族的な言葉遣い
古くから血を嗜んだ貴族たちは、故に血の病の隣人であり
獣の処理は、彼らの従僕たちの密かな役目であった
密かに獣狩りをしていた従僕たちという複数形も満たす。主人公とデュラはいずれも血の女王の従僕であり、(隣国)カインから来て(病が流行りつつある)旧市街で獣狩りの極秘任務を行うパートナーだったことになる。
獣狩りの目的は女王の懐妊に必要な、血の遺志の収集である。
しかし心優しいデュラは裏切り、対立する。対立の後は白の血、黒の血を否定するために彼は灰色を選んだのであるかもしれない。
貴公、まだ夢を見るのだろう?
であれば、あそこでよく考えなおすことだな
つまり彼らの「狩人の夢」とは任務達成による血の女王の懐妊であり、
二人ともが知っているが主人公のみが帰るであろう「あそこ」とはカインハーストだった、という読み方が可能となる。
つまりブラボの主人公、若き日のウィレームは片割れを失った双狼、
すなわち「隻狼」と呼べる存在でもあったのではないのだろうか。
それは隻狼自身に多く残る「謎」に繋がる重要な仮定となるのかもしれない。
以上がブラボから「得られたもの」となります。接続部分の予想の箇条書きで、結論のようなものはまだありません。
なおブラボセキロ両者は以上のように深いつながりがあるように見え、異能のルールや過去はヒントとして参考にしてはいきますが
あくまで隻狼は隻狼内の情報で解けるとも考えているため、今後積極的にブラボから引用していくつもりは今のところありません。
次回からは普通の(?)隻狼考察に戻りたいと思います。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
なお血族は代々「マリア」の名を用いているとみられ(超複雑な事情からですが)
「ロマ」は無思考人形、"robot" + "maria" であるのだろうと考えていましたが
「エマ」ももしかすると上位者を示す "ably" + "maria"、などであるのかもしれません。
まだまだ仮定以下の無根拠ですが、思いつきもまた重要なのでメモ代わりに。
関連記事:
P.S.
ブラボについては最後の記事になると思うので、改めてごく簡単に、年表形式に「過去」をまとめてみます。
「輝きvs穢れた血」の時代(中世)
・血族(上位者)、遥か過去から存在。
・宗教的な教会軍隊「処刑隊」が結成。
・処刑隊、ヘムウィック村の魔女を虐殺。
・処刑隊、女王アンナリーゼの城を襲撃、
ほぼ殲滅するも女王に魅了され壊滅。
「狩人狩りvs血に酔った狩人」の時代
・別働処刑隊、女王ヤーナムの都市を盗掘。
・狩人と呼ばれた彼らは血の病を持ち帰る。
・狩人狩りが対処するも、病により全滅。
・特殊な浄化の炎が市民の一部を救命。
(「病めるローラン」事件)
「連盟」の時代
・狩人に紛れていた女王の従僕「流血鴉」、
穢れた血をカインハーストに持ち帰る。
・落とし子として穢れた血族の双子が誕生。
・鴉は逃走し数百年ヤーナム遺跡に籠る。
・鴉は連盟の長となり、遺跡を封じる。
「獣の抱擁」の時代(近代)
・長、名を変えて人類啓蒙を志し大学設立。
・「裏切り者」考古学のため旧市街を発掘、
獣の病が再蔓延し、現地人の暴動を招く。
・学長、旧市街の黒獣を吸収し上位者に。
(「獣狩りの夜」事件)
・学長、狂人扱いのうえ見捨てられる。
・人類啓蒙の試みは失敗として大学解体。
・学長、赤子に転生。遺体は遺跡へ封印。
・遺体はトゥメルと名付けられ聖体となる。
・学長(赤子)とマリア(母体)、最後の学徒/最初の眷属となった実娘を地上に残し海中に沈む。
「苗床」の時代
・不良学生が聖体悪用し「医療教会」設立、
工房や狩人など旧時代の名称を流用のうえ、
故人ローレンスを勝手に初代教区長とする。
・脳の瞳を求め、孤児院を占拠し施術強行。
(「実験棟」事件)
・「マリア(ユリエ/ヨセフカ。実娘)」が事件を制圧。
・被害者をケアの上、学長(輝ける星)の「眷属」聖歌隊とする。
・聖歌隊、医療教会を二分、やがて制圧。
・ユリエ、吸収した科学者たちの血の遺志に狂い偽ヨセフカの人格に。
悪夢のヤーナム
・逃亡不良学生、上位者メンシスと邂逅、以後メンシス学派を名乗る。
・メンシス学派、学長沈降地域の漁村襲撃、メンシスの力で学長の遺子を悪夢に落とす。
・赤子の魂、狩人として夢の中に目覚める。
・母体の魂、使者を用いて赤子の魂と邂逅。
・悪夢を攻略、メンシス学派を神秘で制圧。
・ゲールマン、目覚めへ誘うも狩りを示唆。
上位者狩り
・学長、夢を自ら繰返し上位者に呼び掛け。
・上位者の魂「3本目のへその緒」を収集。
・実娘が偽ヨセフカとして悪夢に侵入。
・上位者「月の魔物」に逃げられる。
幼年期の始まり
・何度かの繰返しの末、上位者全てを収集。
・月の魔物を説得、血の遺志継承に成功する。
・究極の上位者、エーブリエタース誕生。
・啓蒙は忘れられ、人類史に平和が訪れる。

今回は隻狼考察の関連として番外編的な考察です。
吸血鬼やミイラや狼男など「ゴシックホラー」の要素をもって構成された隻狼の前ゲーム「Bloodborne(ブラッドボーン)」の考察まとめとなります。
(個人的には)「隻狼 (SEKIRO)」との関連・共通点となる設定が非常に多く見られると思われたため、簡単にまとめてみました。
いつもどおり「テキストをそのままの意味では読まない」と「隻狼の考察を輸入する」で得た内容なのでこちらもあくまで自己流考察です。
結論を先として、「Bloodborne」のストーリーをわかりやすく述べると、
ヤーナムはじめゲーム本編の奇妙な時空は、主人公にあたる上位者が人(眷属)だった頃、
古い上位者たちの情報を教授する「人類啓蒙」のため公開した数百年分に及ぶ『自伝』、
それを元にとある理由(瞳の伝授強要)のため、第三者が悪意をもって再構成した『悪夢』の中に
上位者自身の精神が「自分の過去に似た世界」に閉じ込められた際の出来事である、と読み解きました。
新旧市街が両立、騎士剣から銃まで登場、という時系列混合の理由は「夢」。
悪夢の中で示される情報を整理することで、一本筋の通った「過去」が見えます。
情報を細かく整理した結果、主人公の上位者は「転生」の途中にあり、海中の母体の腹中の赤子の状態と予想されました。
幼年期エンドで「再誕」し、母に抱かれるのは狩人様こと主人公、ウィレーム学長です。
すべて(一部対話を除く)は架空だが、読み取れる情報部品は『過去』を断片的に示し、
かつ悪夢の進行の中で主人公は他の上位者たちに呼びかけ『夢』を高次元として利用し
『現実』と未来を動かす試みを行っていたことが終盤のストーリーに繋がると考えています。
なお主人公は血の意志の収斂で血中に多くの狩人の情報を持っているため、
夢の中での狩人姿はおそらくそこから一人を選択したものとしています。
細かい点については、以下に。
追記:
「どうしてそうなるのか」という声を頂きましたので
読み方について次の考察に少し細かく追記してみました。どちらから見てもOKです。
(番外編2)【Bloodborne】ブラボ考察からの隻狼考察
http://panzervor.tou3.com/0004/sekiro_kousatsu_bb2
前提情報および気づきの共有
■隻狼からの情報として
・「超越者」(上位者)は自分の「涙」を特殊な血筋の者(白の女)に飲ませることで赤子に転生可能である(拝涙/瞳のひも)
(「転生」とは唐突なようだが、女性が吸収した全ての血の意志=全ての人格を自分でなく赤子に継がせる、の意である。作中の語で言うならば「再誕」の「赤子」にあたる)
・転生で産まれた人物は超越者の記憶や能力と、特殊な「瞳」を持つ
・白い一族は飲んだ魂を混ぜ綯い(呪い)産む力がある
・黒い一族は血が炎上爆発し、魔性の者を祓う力がある
・白黒どちらも殺した者の魂(形代/血の意志)を吸収し得る(黒は焼き消すことも可)
・一定以上の魂を集めたものが超越者となり、眷属の保持や転生を可能とする
■前提としての気付き
・「啓蒙」は異形に遭遇した瞬間にも上がることから、異形に関連する情報知識なのでは
・未見の狩人を召喚できるのは、つまり以前の経験を記憶(夢)の中で繰り返しているからでは
・「啓蒙」は記憶の一部分、何者かにそれを奪われて悪夢を見せられているのでは
→つまり主人公自身が「狂人の智慧」の狂人であり、同様に「上位者の叡智」の上位者でもあるのでは?
・何か目的をもってヤーナムの夢を見せられているのなら、カインハーストや辺境は雰囲気が異なりすぎる
→主人公の過去の記憶、主人公自身の姿が悪夢の中にある可能性もあるのでは。
補足として、主人公の過去姿と想定したのは特殊な血筋や二人限定のはずのカインの眷属、
および上位者とビルゲンワース学生以外で特殊な情報(啓蒙)を持つと想定される者、
「アルフレート」
「カインの流血鴉」
「さまよえる血の狩人レオー」
「連盟の長ヴァルトール」
「ウィレーム学長」そして
「上位者エーブリエタース」です。年齢順に並べることで、ブラボ世界の時系列の整理ができました。
(女王殺しやローゲリウスは確証持てず)
■途中段階での気付き
・「警句」の裏側と「教会」の非連続性。
・「夢」はいくつかの国家、また数百年分の記憶をひとつの夢としているのでは。
・「アメンドーズ」とは花の名の複数形。本来であれば女性に名付けられてもおかしくはない。
・「神秘」とは神々(上位者)を秘す意志を示した言葉ではないか。
・「星」「宇宙」は宇宙人的な外見と結び付けさせたフェイクで、実は比喩表現ではないか。
・エーブリエタースは腹部にロック可能。何かを妊娠している可能性がある?
ローレンスとウィレームはそれぞれ活躍した時代が数百年ほど離れており、
中世の教会と近世の医療教会は接続していない、と考えると情報整理や辻褄合わせが進みますが
「かねて血を恐れたまえ」の警句の記憶シーンが巧妙に「同時代のもの」として誤認させています。
他のそれぞれの単語も特に映像の印象からミスリードを誘う力が非常に強いもので、よく練られ考えられているという点はこういう辺りに感じました。
そして「すべての動機を明らかにし、台詞やテキストの辻褄を合わせる」を信念(?)として仮組みしたブラッドボーンの時系列整理は以下となります。
Twitterでまとめたもの(多少改版)をベースに、一見イミフな点もあるので一応補足を入れてみました。(それでも分かりにくいとは思いますが)
ブラッドボーン 時系列考察
【1】
主人公、中世英国の魔女伝説の村に産まれる
アルフレートと名付けられる
教会の軍隊「処刑隊」が魔女狩りで村を襲撃
しかし唯一生き残り、処刑隊の一員となる
魔女血族狩りの一端でカインハースト襲撃
しかし女王に魅了され、その眷属騎士となる
【1】補記:
・ゲーム本編の前に、とある人物の数奇な一生、「過酷な運命」が開始して終了している。
英国、エジプト、は正確には異邦とローラン/ヤーナム(イメージし易いためあえて明記)
・魔女狩りの想定は初期設定「村の生き残り」「暴力的過去」及び「従軍体験」より。
ちなみにハンマー、焼きごて、刃物といったヘムウィック衆の武器から「革製品の製造」を生業にしていた可能性が見いだされる。アルフレートの過去の「獣狩り」は文字通りのハンティング、家業の手伝いである。
・「特別な血筋」については隻狼より、主人公は血が燃える血族と想定。
(女王の台詞や、OPの炎上、血質による弾丸火力アップに用いている点が補強)
・隻狼より同様に、女王ヤーナムおよび女王アンナリーゼは魂が混ざる白い血族と想定。
・血液で回復する特殊能力はカイン眷属となった際の能力である。異様な長命(人の10倍程度?)も同様。
・武器として異質な車輪の狩人証は神秘属性から、現実には存在していなかった疑いがある。頻繁に反転する「正しい運命」の自己人格の評価?
【2】
エジプトで血族の遺跡荒らし中の教会に潜入
狩人狩りアイリーンの弟子となる
裏切って流血鴉となり、穢れた血を持って離脱しカインに帰還
しかしカインで産まれた血族の双子を残し逃亡
エジプトの遺跡を彷徨い「虫」などの知見を得る
やがて同盟の長となりエジプトの遺跡を封鎖
人類に啓蒙知識を与える大学を設立
ビルゲンワースと名付けたそこで
学長ウィレームを名乗る
【2】補記:
・「狩人が英雄だった時代」「もうずっと前の話」、宗教的遺跡荒らしの冒険者・古狩人の時代は中世。
医療教会の人さらいと墓荒らし、用心棒、および啓蒙の狩人である聖歌隊は近世の狩人たちである。
・アルフレートの情報は順序はバラバラだが「血をカインに持ち帰られた」「穢れた血族が産まれた」「その犯人はビルゲンワースにいた」事実関係は矛盾しない。
・狩人狩りは最初の「狩人」老ゲールマンが率いる黒の狩人「烏」の古工房。
ダンジョンから獣の病を持ち帰ったものを密かに排除する暗殺チーム。
某神父の教会かとも思われるがそこはまだ確証なし。
余談?になるが狩人狩りの裏切りは獣の病の予防の停止を意味する。旧市街の悲劇の引き金である。
・カインで産まれた穢れの血族は、二人だけの眷属となっていた女王と主人公の娘。
隻狼より、上位者の出産=転生と読み解いており、産まれるのは女性に限定される。
・アンナリーゼの血族=白の血族で、女王は瞳ではなく妊娠出産からの転生という手段を用いた。
「不死の契り」の相手は配下の眷属=主人公で、身分差から認知されないその子は主人公が気にかけるべき「憐れなる落とし子」つまりアメンドーズという名がそこに嵌る。
アメンドーズは本来は(桜に非常に良く似た)花の名である。
・複数形であるが独特の出産方法であり複数回ではないであろうことから双子の姉妹が想定され、しかし女王の魂を継げるのは一人であるため
必然的に双子のもう片方は魂なし=「人形」と呼んでも良い存在となってしまうと思われる。
・双子の姉である「時計塔のマリア」は両親、女王の魂と主人公の爆炎血質を継いだ。
なお「火薬庫」も偶然に?同じ爆血の血族だったと予想される(カインの武器を真似できたこと/名前があまりにもそのままなので)
・主人公の急な叛意は女王の転生に伴う魅了呪術の解除等かと思われるが詳細は不明。
アルフレートの怒りやヴァルトールの使命感から推し量るしかない。
・なお両親のない姉妹の運命は赤白リボン姉妹で悪夢中に表現されている。リボンはre-borne、再誕の「拝涙」である。
【3】
学長はしかし一般社会には狂人扱いされ
警句を作るも離脱者が続出し
残ったのは彼を慕う孤児院と
サイコなオカルト学生だけとなる
オカルト学生たちは「瞳」の力を求め
他人を意図的に病に落とし脳を確認する等
啓蒙知識を元に暴虐さを増していく
学長は神(上位者)と啓蒙を逆に徹底的に秘すことを決意
自ら海底神秘の上位者エーブリエタースとなり
孤児を使い啓蒙と聖杯儀式の隠蔽を図る
【3】補記:
・後述するが「君も裏切るのだろう」のムービーシーンに出ているのは初代教区長ローレンスではない。主人公ウィレームの記憶であり、ここでの「裏切り者」は名前不明の大学の教え子の一人であると思われる。
その証拠として、裏切り者が去った後の台詞まで含まれている点が挙げられる。
・ブラッドボーンにおける「神秘」は神=上位者に関する情報を秘匿しようという学長独特の思想を元にした能力であり、すべてエーブリエタースとその母体「輝ける星」、およびその眷属に関連する。
・「我々は~もっと瞳が必要なのだ」から「啓蒙的真実は、誰に理解される必要もないものだ」のテキストが心境の変化を示している。
啓蒙教育を「瞳」に擬えたのは上位者の転生(涙の転生による瞳移植)システムへの対抗、「人として上位者に伍するために」の意志から。
【4】
邪道のサイコ派は医療教会を建て非道な実験を行うも
正道の孤児院派=聖歌隊が浄化と粛清を開始
生き残ったサイコ派はやがて上位者メンシスと邂逅、メンシス学派を名乗る
「瞳」の力を求めて、旧学長が眠るイズの聖杯を掘り起こし
旧学長に無限の悪夢を与え、瞳を与えるよう強要する
メンシス学派と聖歌隊の暗闘衝突のさなか
エーブリエタース=旧学長は自分の生涯から構成された夢の中で再び狩人となる
【4】補記:
・「メンシスが得た出来損ないの脳」とは夢を扱う上位者メンシスが手に入れた、(「交信」などが大好きな)不良学生の脳である。
・近世の医療教会は中世の教会と時代的な隔たりが大きく接続はしていないはずで、おそらく勝手に聖杯探索+異能研究の後輩を名乗っただけである。
ルドウイークへの憧れがなぜか強い。
・彼らは「瞳」を「上位者から簡単にもらえるスーパーパワー」程度の認識でいる。
また「脳の瞳」と転生の瞳を混同しており、やたらと頭を開けたがっている。
【5】
夢のはじまりはビルゲンワース中期、
小さな医療福祉名目の教会を建てた頃
旧市街ローランの聖杯が発見され
異邦の研究者たちが訪れた結果
獣の病がヤーナム市に再流行、
病気持ち扱いの異邦人狩りの暴動に
教え子たちを救出に行った記憶から
しかし夢は次第に記憶の混濁となる
【5】補記:
・病気持ち狩りは市民の台詞から明らか。ホワイホワイ
水銀弾の車椅子の所にあった死体が教え子か?とも思われるが確証はない。
・大英帝国が植民地としていた時代のエジプトであれば、19世紀の東欧となる。
また時計塔や船渠など、ヤーナムの一部は英国の記憶が混ざっているように思われる。
・更に唐突なブタなど悪夢の製造元であるメンシス学派の悪意や想像、前述の通り主人公の深層意識の反映も予想され、市街の構造は混沌を極める。
・旧市街はローレンスの名から採ったと思われるローランである。古工房の時代から、埋もれて遺跡になるほどの歳月が経過している。聖杯の主は黒獣パール、炎上浄化に血を使い切って身を窶した火薬庫(powder-room)。後にビルゲンワースが撃破し学長が吸収したとみられる。
・当然、学長は事前にその危険性(獣の病)を熟知しており旧市街研究に反対の立場を取ったと予想される。それが研究熱心な考古学生の「裏切り」を招いたのだろう。
【6】
歴史上の獣化した人物を引用し
「恐れたまえよ、ローレンス」とした警句は
しかし根付かなかった
狂気的な実験カルト集団と化した
末期ビルゲンワースの患者救済を
献身的に支えた一人の女性がいた
【6】補記:
・中世のローレンスは近世の大学から見ると公的な立場上、存在は確実に保証され
獣化した頭蓋骨まで残っている「警句の証拠として恰好の、歴史上の有名人物」だったのである。
なお彼を初代教区長と勝手に呼んでいるのは後世の医療教会だけであり、彼は単に中世の遠征十字軍/処刑隊のリーダーである。
・ビルゲンワース末期と医療教会初期は重なる。漁村や実験棟の時期はここにあたる。
【7】
中世、上位者傍系血族に生まれ
存在の隠蔽で狩人狩りが預かり
老ゲールマンの工房弟子となる
そこで出会う眷属青年に惹かれ
しかし裏切られ涙を残して自決
数百年後、カインの双子の美姫
アメンドーズの一方(魂なき娘)に
瞳涙を飲ませ再誕
学長となった男の贖罪を補佐し
多数の瞳涙を飲み上位者を孕む
【7】補記:
・「女王の傍系でありながら、血刃を厭ったという」
時計塔のマリアと人形のマリア(双子のアメンドーズ)、および中世のマリアの三人がおり、これは中世の最初のマリアを指していると考える。
・古工房はヤーナム遺跡の狩人を狩っていたので、地理的に最初のマリアはヤーナム女王の血筋の上位者候補とみられる。(隻狼でいう白い血筋の女、変若の御子と同質)
・落葉を捨てた「古い井戸」は古工房であり、捨て方は自決であったと予想した。
落葉使いの主人公である流血鴉が、旧知のアイリーンを裏切り殺したことに気付いたものか。なお古狩人の遺骨はおそらくアイリーンのもの。
暗殺者なので「名前は知られていない」。
・白い血筋の女が涙を残すのは自決であり、後に「人形のような魂のない上位者の娘」にその涙を飲ませれば魂の挿入となるので、上位者の涙を飲んだ上での妊娠出産(「竜胤の揺り籠」)に拠らない復活の可能性はあり得る。「愚かな好奇」は一つの実を結んだ。
・時計塔のマリアの加速はゲールマン譲りでなく、父である「カインの流血鴉」譲り。
なお流血鴉は師のアイリーン譲りである。
【8】
アメンドーズは恐ろしい怪物だった、
という情報操作で存在を隠蔽、
失敗作患者達は眷属にして救済
ビルゲンワースは完全消滅し
医療教会の浄化と粛清が進むと
やがて学長(元青年)の雫も飲み
エーブリエータスの母体となり
ビルゲン遺構と共に海底に沈む
【8】補記:
・「小アメンの腕」が説明文含め胡散臭い内容であることからデタラメグッズであると予想した。属性が「神秘」であることも何か上位者の情報隠蔽であることを示唆する。
学長にとってカインと隠し子は「穢れた秘密」であり自伝からも隠蔽したのだろう。
・扁桃石は学生に見せたと見られ、石と腕からビルゲンワースの学生たちは憧れの上位者である怪物の存在を夢想した。そのため医療教会の上位者崇拝像の一部になっている。
・ビルゲンワースの遺構が海底に沈んだのはおそらく偶然の「星の小爆発」、即ち地震か噴火であったと予想する。
月見台の反対側、海側の門扉が、沈んだビルゲンワースの入口だったのかもしれない。
・ゲーム中の「眷属」属性はすべて狩人/人形の眷属を指す。海産物のためか雷に弱い模様。
【9】
腹中の赤子が悪夢に落ちた後は
赤子の精神=元学長の「狩人様」を
使者経由で探し出しサポートを行う
多瞳の白痴女、不浄再誕者だと
メンシス学派からの嫉妬は酷く
醜い多眼として悪夢各所に登場
堕胎薬の花の名に呪いを込めて
「ほおずき」女とまで呼称される
【9】補記:
・彼女は白の血族に連なる産み役(竜胤の揺り籠)であり更に上位者でもある「輝く星」である。腹中の存在が星の娘「エーブリエタース」。
向日葵から輝ける星を名乗ったのは子供的だが、孤児たちが名付けてくれたのかもしれない。そして偶然か海中にも「星」は居る。
・先述の隠蔽が効いてか、メンシス学派は彼女が上位者であるにも関わらずその存在を敬ってはいない。ただ涙/瞳をたくさん貰った不公平な女、として認識している。
下水道のブタも「全ての穢れを吸う」(これから多眼となる)彼女を罵った形である。
・ロマの子蜘蛛も再誕者の鐘女も、彼女と仲の良かった学長の孤児院聖歌隊を示したものと思われる。
よく共に歌っていたであろう過去はほおずきが示している。
【10】
学長は自伝の悪夢に彷徨うも
狩人時代の記憶をベースに奮戦
奪われた「啓蒙」を拾い集める
「ゴース(古風)」「ゴスム(愚か)」
「メルゴー(海ゴース)」と罵倒されるも
上位者の瞳涙転生に対抗する為の
「脳の瞳」とは特異世界の情報
即ち啓蒙教育だ、と理解しなかった
不良学生たちの精神を逆制圧する
【10】補記:
・ゴースはgoth、「中世風」であり長命の学長を多少揶揄した呼び方、
ゴスムはgossum、より直接的な「愚か者」という呼び方であり、
不良学生から学長への悪口と予想される。
(海外版のkosコスは言葉は異なるが類似の内容)
メルはmer、マーメイドのように海を表す。
・「メルゴーの乳母」は「学長を育てた女」、即ち狩人師匠アイリーンを表す悪夢オブジェクトである。最強狩人として学長が学生に伝えていたのかもしれない。
悪夢の終端でその姿で主人公と戯れたのは、悪夢の上位者メンシスである。
・「これが目覚め、すべて忘れてしまうのか」からミコラーシュは啓蒙知識を奪われ上位者の存在も忘れ、メンシスとのアクセスを遮断されたと想定される。
「内なるものを自覚せず、失ってそれに気付く」のが啓蒙の本質であり、神秘という上位者学長の本来の能力を用いたものだろう。
余談となるがメンシスの檻は単に啓蒙吸い攻撃から頭を守るためのものとみられる。
【11】
メンシス学派を下すも夢は続く
胎内の赤子の精神である狩人は
上位者メンシスと接触していた
夢の力を用いて他の上位者にも
共に赤子の魂に同化しないかと
転生の石「へその緒(瞳涙)」提供を
呼び掛けていたのだ
尼僧姿のメンシスは提案に同意
他の仮姿で集った上位者たちも
二人、三人とそれを遺す
【11】補記:
・テキストが存在しないのでエンディングから逆算しての補完であるが、実は彼方への呼びかけは「オドン教会に避難しないかという会話」に表現されていたという見方も可能であり、以降はそれを前提としている。
・別名「瞳のひも」とは、隻狼の考察から「固まる涙である」、「それは転生をもたらすものである」と解釈すると全体がまとまる。
(不死斬り相当がないのは不明。)
・主人公は人として産まれ(血によって人となり)、
人からカインの眷属になった際に一度産まれ変わり(人を超え)、
また上位者エーブリエタースとして再度の生まれ変わりを果たす(人を失う)ために
自分の生涯における「3本目のへその緒」を欲したのである。
【12】
ヤーナムの石、扁桃石など
母体が飲んでいた瞳涙の数々に
最後には月の涙までを加えて
全上位者との同化に成功した時
長い獣狩りの夜は終わった
【12】補記:
上位者と仮姿、転生の石については別途整理する。そこから浮かびあがるもう一人も。
涙を集め、すべての上位者を一体にまとめることで獣の病も、遺跡荒らしも、実験棟のような悪魔的研究も人類から隔離することができる。
「青ざめた血」「上位者狩り」「狩りの全う」の真の意図と思われる。
エーブリエタースは酩酊者(狩人)のほかably-8th(8人の上位者の混合)を指す名とも読める。
【13】
やがて眷属と聖歌隊の努力で
人類史から啓蒙(上位者やその眷属や聖杯の知識)は秘匿され
吸血鬼や狼男などは神秘の霧の向こう側のフィクションとされ
世界は無啓蒙な時代を迎え
獣の病もメンシス学派のような者も地上から根絶された
一人の狩人の手によって
そう、深い海底に眠る8人目の上位者と
知ってしまった貴方を除いては…
【13】補記:
そのために眷属は啓蒙を吸い、そのために聖歌隊は霧を撒く。
エンディングは現代に繋がり、またこのゲームそのものが上位者の情報(啓蒙)を示していることから、プレイヤーを巻き込むホラー的な締めが綺麗な形なのだろう。<お前の後ろに>
上位者関連考察まとめ
最後は一応伏字にしてみます。青空の中の、青ざめた月。
上位者ヤーナム | ヤーナム遺跡 | ヤーナムの老婆 | ヤーナムの石 | 「呪いのミイラ」 |
上位者アンナリーゼ | カインハースト | 娼婦アリアンナ | 扁桃石 | 「吸血鬼ドラキュラ」 |
上位者アメンドーズ | カインハースト | リボンの姉妹/人形 | 扁桃石 | 「フランケンシュタインの怪物」 |
上位者メンシス | メンシスの悪夢 | 尼僧アデーラ | 三本目のへその緒(1) | 「夢魔」 |
上位者オドン | 海中 | オドン教会の男 | 三本目のへその緒(2) | 「半魚人」 |
上位者パール | ローラン | 身を窶した男 | (異形本体の血) | 「狼男」 |
上位者「月の魔物」 | 月 | 偏屈な老人 | (異形本体の血) | 「ジキルとハイド」 |
上位者「輝ける星」 | イズの地 | オルゴールの娘/人形 | 涙石 | 「クトゥルフ神話」 |
上位者エーブリエタース | イズの地 | 主人公 | - | 「クトゥルフ神話」 |
上位者「青ざめた月」 | 狩人の夢 | ゲールマン | 三本目のへその緒(3) | 「透明人間」 |
※追記
もう一人「劇中のタイミングで新たに産まれた上位者」が居たことに気が付きました。
偽ヨセフカ、彼女も途中から悪夢の外部演者だったんですね。正体はおそらく聖歌隊のユリエ。
自ら手にかけた狂気の科学者たちの血の意志の吸収で闇落ちに至った血族の娘、
その行動と素性から主人公ウィレームの、学長時代に産まれた末娘、実験棟事件解決の実行人物であったと予想されます。
啓蒙の教師を辞めたのに、最後に学を教えたというのは親子であるなら納得のいく動機で
またそうなると上位者になり得る血はカイン血筋の母譲り、仕込み杖と戦技(秘儀含む)は父親譲りと考えられそうです。
末路は痛々しいですが父母に回収吸収されるのは救い。
これで月の魔物がなぜ、4本のうち3本でOKが出るのかの説明がつくようにもなるようです(ニュービーをまだ認識していない)。
以上が自分なりに読み解いたブラッドボーンの物語となります。
隻狼の考察内容を補強してくれるような展開が多く個人的には大変有意義でした。
この知見(啓蒙?)を、今後の隻狼考察にも活かしていければと思います。
なお考察もですがアクションゲームとしても非常に心地よく動かせるスタイリッシュな出来で、
武器防具のチョイスと成長などカスタマイズ性、見知らぬオンライン狩人との繋がりなど大変楽しめました。(一周しかしてないですが)
最初はヤーナムキャンプファイアーに葦名一心より苦戦してコントローラ投げかけましたが笑
見かねて(?)親切に声をかけてくださった方々に、この場を借りて感謝を。m(_ _)m
ではまた次の隻狼考察にて。
参考:
関連記事:
(番外編)【Bloodborne】隻狼考察からブラボ考察
(番外編2)【Bloodborne】ブラボ考察からの隻狼考察

今回は形代で読み解く葦名の呪いと、前回触れられなかった仙峯寺の特定エリアについて。
心残りの幻
まず以前の考察で、源の宮における伝統である変若水を用いた蘇生法「水生」の仕込みは、
白の不死斬りである「奉魂」を用いて身体の一部を切り出し水に溶かすのだろうと予想した。
白い刃で削り出した己の形代を、
源の水に流し、竜に奉る儀式だ
瘤取りが済めば、水に流すが習わしだ
水生の神主は、これを割り拝み
魂鎮めを役目としていた
習俗行為テキストを並べたこの一連の動作は、魂が宿ると言われる瘤状の割れるものを身体から短刀をもってえぐり出し、拝むように割って水面に沈め落とす儀式を示している。
隻狼の世界では特に魂との結び付きが強いだろう、と様々な要因から想定されるその部位は、
おそらく瞳、眼球であると予想している。
仙峯寺の御初代の像は「竜胤の雫」が供えられており、何かを両手に挟み雫を割り落とした瞬間を捉えたものに見える。
また弦一郎が飲んだという「変若の澱」も、失われている一心の片目が溶けたものだったのだろう。(正しく水+殿=澱であったのだ)
水生は水に眼を溶かした時点の姿で、死後にその水場に魂と記憶を保持した何か、が還り復活するセーブポイント的な儀式なのである。
先述のとおり死んでも死なない蟲憑きが用いれば、自己のコピーを量産することが可能となる。
(余談になるが不死斬り、儀式の知識、変若の水が揃っていた一心の戦場(片目を負傷)がどこかについては
巴と共闘した捨て牢解放時の開門・獅子猿戦が候補に上がるように思われる。)
竜咳患者の血から
エマが精製した血石が納められている
この「血石」なるものは患者への道標であるという。
即ちその道標は「血」から生まれた、患者に属する何かが元の身体へ還ろうとする、という読み解きが自然ではないかと思われる。
水生の力と血石の力、一見無関係なように見えるこれら不可思議現象には共通点がある。
それは何かの理に従うように留まりあるいは移動する、ヒト由来の生命力を媒介する存在を示していることであり、
隻狼世界で「形代」と呼ばれる概念の気配があるように思われる。
形代は、心残りの幻である
テキストによっては「業」あるいは「怨嗟」と呼ばれるこれは、死者あるいは生者の記憶や意識を持った魂の欠片と呼んで良いものであると考察してきた。
「戦いの記憶」もおそらくは形代経由であるのだろう。また犬も形代を遺すことから生命全般が持つものと予想される。
魂であれば、ある生物の死を持って発生するかのようであるが、葦名各地の浮遊形代や先の血石のテキストから予想される内容としては、
対象者の血液から発生し、対象者が生きていれば再び対象者に移動して吸収され戻り、
絶命した場合のみその場に留まるというのが基本的な法則ではないかと思われる。
そしてもうひとつ、水生の儀式は形代が「変若水に吸収される」性質があることも示している。
さらに、以前の考察から、濃い変若水を多く飲んだ者は水に溶けた魂(桜と竜)の影響を受けて白く大きく身体が変質すると予想した。
ではもし、薄い変若水を知らずに常飲するなどにより形代が寄ってきて溶け込む体質となったものがいると仮定して、
かつ彼らが忍や侍のような生命のやり取りを行う仕事であった場合、彼らはどうなるか。
ゆえに業深いものには、形代が多く憑く
殺めたものの業を引き受ける
それもまた、忍びである
望むか望まざるかによらず、彼らは殺した相手の魂(血の意志)を吸収し混ざり合ってしまうだろう。
それはやがて精神の変調や身体にまでも変質をもたらす。それが重なってゆけば、徐々に人間性ともいえる精神バランスを単純生物と対方向の複雑化・超越的方向に失い、逆に獣のようになってゆく。
そして獣を狩る者はまた獣になる、それこそが葦名の怨嗟や異形の「血の呪い」の正体ではないだろうか。
なぜなら葦名の民は竜咳対策に、ほぼ漏れなく変若の恵みを体内に取り込んでしまっているのである。
遠距離狙撃でも用いない限り、命を奪う行為は呪いを受けることに直接に繋がるのだ。
呪いとはまじない、魂を混ぜ綯うことを指すのかもしれない。
白と黒と形代
黒白のミブ風船を割り拝み、その水を浴びたものは、一時的に形代の入手確率が上昇する
白桜の樹液である変若水のほか、黒松の樹液にも形代を惹く力があるように思われる。
しかしそれは吸収して同化するような生易しい力ではない。
奴らは何より、火を恐れるのだ
だが、いつしか水生の者は火を忌み始めた
黒の樹液は松脂である以上、形代を引きつけ吸収した後、焼いて消滅させることが出来ると予想される。
魂の混濁を呪いと呼ぶならば、その浄化に使える火とも言える性質を持つのである。
だから本物の京の水は変若水リセットとして輿入れオカミに飲ませていたのであり、
霧の森でも徳次郎と僧侶はバリアのごとく焚き火に当たっていたのであり、
そもそも村に異変が起きた際にも犬彦はくすぶり松脂に火をつけたのであり、
火薬の強化と、呪物としての強化、いずれにも用いられる
そして黒の燃焼剤は呪いに関係ある物としての効果を持つと言われるのである。
従って黒の体質を先天的に持つものは、他の生命を害することで獣になることがない(混ざる前に焼ける)はずで、狩人には向いた性質と言えるだろう。
実際、犬彦や徳次郎の生業は猟師なのである。
儂はもう少しここで、涼んでゆく
極め、殺しすぎた。怨嗟の炎が漏れ出すほどに
ただし吸収形代量が許容量を越えると火力が上がるのか、黒の一族は身体が過熱し始める模様である。
もし焼き切れないほどの形代が殺到すると、燃えながらも獣になってしまうのかも知れない。
きっと、鬼が生まれっちまうよ
また黒の一族ではない、黒の松脂粉を薬として飲む者も魂の吸着効果で呪いが軽減される可能性がある。京の水効果である。
しかし常飲すると代償として自ら本来の形代までが減るためか痩せ細り、血流に行き渡るためか肌色も黒くなってしまうのかもしれない。これは百足衆やらっぱ衆の外見からの予想である。
なお変若水も同様、常飲による体質変化者と先天的に樹液が同化している一族(白の場合「変若の御子」と呼ばれる)の血では、形代に対する効果が異なる可能性が予想される。
おそらく前者はただ呪われる体質となる(なぜか竜咳には薬となる)が、後者は魂に肉を与える変若水のごとく「形代に肉体を与え、産める」のではないだろうか。八尾比丘尼は竜の涙から巴を産んだし、弦一郎も強引ながら変若の澱から産んで見せたのである。
(条件としていずれの涙も不死斬りで抉った瞳である必要があると予想される。拝涙は不死斬りでのみ叶うため。)
作左様が、代わりにあの子を寄越してくれた
ここでは御子である息子の血に吸収された上で死を得たという可能性がありそうである。
そして葦名には白黒の他にもう一色、形代の吸収を行う体質の一族がいるように見える。
右回りの渦風
先に仙峯寺の考察を行った際、ほぼノータッチになってしまった事象がある。
それは大量の地蔵と風車の存在である。
それは道教の観点からも仏教の観点からも異質であったということであり、
つまりそこには第三の宗教があった可能性を否定できないが、答えは実は明確である。
地蔵と風車が飾ってある場所は金剛山「修験道」、日本古来の山岳信仰を指す名称だからである。
地蔵と風車は恐山を彷彿とさせる点からも、それらは修験道オブジェクトであり、最も古い葦名の民間信仰であったという解釈に無理はないように思われる。
そして修験道があったということになれば、別のある人物とも金剛山は結びつく。
葦名の天狗である。
天狗という妖怪は行者、すなわち修験道と関わりが非常に深い。
また風車とは、渦風の発生装置である。
そして隻狼における天狗の面、神隠しをもたらす大うちわ、更に地蔵や風車にはある共通点がある。
「赤」色である。
白黒のほか赤の不死斬りが存在する以上、
赤の神木、赤の樹液、そして赤の一族が葦名に存在しているという結論は当然の帰結のようにさえ思われる。
まず赤の神木とは何か。修験道付近にある赤い木といえば、疑う余地はない。
紅葉、すなわち楓と見て良いはずである。崖上、地蔵と風車で祀られた一本が始祖で残りは子孫だろうか。
季節感のない紅葉は、常桜同様、常紅葉とでも言うべき不死の一種だったと考えて良さそうである。
そうなるとその樹液はカエデの甘蜜である。
形代を引き寄せ閉じ込めた上で、飲料や燃料にはならないが食料になるという稀有な性質が予想される。
仙峯寺が作る「阿攻」の加護を受ける飴
この赤く丸い塊は、常しえに朽ちぬ
それは霊的なモノを閉じ込める飴や玉の恰好の素材になり得るといえるだろう。
赤い布に包まれた小さな童地蔵
誰かを偲ぶときは、赤白の風車を供える
赤く色づく八つ手の葉で作られた大うちわ
また地蔵や風車、更には天狗の面や団扇を見るに染料としての用途もありそうである。
(ヤツデは元々、紅葉する植物ではない)
形代への引力を持った染料は、本人が形代を引き寄せることで発生する「呪い」をある程度カバーしてくれる効果があるのかも知れない。
もし赤の不死斬りが生者から形代を引き抜いているとすると、それは凄まじいまでの引力である。
また形代の結晶化は不活性化(混ざらない・焼けないようになる)という意味で呪いや怨嗟への薬になる可能性もあり、
竜咳患者の血から
エマが精製した血石が納められている
変若の米のように、血(=形代発生源)を閉じ込める結晶の石を自己精製できるであろう赤の一族は、
特に呪いや怨嗟の炎といった形代由来の病の進行を抑える特殊な薬師となれる可能性がある、とも言えるだろう。
加えて、人や獣を害しても相手の形代を結晶化する(個別の記憶として保持管理する)ことで呪いを受けないのであれば、優秀な忍びともなり得る。
それを示すように、SEKIROのタイトル画像には、紅葉と共に赤い衣服の忍びの姿が明確に提示されているのである。
やはりお主には、人斬りの才がある
最後に、これら三属性の考察をまとめる。
白の血族
・桜を神木とする
・樹液の力は魂の吸収と混合
・不死斬りの力は奉魂による水生復活
・一族は白米を精製可能 形代を転生できる
黒の血族
・松を神木とする
・樹液の力は魂の吸収と焼却
・不死斬りの力は開門による形代復活
・一族は油を精製可能?形代を焼却できる
赤の血族
・楓(紅葉)を神木とする
・樹液の力は魂の吸収と結晶化
・不死斬りの力は拝涙による形代強制排出?
・一族は飴を精製可能?形代を捕獲できる
こう考えると炎上の黒と捕獲の赤は確かに不死者相手でもその形代を損なえる「不死斬り」であり、白は宝剣であるが不死は斬れないのかもしれない。
また偶然か必然か、それぞれが「春」「夏」「秋」の風景に合うようである。
そうなると夏場であったとみられる平田屋敷の炎上火力にも、何かの繋がりがあるのだろうか。平田の黒松探しは考察上、何かの啓蒙が得られそうである。
白桜、黒松、そして紅葉の樹液。
大樹の血液と言えるそれらと、
血液の意志と呼べる形代、
様々な血と業を持つ狩人と獣たち。
それらの血から産まれた複雑な模様が、密かに葦名を彩っていたのではないだろうか。
今回は狩人、血、獣、呪という語を用いて、葦名の環境について思う所をまとめてみました。
かねて血を恐れ給え、ですね。
次回は今回の補足と補強、特に白黒赤を統括したサラブレッドであり
茶屋経営には前人未到の適性を示すであろうあのお方について。の予定。
関連記事:
【隻狼】新 隻狼考察⑮_血から生まれるもの
(番外編2)【Bloodborne】ブラボ考察からの隻狼考察

異形が生まれる葦名のメカニズム解明の前に、仙峯寺について考察が溜まってきたので整理しました。
「葦名で超常の力を用いて何かをしようとしていた」組織ではあるので、今後の指針とかになるはず(多分…)
仙の気配
仙峯寺の特徴といえば境内を埋め尽くすような紅葉、そして異形の蟲憑きたちである。
前回考察を前提とすると、蟲憑きは滝を飛び降りられる肉体を得た、源の宮から追放された者であることと予想した。
そして源の宮の「京」は不老不死、仙道の地であったと考えた。「仙」の文字は隻狼界では重要キーワードなのは周知の通りである。
これら考察を元に仙峯寺をもう一度見直すと、ある仮説が浮かび上がった。
それは、実は仙峯寺は仏教ではないのではないかという疑いである。
では仙峯寺の功徳と修行は何のためなのか。
それは仏ではなく神仙への道、即ち道教ではないかと現段階では予想している。
以下にその理由をまとめてみたい。
仙道に至る教え
道教とは大陸由来の宗教であり、ごく簡単に述べると仏陀の悟りや輪廻転生ではなく、
個人が修行により不老不死のスーパーマン「仙人」になろうという教えである。
特に仏を敬うということはない点、境内の仏像が埃を被っていたり池に棄てられている事実は不思議ではなくなる。
また以前も触れたが「蠱毒」「巫蠱術」という虫を使う技術を道教は持っている。仏教にはそれに類するようなものは見当たらない。
加えて蟲の効能は周知の通り、輪廻転生より不老不死に近い。
さらに以前の考察で道玄、道策、道順は仙峯寺の関係者として薬物研究を行っていたのでは、と予想した。
こちらも仏教にはそのようなものはないが、道教には伝統的に不老不死に連なる薬物「金丹」を追求する薬師の教えが存在する。
(そう考えると末弟子であるエマの服装や髪型は、女性道士「坤道」の姿に似ているように思われてくる)
そして拳法もまた、仏教だけではなく道教にも存在する。
有名な少林寺拳法などの外家拳に対する内家拳、こちらも高名な太極拳である。
不老不死の仙道を求める者とは、死なずの求道者と言い換えることができるのではないか。
道教を前提とした各要素の見直しは突飛なようでいて、筋の通ってしまう点の多さは無視できない。
しかし確実に「仏教でしかない」ように見えるポイントもあり、それをどう考えるかが次の課題ともなる。
仏か仙か
・「寺」と呼ばれているのは何故?
通常、道教の施設は「道観」と呼び「廟」「堂」や「院」、「宮」とも呼ぶが「寺」とは呼ばない。
しかし「かつて寺だった道観」を「○○寺」と呼び続ける例は現実にも僅かながら存在する。
仏教が道教に勢力的に押され始めた時代に見られた模様である。
天井の端が反るのは渡来風、大陸風の建築様式である。そして大陸風ならば、仏寺であれば黄色のはずであり、赤色は道観の色なのである。
紅葉の色も何かを現しているのかもしれない。
・本堂に本尊の如来が存在するのは?
ふつう道教は仏を崇めない(神仙は崇める)という点から如来像が最重要位置に存在するのはおかしいが、
「蟲憑きの修行者たちは源の宮から来た」という前提に立つとこの像は別のものにも見ることができる。
仏像として見なければ、これは偉大異形な一人の女性とその多数のコピーの像である。
これは先の考察における水生の御初代と、そのクローンであるオカミたちを崇める神仙群像、というのが真相ではないだろうか。
つまり不老不死の実現、源の宮への回帰を願うためのオブジェクトという可能性である。
(幻廊も高所の楼閣、中央付近の大木、さらに高所からの滝、と源の宮と共通する構成要素でできているように見える)
千手は人の手ではなく、桜の枝の表現なのかもしれない。枝として見ると、像全体の印象は大樹に見えなくもない。
合掌姿は恐らくは魂鎮め、水生の御初代の仕事姿なのだろう。
水生の神主は、これを割り拝み
魂鎮めを役目としていた
・五重塔に鎮座しているのは?
洞の奥、五重塔には仁王と思しき武張った像が安置されている。不動明王ならば仏像だが、道教ならば仏像信仰はない。
しかし本来は右に剣を持つはずが、なぜか左右が逆になっている。
これは左右逆なのではなく、もともと左に剣を持つ像と考えると、ある候補が浮かぶ。
托塔李天王という道教のメジャーな神がある。西遊記などで有名なバトルマスター哪吒太子の父である。
それは小さな法塔を持つ姿の武神であり、
大切な塔を右手に持った場合、武器を左手に持つ武神という珍しい姿で表現されるのである。
塔も剣もなく坐像であるが托塔李天王を現したものであると推定した場合、他の放置仏像と異なり崇拝を受けていた形跡も自然なものと考えることができる。
(なお大量に存在する地蔵についても、道教においての立場が明確にあり、冥府の王の一角ということである。)
これらのように強引ながら道教でも解釈できるものもあるが、しかしどうしても説明しようがないものが以下のように残る。
逆に考えると、選り分け残ったこれらがピースとなりパズルを構成するのかもしれない。
・遺棄や放置されているとはいえ仏像がある
・拳法の起源が「仏敵を討つ」ためである
・両界曼荼羅と護摩壇が隔離設置されている
これらはある事実と結びつけて考えることで答えとなるように思われる。繰り返しになるが、建物の名称は「寺」を引き継いでいる点である。
この仙峯寺は、今や御仏の教えより外れた場
だが今や、仙峯寺は死なずに囚われた
つまり仙峯寺はかつて仏寺として建立されたが、現在は不死の仙道を探究する道教に乗っ取られたような状態にあるのではないだろうか。
らっぱ衆と僧形の拳法使いは、裏切ったか雇われたかした者たちであることになる。
(ムジナは仏教徒のままであるのか、子の墓は寺外に置いている)
いまでは死なずの探究の手足である
その場合、かつての「寺」は、護摩壇の場所だけがいまだに生き残っているということになる。
蟲憑きではないミイラを護摩壇近くに並べているのも、木や石を掘る力を失った仙雲和尚が仏像を欲しがった結果だったのかもしれない。
狂えども、信じ続ければ、見えるものもある
曼荼羅と護摩壇を用いる真言密教において即身仏は、一個の仏像なのである。
仙峯寺の過去
拳法は道教にもあるが、仏敵を討つ仙峯寺拳法の起源は、明らかに仙峯寺黎明期、仏教時代であるだろう。
己の身一つで仏敵を打ち倒すためには、
拳と法、どちらも欠けてはならぬ
己の身ひとつで敵を倒さねばならない理由とはそもそも何か。
それは鎧武者の武装、即ち鉄器を用いることの出来ない相手であれば理屈は通じる。
拳法を用いる想定の仏敵とはもしかすると「落雷」、そして「錆」をもたらす相手ではなかったか。
そうなるとかつての仙峯寺は雷竜とオカミの存在を知り、その打倒を目指した武闘派集団だったという可能性が朧げに見えてくる。
だが今の仙峯寺は考察の通りなら、御初代の像を崇める源の宮シンパである。180度の方針転換をしていると言っていい。
それは功徳を積む行為が、拳法の修行だったものから商売と間違われるようなものに変わった点にも現れているように思う。
仙峯寺の者は、拳法を修めて功徳を積む
さらなる功徳を積むことだ
くれぐれも、儲けようなどと考えてはならぬ
この2つの功徳は同じものとは思いにくい。
そして金儲けに似た宗教行為、それもまた道教は持っている。「銭」集めの独特の位置付けも道教の特徴なのである。
また今回は掘り下げないが、金銭と宗教の接続は供養衆にも関係しそうである。
この功徳ライフの切替、仏の教えが神仙への道=不死の求道に塗り潰された時期はいつなのだろうか。
再びこれまでの考察ベースになるが、寺のターニングポイントの候補は3つある。
ひとつは創設期、掛け軸のあやかし退治。
もうひとつは国盗り期、道玄道策の対立。
最後に平田後、梟による寺社居座りである。
仙峯上人が、らっぱ衆に授けた飴
ニセ梟によるものとすると三年前だが流石に新しすぎるのかもしれない。
少なくとも道術金丹に似た薬物成果「飴」の歴史は上人まで遡るので、一心による国盗り以前ではあるはずといえるだろう。
(ということは、新仙峯寺は平田襲撃の「共犯」の可能性が出てくるのかもしれない)
我が弟子は、みな道玄の元へ去った
道玄が道士であり、仏僧の道策たちから寺と弟子を奪った、という線は有り得なくはない。
しかし道策が僧侶ならば弟子の道順もまた僧侶であり、彼が仏にも祈らず薬物・生体研究を続けるのは不自然に思われる。
不老不死に連なる変若水の研究は、道術の流れであると考えるほうが自然である。
ではあやかし戦の前後はどうか。
キーになる人物は、仙峯上人である。
開祖と呼ばれてはいるが、仏教時代の開祖なのか道教時代の開祖なのか明確でない。
また上人という呼び名も本来ならば僧侶であるが、源の宮という「上から来た人」であると考えると引っ掛けの可能性もある。
彼との対話においても、仏の名も念仏一声も出てくることはない。
彼の事績はこれまでの考察も交えるならば以下である。
・大陸から渡来、山頂神域に不死を見出す
・源の宮から放逐され蟲憑きになる
・あやかし戦で破戒僧に協力した(?)
・その末娘を初代御子として鐘鬼の堂に囲う(?)
・宗教の開祖として教えを開く
・月隠の飴をらっぱ衆に授ける
・不死斬りを隠したと巴に疑われる
・変若の御子を囲い、彼女には「蟲憑き」と認識されている
・ミイラ化した外見になって生存(?)
・御初代の手によると思われる書付けを、大切に懐に入れて(?)いる
・御初代の像と思われるものを拝んでいる
・匂いで隻狼を「竜胤の御子に仕える者」と看破したうえで助言を与えている
竜胤を断つなど、あの者は望まぬゆえに
トータルで見ると悟りや仏の教え、仏敵である竜一派との闘争よりは
源の宮に寄り添い、不死の仙人を目指した者に近いように思われる。
月隠の飴を開発したのも、僧侶の趣味というよりは道士の練丹術の延長と読むと、その色はより濃く見える。
破戒僧との連携の可能性も、自身が仏門ではないならば特に支障なく肯定できる。
つまりかつて寺だった場所を、破戒僧との共闘ののち、力を得た仙峯上人の一派が乗っ取り道教施設とした可能性が最も高いように思われる。
失われた仏
葦名にはもう一箇所、仏像と明言された像の存在する場所がある。
鉄砲砦である。
社の仏像の裏にある扉を、開くためのもの
そしてそこには仙雲同様にジラフが居る。
阿吽を名に含む彼らは仏教と関連があるかと想定していたが、いずれも仏門僧侶の成り果てた姿なのかもしれない。
鉄砲砦はかつて道玄の仲間がいて、梟と共に襲撃された過去があったと以前に考察したが
それを前提として再整理すると、複雑怪奇なストーリーが紡ぎ出された。
これが仙峯寺の正史である、と断定するには仮定と考察に拠る部分が多すぎるが、今後の考察の仮の下敷きとして以下にまとめる。
かつて源の宮から追い出された渡来人の一派は、
落ち谷に住居を拓き、菩薩谷に石仏を彫り、渡来仏教砦(現在の鉄砲砦)を持った。
彼らはやがてより住み易く、また変若水を飲まずに済む現在の仙峯寺に移り、
オカミおよび水生の御初代・八尾比丘尼を「破戒僧」と定義、仏敵として竜打倒の修行を続けた。
同時期、同じ渡来人ながら弱小勢力に成り果てていた道教一派は、
しかし「あやかし」との戦で破戒僧に協力することにより、御子であるお凛を入手する。
彼らは鐘鬼のお堂で竜咳に効く「貴い御子の米」を配布し、
民間や有力者の支持を得ることに成功した。
勢力を覆した道教はやがて寺を占拠し、リーダーは仙峯上人を名乗る。
(この頃、仏像の破棄、神像の設置がなされる)
ふたたび落ち谷に追いやられた仏教側は、忍びである百足衆を用いて
道教仙峯寺に反撃の刺客を放つ。道玄である。
道士として名を変え仙峯寺に仕え、御子である凛を逃したうえで一心の国盗りに協力し、
寺の主導権を握った道玄だったが、内府と組んだ道策と飛び猿の奇襲反撃にあい
寺の主導権を再び道教勢力に取り返される。
(その際に道玄および友人の梟は身体を奪われ、僧侶と百足衆はすべて異形となった。
具体的な方法は未だ不明)
だが忍び義手を用いて再修行した梟仏師と川蝉道玄、更に一心とその手勢は大々的な仙峯寺鼠狩りを敢行、
道策と飛び猿は逃亡、道教勢力は壊滅し一心に降った。
道玄の弟子たちは薬師として存続するが、その後の事故(修羅化)で道玄は死に、
仙峯寺は殺せぬ蟲憑きたちの住処に残るもほぼ廃寺となる。
(仏の教えを護持する、仙雲の存在は気づかれぬままであった。
彼は戦の死体を加工し、廃棄された仏像の代わりとして彼の寺を築く。)
しかし三年前、平田屋敷を襲撃したニセ梟こと飛び猿は、ふたたび変若の御子を誘拐、
道教勢力残党と共に仙峯寺跡地に立てこもったのだった。
彼らの誤算は平田で死した御子たちが屏風の猿となり御子を守る結界を張ったこと、
および仙峯上人が(御霊となって?)自由に歩き回る術を持っており、変若の御子に接触してきたことだったのだろう。
そして、テロ組織が人質を持って立てこもるその危険な廃寺に、隻狼が知らず誘導されるのである。
この推測からは百足衆=仏教徒、ということになるが、仏教におけるムカデは武の象徴たる毘沙門天の眷属なので実行部隊名としては矛盾はしないと思われる。
薬に詳しいことや弟子たちが公式に健在なことから道玄の立ち位置について悩ましいが、
怨嗟が彼ならば、仏を掘るのもまた彼であるため、仏教徒側の立ち位置に当てはめた。
結果、複雑ながら今のところ大きな破綻はきたしていないように思われる。
(逆に道玄の動機、行動理由の説明がついた)
また密かなポイントとして一心は仏教徒とともに道教を成敗していることから
その庇護にあった変若の御子たちと平田屋敷は仏教の影響を受けたと見られる。
竜胤である巴との共闘後、竜との武力闘争は時代遅れとなったのだ。
平田地下の仏殿の存在、および幻廊の猿御子たちが僧侶の姿であることがそれを補強する。
なので変若の御子と仙峯上人は実は宗派が違うのである。御子は竜胤を呪いと呼び、上人は竜胤を貴いとする差はここから来ている。
夜叉戮の飴は、仙峯寺で禁制とされる
だが、死なずの探求は金を食う
飴はおそらく道教側の成果と予想される。一時期禁制としたのは道玄だろうか。
護国の戦士たちも道教の徒であった可能性が高いということになるのかもしれない。
そして御霊降ろしもまた、道教の力ということになる。これは源の宮の考察と一致する。
なお不死斬りや「神隠し」との関連もあるはずなのだが現段階では不明である。
少なくとも「不死」そして「神」は仏教用語では有り得ないとは思われるため
道教時代に何らかの関わりがあると推定される。
(加えて神隠しのリアクションが異なる点など、僧形の者たちの素性はおそらくまだ何かある筈である)
最後に、仙の文字が含まれる仙峯寺というやや奇妙な名の考察を試みたい。
この蹴りは、仙峯寺の名を冠する
仏とは悟りである
悟りの峯に、登らんとする者よ…
この文章の違和感に答えがあるように思う。
違和感の正体は唐突な「仏」の登場で、文章がイコールで示すとおり「仏=悟」に置き換えても「悟峯」にはならない。
仏を置き換えて悟峯になるならば、元は「仏峯」でなければならないのである。
つまり元々はおそらく、寺の名は「仏峯寺」であったのではないだろうか。
仏の文字に縦棒を足し、仙とするのは書類上は難しい作業ではなかったのだろう。
取り込まれた仏峯寺拳法は「功徳」などを後から追加され、仙峯寺拳法となったのだ。
寺の表札である扁額は失われている。どこかに落ちているのかもしれない。
しかしあえて扁額を外した点自体、寺社名リネームの可能性を補強するものかも知れず、
この説を採るならば、仙峯寺は文字通り、名も実も道教に奪われたものだったのである。
カエデも樹液が出ますね。しかも甘くて食用になる奴。
だから、おはぎエフェクトは「統括」なのだと思います。白、黒、そして甘味。
次回こそはそのあたり、葦名の異形と魂の溶ける樹液の話をまとめたいと思います。
呪いとはまじないであり魂の混じ綯い、
瞳と火継ぎで抗える、という内容の考察となる予定です。
参考:
関連記事:
【隻狼】新 隻狼考察⑭_仙峯寺の過去

「彼らの不死性に惹かれ建築・薬学・宗教や道術と共に居着いた渡来人」がおり
やがて彼らの間に諍いが生じたのでは、と予想しました。
今回は彼らそれぞれが持つ「不死」の考察を中心に、宮で起こったイベントの詳細を推定したいと思います。
回生の不死
不死といえばまずは隻狼も持つ回生の力、桜の力である。
これは宮の神域にいた者、「水生の者」と呼ばれた白木の神職の力であると予想される。
キーとなるのは「白桜の樹液」、変若水である。
白い刃で削り出した己の形代を源の水に流し、竜に奉る儀式だ
瘤取りが済めば、水に流すが習わしだ
これまで変若水は飲むと植物化する水であると考察してきたが、形代流しが絡むことで新たな可能性が提示された。
形代は心残りの幻である
それは形代流し=瘤取り=水への奉魂、と読めるこれらのテキストから、
「生物から(余分な/終わった)魂の一部を削り出し、溶かすことができる水」でもあるという予測である。
桜の性質はデフォルトで溶けており、桜(竜)の魂が混ざっているのである。つまり飲んだものは、それに溶けた魂の影響を身体に受けており、植物化もその一環という整理となる。
溶けてきた、溶けてきたぞ…
そして変若水の池(または壺でも水溜りでも)に溶けた魂は、ある条件をもって変若水から武装や服装ごと復活するのではないか。
隻狼が回生するとき、一心が蘇ったとき、その傍らにあったものは何か。
それは隻狼や弦一郎の骸である。
彼らの骸は(何らかの仕込みにより)変若水を詰めた袋、池の代わりとなる力を持つと仮定すると、溶けていた魂が変若水の水面から蘇る、という法則性が微かに見えてくる。
(服や鎧もセットである点、水面に映す「姿」も関わっているのかもしれない)
形代の御霊、不死斬りの剣、そして源の水鏡が揃ったとき、水生は成る。
対象者の死、即ち魂の100%が溶けたとき、が予想される条件である。
さらに一心を見れば解る通り、それは記憶をそのままに若返りをも可能とする不死の技である。
「変若」の名に相応しいといえるだろう。
かつて神域にあった水生の巫女は、この神桜の力を用いて不老と不死を得ていたのではないだろうか。
変若水飲用者独特の、姿が異形に変わる副作用については、彼女は原因となる魂の余剰を白刀で削り落とすことで回避出来たのだろう。
この瘤は病の予兆であり、病が重くなるほどに、育つという
ただしおそらく一つの池には一人が定員と予想される。他人が含まれると魂が混ざってしまうことが予想されるため、納得のいく仕様ではある。
なお次々自動的に混ざる魂は葦名に拡がる異形の呪いにもなっているが、具体的な削減部位、および「記憶/業」と「脂/炎」の浄化については次回以降にまとめたい。
吸精の不死
続いて渡来人の郷、「京」の技である。
笛を用いたおそらくは道術の延長と思われるが、そもそもこれは自分が若くなる代わりに誰かが老いるものであり不完全である。
しかし前述の「若返りの回生」が可能な者を対象とさせてもらえるならば、永久機関が完成する。
渡来人たちはおそらく、死なずの回生の巫女を悟りの求道者、仏教徒と成して文字を教え、手元に引き込むことに成功した。
以下の一文を残した、死なずの仏教徒の誕生である。
死なずとは、永き悟りの旅路なり
死なぬ訳もまた、悟らねばなるまい
だが彼らにも一抹の不安があった。事件や事故、吸引対象である彼女の突然の外傷による急死である。
回生すべき魂が水に溶けず、涅槃に消えてしまうリスク。それを避けるため、彼らは利己的な行動に出た。
我、蟲を賜わり、幾星霜
外傷に対する不死身要素、即ち蟲を巫女に憑けたのである。
蟲憑きの不死
道教には古来、蟲毒など卑虫類を操る呪技(巫蠱の術)があると伝わる。
死なず半兵衛を見れば判る通り、蟲憑きは外傷に対しては完全な再現復活機能を持つ。
しかし、寺の僧が示す通り老化や飢えには無力でありこちらも完全な不死とは言い難い。
巫女の意向は無視して言いくるめ、渡来人らは彼らの研究で得たそれを回生の巫女に用いた。
永久機関は完成し、調子に乗った渡来人たちは宮の環境を作り変え始め、白黒神木の力が毒に弱まったことは前回考察の通りである。
神なる竜は、西の故郷より来られたという
立場逆転の契機となった落雷の力をも、渡来人たちは自分たちの眷属だと主張した。
我に、蟲を授けられたは、なにゆえか
しかし巫女は、己が都合良く利用されていたことに気が付いてしまったのである。
神なる竜の不死
その後の変若水の変質は、来訪した雷竜の魂まで変若水に溶けたことによるのかもしれない。
(復活した一心にもおそらく混ざっている)
代償として白の一族はやがて首長黒目の異形となった。余分な魂を削り出す儀式は、白の短刀と共に失われたためだろうか。
だが白の短刀は回生の巫女が健在の時点では利用可能であるためか、彼らは暫くは異形とならなかった模様である。
京と神域が水面下で対立したのち、以下のような駆け引きが行われた形跡が見られる。
水生の御初代は、輿入れが決まった者にのみ、密かにこの秘術を授けた
源の宮に輿入れした者たちは、
まずはこれを頂戴する
京の側では神域の集落から輿入れに迎えた花嫁に対し、変若水の力をリセットする水を用意してその力を削ごうとしたのだろう。
対して神域側では予め水中呼吸術を与え、飲んだふりを出来るよう整えていたのである。
無論、その後の一斉蜂起に備えてであるだろう。
これ無くば、神なる竜とは見えられぬ
そうすれば神鳴る竜と見(まみ)えられる、即ち雷の異能を得ると読める記載が論拠である。
(ここでいう輿入れは通常の婚姻契約を指す)
ちなみにリセットはおそらくもうひとつの御霊溶媒樹液である「黒松脂」を用いたと思われる。
そして輿入れした「花嫁」たちの中には、蟲憑依によりいくらでも身から形代を削り出せるようになった回生の巫女の、裏ワザ的な回生クローンもいたのかもしれない。
つまり水場で己を回生した上で、使用済の死体側も無傷で生き返るのである。
それ故にオリジナルである彼女は「水生の御初代」という特殊な別名を得た、という推定もできる。
武と舞に長けた女性ばかりの不自然な一党が生まれた理由とも繋がるだろう。
更に余談となるが、神職の他の生き残りはおそらく内裏にて、回生クローンたちの若さを定期的に吸う「寿命の共食い」で不死を保っているのである。
九郎が嫌う、歪んだ生の最たるものといえるだろう。長寿の長い期間を変若水に晒され続けたためか、雷竜に外見が相当近づいているように思われる。
ぬしの不死
平田屋敷の壺の貴人は、ぬしになりたい
壷の貴人たちは鯉になることを望んでいる。
勿論それは一代限りの鯉で終わる訳ではなく、
成長仕切ったぬしの色鯉として地上に落ち、水に溶け、白蛇に飲まれ、
老いぼれるだけのお前たちに
及びもつかぬ永遠…
蛇柿となり変若の御子に取り込まれることで竜胤の一部になることを望んでいるのではないだろうか。
竜胤は人の魂のサイクルに似て非なる、不老と不死を兼ね備えた回生である。
もしかすると「鯉」とは「いまだ滝下にある竜」を指した比喩であったのかもしれない。
己のため、ぬしの鯉様を弑せんとした大逆の罪人よ…
余談となるがこの「罪人」はおそらく浮舟(鮒)渡りした巴のことと予想される。
そしてかつて巴が仲間であったと考えているならば、彼ら(彼女ら?)は回生クローン、オカミの一員と予想される。
ぬしの世話係の不死は謎であるが、その見た目から巨大鯉の魂と混ざった回生を強行させられたものなどかもしれない。
そのとき、鯉に魅入られてしまいました
「魅」には「姿の見えない、自然界の霊的なもの」という意味もある。
過去に鯉を殺したか目玉を飲むかして、形代が混ざってしまったのだろう。
黄泉帰りの不死
密かな水中呼吸術の仕込みによる浸潤政略の後、京の住人たちは白の一族の突然の奇襲、御初代の怒りに触れ宮から逃げた。
その際、おそらく一部は自ら蟲憑きとなり滝から飛び降りる道を選んだ。
お宿りは吉兆ぞ
かぐわしく、輿入れ奉ろう
これは「御将軍の乗り物(輿)を敵地に乗り入れる」勇ましい戦闘号令だったのかも知れない。古来、吉兆は戦の前に測られる。
お宿り、とは前回考察の「神木の宿り木」であり、
水生村に落書きを残したのは、母の勇ましい逸話を好んだ幼い巴だったのかもしれない。
この地に古くより伝わる秘薬
落ち谷の衆が煎じた毒消しの粉薬
強力な火薬の元となる黄色い煙硝
落ち谷で取れる貴重なもの
宮から逃げた先で「葦名衆」を名乗った彼らの建築技術や仏教、薬学毒学、鉄と火、拳法、および仙女信仰は
落ち延びた菩薩谷、落ち谷を経由し仙峯寺に辿り着くまで多くの痕跡を遺した。
そして同時に逃げた黒松の一族が持ち出した黒の不死斬りと蟲は、猟師となった犬彦を経由しその飼い猿、小太郎こと獅子猿に引き継がれたものと予想される。
(意外にも獅子猿の考察時に触れた内容に今更繋がった)
そう考えると獅子猿の首傷は、松脂状のものが溢れているようでもある。
犬彦はおそらく黒の不死斬りと竜胤を用いて、小太郎の復活に成功している。
そこから黒松の炎は迎え火、即時復活の回生とは異なる「冥土黄泉路からの呼び戻し」の大技を可能とする力があると予想される。
村への道しるべであった
隻狼の回生ではないほうの復活(冥助判定側)も、鬼仏など炎に呼び戻されていることを示唆するような演出があるように思われる。
竜胤の不死
やがて何があったかは明確でないが、雷竜の力が宮から葦名へ移動し「あやかし」となった。
大滝から飛び降りて追えるのは無論、蟲憑きとされた御初代のみである。身を投げねば、の意味にようやく到達したことになるのかもしれない。
着地した彼女は葦名衆と利害一致の奇跡のタッグを組み拝涙に成功、竜の魂を涙として胎内に取り込んだ。
その後、巴として不死の竜胤の御子を産んだ、という推測が過去の考察である。
だが、巴の一族が輿入れで帰郷したのち、なぜか瘤取り/形代流しが出来ず、神域の一族や京の花嫁たちの魂の汚染、不可逆的な異形化が進む。
香を作った以上、白の短刀がなかったためではないだろう。ならば変若水の方に、何らかの変異か不足が起こったのかもしれない。
あるいは竜の御霊は簡単に切り出せないほど強いものであるのか。
竜胤の介錯、如何に巴に頼もうか
そこで巴は竜魂溶液の常飲、涙や御子とは違う形の「竜胤」の呪いにより異形と化しつつある宮の同胞たちを助ける方法を求め、再び地上に降りた可能性もあるのかもしれない。
そうすれば不死断ちもできるだろう
高所落下にも竜胤の御子の巴ならば傷一つ負うことはない。
浮舟を渡るその手にはおそらく、帰還用の白の短刀、および常桜の枝が握られていたのだろう。
そして最後にもう一人、
宮で不死となったと思しき者がいる。
一人の男が、死のうとしていた。
若さを吸う術は、死病には無力だった。
遥かな海を越え、仙術の極みである「不死」に辿り着いたにも関わらず
王となった自分が死ぬのは耐え難かった。
御霊降ろし。人の腹中のもうひとつの魂となり、やがてその身体の主となる呪いの技。
あとは、それに賭けるしかなかった。
男は目覚めた。
飛鳥の如き高み。眼下に源の宮が見える。
自分の脚は、遥か崖下の森林内にある。
異様に巨大な身体は、注連縄を重ねたもの。
魂を封じた下腹部――丹田は、白の神木を用いたもの。
仙郷の王に相応しい偉大な器を。
永遠の崇敬と、京の発展を願う寵愛を。
不死者の国の主、呪いの腹を持つ大樹。
天仙、地仙、尸解仙を兼ねる新たな神仙。
人を捨てた男は、臣下の選択に満足した。
ほどなくして増長した京は、崩壊した。
臣下の何人かは地へ降ろしたが、彼らは谷へ隠れてしまった。
道士たち数人が、人質とされた。
彼の者共は、己に制約の術を課した。
宮への立入りを禁ず――神域の香を持つ者を連れ戻る場合のみ、宮への接近を許す。
それからはただ、役目の時を待つ。
永劫にも思える時間。死ぬに死ねない。
天命を厭い、岩桜を切り倒させた呪いか。
不死を望むなど、愚かなことであったのか。
そのうち何故か、かつての神域の巫女が、
自分の手の届く位置に新たな門を構えた。
見ている。
同情か。憐憫か。あるいは嘲笑か。
死ねず同士の語らいでも望むのか。
そんなことももう、どうでも良かった。
永遠の生命とは、永遠の苦行であった。
神仙の高みは、遥か遠い。
痕跡もないが存在したはずの渡来人たちのリーダーと、
神域の岩に根だけが残る桜の神木の本体のロストから
注連縄ロボの正体を彼らの技術とみられる道教の最終目的=「仙人の不死」と予想した。
腹部にある白い丸太と封じの札、道教の「草人」に姿が酷似している点、およびこれまでの考察からの「腹部の御霊」の考え方を補強としている。
考察が正なら不死の神木は「変若水の塊」としては最上級の物体といえるだろう。
宮の門を永く守るには、死なずが都合良いだろう
鉄砲砦から眺められる巨大な頭部は、門番に堕ちた神仙の姿を模したものなのかもしれない。
隻狼界の徐福は、とりあえず目的だった不死には届くには届いたということになる。
不死の呪い
以上より、水生の御初代こそ八尾比丘尼であり、破戒僧であることが全体の流れから伺われる。
彼女が宮から葦名の地に降り立ったのは、神鳴る竜を追ってのことと想像していた。
香気の石、葦名の底の村に祀られたり
身を投げねば、辿り着けようも無し
だが今、このテキストを読むと2つの疑問点が生まれる。
まず身を投げる前、即ち源の宮にいた時点で「村の石」に目をつけているらしいこと。
加えて源の水場である神域で永い時を過ごしたオカミは、隻狼たちが作ったような源の香は纏うまでもないのでは、ということである。
これで源の香気、揃うたり
即ち彼女の目的は竜でも源の香でもなく、
別の謎の「香気」となる「祀られていた石」そのものだったのではないか、という気配がする。
なぜ石を求めたのか。そもそもお宿り石とされるものは一体何であったのか。
もしかすると、それは宮から失われたもの、
ゆえに黒松は失われ、
その守り人もまた、嫌われ者である
すなわち黒松の樹脂ではなかっただろうか。
次回は白の樹液と黒の樹脂の世界、
魂の溶ける水である変若水と対になる、魂を封じる石についての考察から
異形が産まれる葦名のメカニズム解明を焦点としたいと思います。
参考:
ソメイヨシノ - wikipedia …この桜はほぼすべて「始源を同一とするクローン」であるとのこと。
関連記事:
【隻狼】新 隻狼考察⑬_源の宮(不死の追求編)

伝来の京
源の宮には豪奢な邸宅跡、五行思想のほか、旧オカミ門や五重塔など仏教様式の建造物も存在する。
また前回の考察が正ならば、宮で希少金属の採掘と製鉄までも行っていた。
しかし源の宮は地理的に隔離集落である。
高度な製鉄や丹塗りの建造物、何より仏教など自然発生することはあり得ない。
必然として、それらは外部から「伝来」されたのである。それも水没前、即ち「古えのあやかし戦」よりも更に過去という時代に。
掛け軸に描かれた当時の葦名よりも進んでいるのではと思われる、異様に進んだ文化や技術を当時の宮に持ち込んだのは何者か。
隻狼の世界に「中国」があるかは定かではない。だが仏教や丹塗、製鉄、五行思想などは本来、日本には無かった筈のものである。
その持ち込んだ内容からは、それは「大陸から来た者たち」であるとは考えられないだろうか。
では彼ら「渡来人」がやってきて留まった「動機」とは何か。
そこには彼らが持っておらず、探していたものが存在していたからではないだろうか。
それは現在でも宮の特異性ともいえるもの、
即ち「不死」の可能性が高いように思われる。
死なずとは、長き悟りの旅路なり
つまりかつての源の宮の住人とは、不老不死を求めて「日ノ本」「不死の山」にやってきた渡来人の集団がその「半分」であった、と仮定することができるように思われる。
「京」のベースは平安京ではなく、南京や北京がベースの「京」ということになる。
その前提に立つことで垣間見えた、源の宮の歴史を以下に紐解いてゆく。
はじまりの宮
半分であったとしたのは、渡来人が来る前から原住民がいたのではないかと予想できるからである。
彼らが探す不老不死の生き証人たちがそこにいたから、彼らはあの不便な場所へ風水五行を敷き「京」を建てたのだろう。
では彼らが来る前からあったものとは何か。
まずは現在より遥かに小型であったと予想される、中央の泉(火口湖)。
および、水没前なので神鳴る竜はまだ居なかったが、社や鳥居といった神域の神道風宗教は外来のものではない筈である。
そして彼らを惹きつけた「不死の生き証人」たる神主、あるいは巫女がいたと予想される。
そして「岩」と「桜」。あれほど大量の桜は桜竜の影響であったとしても、渡来人が持ち込む理由は特にないので数本の山桜があったのだろう。
最後に、「不死」を求めた渡来人の技術か否か判断が難しい不死に関係するアイテム、
すなわち「不死斬り」は既にそこに存在していた可能性もあると考える。
陰と陽の節切
竜胤の血を受けた不死は、その主を縛る
不死斬りは竜のコアを取り出し、それを飲んだ者の子、不死となった御子の肉体に
主である竜の魂を縛る「拝涙」、
不死斬りには、赤の他に、もう一振りがある
および竜胤の御子すら切り裂く力があり、死者の復活を可能とする「開門」がある。
この二本は竜を倒す意味では対といえるが、その用途では死者の復活に何の意味もない。
生死の境を司る意図において、黒と対になるのは実は赤ではないのではないか。
そう考えると、魂を黄泉から戻す開門に対し、魂を黄泉に送る逆の意味の名を持つ宝剣がある。
刻まれた銘は、「奉魂」
それがこの短刀の真の名
魂を奉じる、即ち「奉魂」である。
形代流しが、本来かつて黒と対であった白の不死斬りなのではないだろうか。
この仮定に拠って考えると、渡来人により「五行」が伝来される前から、生死を表す白黒、すなわち「陰陽」だけはこの地に存在していたことになる。
そして白と黒を象徴するものはもう一対、源の宮にあったと思われる。
変若水の性質でもある「木」、樹木である。
白と黒の一族
白はこれまでの考察で見てきた通り、獅子猿から花から米まで含めた変若水、変若の御子のカラーである。
そして隻狼の時代の宮の有り様から見て、あの大量の水は大量の桜から湧いていると考えるのが自然な見方となるだろう。
自ずと薬水が湧き出すなど奇妙だが、そこには種がある
つまり白の木とは桜であり、その係累といえる一族「変若の御子」たちがいる。
一方の黒は、一族から追うのが話が早い。
ゆえに黒松は失われ、
その守り人もまた、嫌われ者である
水生村の広大な森は山を囲い、源の宮すら包み込んでいる。
黒の松脂、即ち「樹脂の採取」を行っていた犬彦の一族こそ「黒の不死斬り」の管理者であり、かつて源の宮にいた一族であると推定される。
彼らがくすぶっていたのは、本来ならば得られるはずの崇敬も崇拝も受けずに猟師に甘んじていたからなのだ。
だが桜は山ほど源の宮にあるが、黒松など存在しない。
「失われた」のである。それは何故か。
いつしか水生の者は火を忌み始めた
前回考察より「火」とは竜と敵対した五行を支持するもの、すなわち渡来人集団の技術の特徴を指すものと読める。
かつて神域にあった白木の一族、黒木の一族は泉近くに住むことなどから「水生の者」と呼ばれていた(水生村とは別)と考えると、
この一文は黒木の一族が、忌まれ始めていた渡来人側の勢力に取り込まれてしまったことを指すのではないだろうか。
そして渡来人と黒木の一族は、白木の一族に源の宮を追われ下界に逃げたのである。
おそらくは蟲を使って外傷に対する不死となり、滝から落ちるという方法で。
獣の肉など、食いやがる
余談となるが犬彦の肉食も渡来文化の影響と思えば納得できる。中華好みだったのである。
そして宮に残った白木の者、桜の一族こそが現在の「淤加美」である。
彼らは、雷竜を奉じるものとして身も心も変質した、本来は桜を奉じる一族だったのだ。
陰陽の気は白は生、黒は死を指す。
「死」を失った源の宮は暴走した「生」、すなわち白き不死の異空間と化してしまったのである。
追うものと追われるもの、彼らの力を分かったのは「神なる竜」、落雷である。
以下に落雷の前後状況の予想をまとめる。
幾星霜の昔。
そこには岩と水と、白黒二本の不死の神木、
そしてそれらを守り奉じる一族があった。
節を切り病瘤を切る神木の手入れを行ううち、その樹脂に包まれた道具は神力を得た。
彼らはその二振りを用いて神木から樹脂の雫、「涙」と呼ぶ結晶を手に入れ、
それらを用いた彼らは不老と長命に至った。
やがて彼らの元に、大勢の人々がきた。
不老と不死を求めて来たという彼らは、木や水と生きる先住の一族に友好と恭順を示し、
共にこの地に住まわせてくれるよう願った。
先住――水生の者たちは、承諾した。
池の対岸に居を構えた彼らは、見たこともない広大荘厳な建築物を建て始めた。
そして大規模な採掘と製鉄、五行の術をもって土地の神々を活性化させる。
仏教のほか吸精、御霊降ろしといった道術の導入、神食みや丸薬の研究も始まった。
彼らはその地を「京」と名付け、頭目を王と戴いたようだった。
しかし彼らの「開発」は土地の毒となった。
黒木も白木も、毒性を帯びた水や空気に侵され、徐々に弱ってゆく。
やがて黒木の者が裏切り、白の神木は渡来人に伐採されてしまった。
神域も丹塗りの建物が次々に侵してゆく。
白木の者は追い詰められ、神に祈った。
その時、一筋の落雷が轟く。
彼らは奇跡を――黒の神木の炎上を、
そして数日後には白の神木の復活をも目にすることとなった。
ほどなく、桜の神木に加え、神鳴る竜の力をも奉じるようになった彼らは、
竜の眷属「淤加美」を名乗り、その力をもって宮を再び自らの手に取り戻した。
人としての生を、大きく歪める代償を支払って。
落雷のほか、「白木の翁」から始まる桜竜戦前半の読み解きを交えた。
補足として白の神木は、現在巫女が眠る岩戸の上にあったと思われる(根だけが残され、生きている)。
黒の不死斬りにより?伐採された神木は注連縄ロボ中核に使われていると見られるが、詳細は次回としたい。
磐長と咲耶
古い土や岩が、そこに染み渡った水が、
神なる竜を根付かせたのだ
長命巨大化のほか、斬撃に強く、火に弱く、蟲の棲家となる変質を見せる変若水の効果は「植物化」。
その水の影響により雷竜はその身に根を生やされ、岩山に固定されてしまったのである。
少なくとも白木の一族、淤加美の者たちはそれを信じた。
なぜなら落雷ののち、桜が、すなわち上流の水の成分が永続的に変質したからである。
落雷以降、神域の水と京の水は、はっきりと異なるものとなった。
それは神域側の異形だけが「首が長く白毛に覆われ」「稲妻の力を得ている」ことから明らかである。それは笛を吹いている異形、取り残された京の貴族にはない、雷竜の力である。
(白色化や手足の枝が増えるのは水による植物化であり、これは京も神域も共通である)
そして黒松は稲妻を契機に失われたが、その痕跡は残っている。
花見舞台傍、宮の「大桜」である。
桜がこれほど曲がって生えることはない。
曲がる大木は、松である。
つまりその形状から宮の大桜とは、かつて神木の大黒松が折れたものに神木の桜が「宿り木」したものではないだろうか。
お宿りは吉兆ぞ
かぐわしく、輿入れ奉ろう
桜は落雷以降、おそらくは不死(常桜)のままの自らの分身を生む力を手に入れた。
そしてそれは、桜の一族も例外ではなかったのである。彼らは渡来人の術を元に、別な形での「不死」を手にした。
そして彼らのリーダー、「水生の御初代」と呼ばれた者こそが、
破戒僧・八尾比丘尼であった、という推測が他のテキスト類からは導かれるのである。
次回(こそ)は白木の一族と渡来人の間に生じたトラブルの詳細、および蟲や各種不死の発生について。
参考:
…更に彼の薬草、ヨモギや菖蒲は端午の節句を介して、火、鉄、鬼とも繋がりが予想される。
関連記事:
【隻狼】新 隻狼考察⑫_源の宮(神域の陰陽編)

「源の宮」と呼ばれる土地は、多くの建物が水没した遺跡のような形で存在しており、
また水に沈んだ建物のほか、現在の水量を意識して建てられたと見られる脚の長い建物もあります。
脚の長いものは当然、増水後に新たに建てられたものであると予想され、
つまり源の宮には「水没していない過去」があったのはほぼ確定の事実と思っています。
なぜ水没したのか、そして水没の前はどのような土地であったのか。
今回はテキストだけに拘らず、様々な観点からこの二点を考察してみました。
水没の理由
現在の源の宮の水は下界である葦名において「変若水」と呼ばれる異質な水である。
また宮の滝の途中にある建造物にも増水によるとみられる破損が見られるため、
水が増えたのは宮の更に上流、すなわち神域に異変が起こったためと考えるのが妥当だろう。
この葦名には、ひと際古い土地がある
古い土や岩が、そこに染み渡った水が、
神なる竜を根付かせたのだ
隻狼の時代、神域にあるのは眠る巫女と桜竜である。
そしてこのテキストから竜は来訪者であり、
つまり増水と水没はこの神なる竜の降臨が契機と仮定できるように思われる。
変若水が竜の吐く水であれば、飲んだ者が植物化するという異質な力を持つのも分かる。
(おそらく水や土を好む神鳴り竜は、木気の眷属であるのだろう。)
そして「ひと際古い土地」とは源の宮を指すともここから予想される。
もし葦名が島国の一部であるならば、火山性の高山は最初に海から頭を出したであろう土地であり、「ひと際古い」は自然で確かな表現といえる。
そう考えると宮の中央の深い窪みは、もしかすると火口の跡なのかもしれない。
水没前の想像図
では水没する前は、宮はどのような土地であったのか。
源の宮で、淤加美の女武者は、
竜がために舞いを捧げた
まず神域側、赤い丹塗りの高舞台や餌遣り場はすべて高足となっており、現在および未来の水量を意識したものに思われる。
そのためこれらは水量増加前は存在しなかったものと考えられる(位置的にも神域の竜に捧げられたものと想像できる)。
大量の桜も、桜竜の影響と予測されるため水没前の想像からは除外する。
住人も一旦は普通の外見の人々のみが住んでいたと仮定する。
そして色鯉が存在する大池は、水量増加前は水面そのものが現在の位置より大きく下がることになる。
水底の廃墟がある程度露出するほどに池の水位を下げた姿を想像した場合、2点の事実が明らかになる。
ひとつは早い段階で隻狼が訪れる、桜牛を飼う建物が意外なほどの高台にあるということ。
もうひとつはぬしの寝床、洞穴内になぜか華麗壮大な建築群があるということである。
古来より、高貴神聖な者は民を見下ろす高所に棲まう。
そこから、水没前=竜が訪れる前の宮の「上座」は、実はこれらの古い建物のほうであったのでは、という予測が立てられる。
仮にそうであった場合、断崖に面した「淤加美門」は入口ではなく宮の最奥、
すなわち竜なき時代は最も高貴神聖な位置にあったということになる。
ここで宮の2点の門を比べてみると、桜牛側のオカミ門および周辺には赤ペイントである「丹塗り」が相当古く、一部は剥げている。
対して破戒僧側は丹塗り完璧である。
「丹塗りの新しい建造は水量増加後=比較的新しい」という類似が他にあることから
以降は桜牛側と破戒僧側をそれぞれ暫定的に旧オカミ門、新オカミ門と呼称する。
話を戻すと現在の旧オカミ門の裏側(大池側)が、本来は崇拝を集める正面だったのではないかと思われるのである。
だが旧オカミ門の更に奥にあるのは崖のみで、仮に御座所または寺社としても信仰の対象となるであろう人物/御神体/本尊が無いかのように見える。
可能性は3点ほど考えられる。
第一は仏寺様式であることから仏像を安置する須彌壇が本来は存在したが、現在では破損または移動済である可能性。
第二は断崖そのものが御神体ではないか、という仮定。即ち山岳信仰のような自然物崇拝である。
これらのいずれかである場合、裏返した旧オカミ門は適切な形状の宗教施設、右廊左廊の翼をも備えた朱雀型の寺社と見ることが出来る。
また断崖信仰説は根拠のない話ではなく、
葦名各地にはなぜか鳥居の奥に断崖絶壁を祀りあげる習俗が伝えられているのである。
白蛇の社、身投げ場のほか、鉄砲砦も順路と逆に見ると実は鳥居と深淵が確認できる。(橋が掛けられてしまってはいるが)
また徳次郎の廃屋も位置的にはかつて断崖信仰の地であった可能性もあるかもしれない。
いずれも「葦名衆」というキーワードに結びついているように思われるが、その点はまた別の機会に改めたい。
また第三の可能性として「依り代」、かつての御神体であった可能性のある物体がなくもない。こちらについては次回まとめる。
かつての源の宮
水量増加前については旧オカミ門の周辺が「上座」であったという予想のほか、
もうひとつ、少々大胆な仮説を建てられるように思われる。
金剛屑は、葦名の中でも、
ひと際古い土地のみで採れる
先のとおり「ひと際古い土地」が源の宮のことだとするならば、
その住人は良質な金属素材の採掘を行っていたことがこのテキストから示される。
しかし源の宮は隔離された郷である。
採集した素材は流通先などなく、地産地消にしか用いようがない。
つまりかつての源の宮は金剛鉄の製錬場、
即ち「たたら場」としての顔も持っていたはずではないだろうか。
(逆にそうでなければ金剛屑の採掘など不要で、存在は埋もれたままだった筈である)
現在「ぬしの寝床」と呼ばれる水中洞穴はかつては鉄鉱石採掘用の谷であり、
水中洞穴の廃墟の印象から、竜が来る以前の祭祀の場でもあったとするならば、
古い土や岩は、神を寄せるとも言われる
その恩寵か、金剛鉄は実にしなやかで強い
葦名のひと際古い土地に生える草木には、名も無き小さな神々が寄っていたという
ぬしとは、土地神
実は「ぬし」たる土地神たちにとって、現在の鯉(正確には鯉に棲む蟲)の姿となる前から
水没前の採掘谷は「神域=寝床」であった、という見方も可能なのかもしれない。
土、金気、そして草木の土地神たちに加え、
製鉄に不可欠である良質な火と水も存在していたとすれば、
一般に「五行」と呼ばれる木火土金水のバランスが絶妙に保たれた神々の住まう土地であり、
彼らに捧げる「たたら製鉄」が行われていた土地、
それがかつての源の宮の姿ではないだろうか。
しかし現在の源の宮は水と木の勢いが異常に強く、火と金気の気配などはどこにもない。
バランス崩壊の原因となった事象とは何か。
だが、神なる竜が根付いたのちは、そうした小さな神々は、姿を潜めてしまった
それは言うまでもなく、神なる竜の漂着であったと予想される。
桜と神鳴り、すなわち木気と水気が、金気と火気およびその派の人々を追い払ってしまったのではないだろうか。
靇(おかみ)とは本来、竜を指す言葉なのである。元は竜を信奉した側の一派を指す言葉だったのかもしれない。
神なる竜の定着
竜の来訪は、当時の宮を二分する争いを引き起こしたと予想される。
思想の問題だけではなく、物理的に水没した宮での製鉄は事実上不可能なのである。
状況を見る限り、宮を制したのは、五行のバランスを捨て竜の力を支持した者たちである。
彼らは竜に舞を捧げ、水量の増大した宮に新たな奉納用の高層建造物を作った。
すると不思議と力がみなぎったという
つまり奉納舞で力を増大したのは、竜の方であったのかもしれない。
そして旧オカミ門、かつての神の座は捨てられて荒廃し、
(おそらくは新たな「神域」との位置関係から)ただの「門」として再利用された。
たたら場は失われ、土地の神々は姿を潜め、宮は現在の姿となったのである。
常しえに砕けることも、錆びることもない
神鳴る竜の恩寵を受けるが故だ
逆に読むと恩寵を受けなかった金属は、ことごとく宮の水気に錆びたのである。
だが錆びてなお、竜に抗う刃もあった。
その血筋に連なる者にも有効だろう
竜の血筋、変若の御子たちに特効を示す、錆び丸である。
そして錆び丸がある以上、竜を怨む金気と火気は、同様に葦名の地上に逃れたことが予想される。
いにしえの昔、葦名に攻め寄せた
人ならぬ一族に抗するため
葦名衆が鍛えたもの
宮もまた葦名であり、かつての宮の住人も葦名衆と呼ばれていたのなら、
これは実は宮に漂着した竜との対戦を指した一文なのかもしれない。
ここまでの内容、源の宮の環境観点での歴史予想を時系列にまとめる。
・古代、海上火山として誕生(最古の地となる)
・列島が構成され、火山は高山となる
・火山活動の停止(と小型火口湖の出現?)
・火口跡地を聖地として人々が住む
・金剛鉄の採掘と製鉄がはじまる
・「宮」(旧オカミ門)、および周辺施設の建造
・火口湖は「宮」の庭池となり鯉が持ち込まれる
・神なる竜の漂着。自然調和が損なわれる
・親竜派と反竜派の対立。反竜派の敗北と逃亡
・舞殿建造。舞の奉納で竜の力が強化
・「宮」は荒廃し「淤加美門」と改名される
・竜の力が火気を消し、金気は錆び朽ちる
・水と木気の異常繁栄、生物の異形化が進行
・竜が葦名下層に「あやかし」として移動、八尾比丘尼が回収に成功(いにしえの戦)
・竜の力「変若水」「変若の御子」および「竜胤」が葦名に影響を及ぼし始める
・一心の国取り、隻狼の不死断ち
青竜に追われた朱雀
錆び丸のほか、宮の流出技術である「火と鉄」は、隻狼の時代、葦名のどこに潜んでいるのだろうか。
その観点で見直すと、瞬時に発火炎上する鉄という一見奇妙な物体は、
偶然とは思えないほどに隻狼界には多く存在する。
折れ角や忍び斧など、炎上忍具に進化する素材自体が実は貴重な金属だったのであれば、
それらがなぜか祀られていた事実と繋がるのかもしれない。
また奇妙な鉄器という意味では厄が憑く鐘、七面武者が持つ祭器など
「炎形のような力」を備えたものもある。
ここまで来ると呪いや怨嗟、御霊といったものに片脚を突っ込んでいる風でさえある。
そして、宮に超自然的な製鉄術があったのならば、
やがて宮を占拠した竜・竜胤をも封殺し得る二振りを生み出すことに繋がったとも想像できる。
隻狼は知らず、竜の恩寵と宮の技術という相反する力の恩恵に強く与っていたのである。
朱雀の大路は、羅生の門へと延びる。
しかし怨嗟の火炎色を纏った忍び義手は、
やがて瑠璃色の竜の恩寵をもって、
鳳凰の紫紺色に浄化された。
忍び義手の進化は、実は他ならぬ源の宮の歴史の経緯と結末であったのかもしれない。
次回は、今回(あえて)触れなかった宮の異形と不死の習俗について考察します。
参考:
関連記事:
【隻狼】新隻狼考察⑪_源の宮(環境推移編)

今回は結論から先に言ってしまうと、百足衆「長手」の正体は道玄ではないかという考察です。(ジラフゼンウンのことではない)
また仏師のかつての修行仲間「川蝉」もまた道玄であり、
さらに獅子猿のねぐらに横たわる謎の遺体も道玄のものではないかという結論に至りました。
いくつもの顔を持つ、怨霊だ
彼が何故どのように、仏師の中の怨嗟となっていったか、前回の考察をベースにその経緯の予想をまとめてみます。
義手とほそ指
作りかけの義手をいじっておる、馬鹿者
まずは前回、この宴会は葦名国盗りの祝勝会であると考察したが、そこで道玄と思われる人物が作っていた義手について考える。
ここで重要なのは誰のための義手であるかである。梟=仏師はまだ腕を失っておらず、つまり仏師のための忍び義手ではない。
人の酒を幻術でかすめ取る、馬鹿者…
祝勝会のメンバーをもういちど考えると、この場にいてもおかしくないのに一心が思い出さなかった人物が二人いる。
共に戦ったはずの巴、そして若殿の丈である。
戦勝会という性質上、欠席の理由で最も可能性が高いのは「負傷」である。
もし負傷したとすれば、剣技の使い手、戦士である巴のほうであるだろう。
丈はそれに付き添っていたのかもしれない。
義手が必要なほどの負傷を巴が負っていた、という仮定は更に2つの考察に発展する。
まず竜胤の御子である巴を傷つけられるのは不死斬りしかないため
巴の対峙した相手は不死斬りの使い手ということ。
この刀は、長く仙峯寺に秘匿されていた
刻まれた銘は、「拝涙」
拝涙は寺なので、巴を傷付けた不死斬りはおそらくは一心が最終決戦で振るっていた開門と思われる。
これは獅子猿が過去に開門を振るい、巴を傷付けていたのではという以前の考察にも嵌まる内容となる。
これにより竜胤血刀の条件を満たし、ここから十数年後に獅子猿がパートナーを黄泉帰らせたのは、やはり開門の力であった可能性が濃くなる。
国盗り当時に話を戻すと、捨て牢で獅子猿を撃退したのち、手に入れた開門を一心は国盗り決勝戦に使用したのだろう。
そしてもうひとつは、「年若い女の、ほそ指」というアイテムが切断された状態で誕生するということである。
宮のオカミである巴の片腕を、変若水の研究者である道玄がうち捨てるはずがない。
巴はもしかすると、道玄が作った義手の礼として、切断された片腕を竜咳対策の研究材料として交換進呈したのではないだろうか。
このほそ指には、その跡がうかがえる
道玄はそれを獣避けの笛に加工までして、忍具のひとつともしていたのである。
竜胤の御子の片手は切り離されてなお不死、即ち腐ることは無かったのだろう。
余談となるがそれはのちに隻狼が戦う雷竜の片腕が失われていた理由であるとも予測される。(更に余談として、竜の腹の傷は巴の「自刃」の跡と思われる)
真説百足衆
百足衆は、己の「星」を探す者たちだ
「寄鷹衆」「らっぱ衆」そして「孤影衆」が存在している以上、「百足衆」もまた忍者軍団だったのではないかという想像は難くない。
では(あのような異形になる前は)どのような特長を持つ忍者たちだったのか、という点は「星」の読み解きがヒントとなるはずである。
星とは空に光るもののほか「目的」「標的」、つまりターゲットを指す意味もある。
星を見出せば、それに仕え、時に名すら変える
それを踏まえるとこの一文は対象人物の組織に紛れ込み、仲間になってから暗殺する潜入型の忍者集団である、ということを指しているのではないだろうか。
もしそうなら、彼らはまさに獅子身中の虫を体現する「虫」たちだったことになる。
そして隻狼の物語には、正体を隠し組織に潜入していたであろう人物が一人いる。
父さま…母さま…蝶々…
みな、どこへ行ったのだ…
平田屋敷にいた、お蝶である。
彼女が百足衆の一員であると仮定し、さらに梟、ムジナのように忍者集団は名が固有のルールで統一されている可能性を踏まえると
百足衆の一員は虫の名であることが予想される。
趣味の絡繰り(木彫り)のために木を抱え、
変若水という樹木性質の水気を好み、
地に潜る昇降機、天を翔ぶ凧を作った、
それらは道玄が「蝉」だったことを暗示するものではないのだろうか。
彼が仙峯寺に僧となって名を変え侵入した「虫」であったというのなら、彼の「星」は自ずと仙峯上人ということになる。
そして不死の上人を行動不能とするため、彼は薬師と偽り、変若の研究の末に上人のウィークポイントである凛と作左の逃避行を手助けした可能性すら考えられる。
凛がいた鐘鬼のお堂にいる百足衆は、かつての「蝉」の仲間だった者なのかもしれない。(もちろん異形になる前の話である)
我が師、道玄の悔い
その仮定は、凛の逃亡の結果として発生した過去の葦名の竜咳の流行に
彼がなぜか強い責任を感じていた理由にも繋がるように思われる。
ともあれ「蝉」は上人を追いライバル道策から弟子を奪い、彼は寺トップとして仙峯寺を一心に降らせることに成功したのである。
「川蝉」と彫られている
おそらくは木彫り(絡繰りを含む)を趣味としていた「蝉」の銘ではないだろうか。
隻狼が川の字と読んだものは、もしかすると指輪着脱に伴い自然と彫られた縦線の傷に過ぎなかったのかもしれない。
しかし本人も興を感じて、以降「川蝉」を名乗った可能性もなくはない。
仏師と川蝉
ジラフや仙雲の「長手の百足」とは「リーダーである長手の、部下である百足衆」の意味と思われる。
百足衆の長は「長手」と呼ばれ、鉤爪を持つ
鉤爪の付いた長い手とは、忍び義手の初期装備「鉤縄」の説明そのものである。
であるならば、その使い手が、即ち長手たる道玄が、忍び義手に仕込んだものであったと推測するのが自然な流れとなるだろう。
その証明として、彼の作った絡繰りの一つと思われる寺の忍び凧は、鉤縄の使い手でなければそもそも使えない代物なのである。
不死の上人をも仕留める実力を持っていた彼は、鈎縄を使いこなす忍者、木から木へと飛び移る「蝉」であり
おそらくは百足衆の長でもあったのだ。
落ち谷の水辺で、川蝉は泣いていた
仏師=梟と道玄の絆は、寄鷹と百足、共に忍びの頭であった点も大きな補強となったと予想できる。
そして仏師に泣きすぎの百足衆、即ち泣き虫とあだ名されるほどに彼は泣いた。何故か。
猿と変わらぬほどには、動けるようになったわ
仏師=梟は、この時期の近辺で修行のやり直しを余儀なくされている。
例の御霊降ろしを施術されたのである。
新たな身体に慣れ「元の飛び猿と同程度に」動けるようになったことがこの一言から推測できる。
つまり何か大きな動きを見せた道策と飛び猿、一心の国盗りからしばらく潜伏していた彼らの術中に、二人が嵌められた何らかの事件があったと推測される。
何があったかは定かではないが、ほぼ全ての百足衆が道策の御霊降ろしで異形とされたのがもしかするとそのタイミングなのかもしれない。
鉄と火薬を扱う所から推定して、彼ら百足衆の本拠地は落ち谷にあった。
そしていまは鉄砲砦と呼ばれる場所、まさにジラフたちの居場所には床下に潜伏可能な空間が存在する。
そこは「梟」や「蝉」が空中戦の強みを発揮できない閉鎖空間でもある。
梟と道玄は今の鉄砲砦=百足衆の本拠地にいたところ、地下から急襲した飛び猿と道策の一味に敗北し、
命は助かるも仲間の百足衆たちは異形に改造、自分たちは指名手配犯たちに身体を奪われるという屈辱の御霊降ろしを味わう結果となったのではないだろうか。
鉄砲砦に今も残る、乱れた様子の梟の羽、
これはそのときの動乱を示す僅かな痕跡のひとつなのかも知れない。
無能ゆえ敗れ、生き恥を晒す忍びなど
一度見てみたかったが
またこの台詞から垣間見える背景として、その時点で既に飛び猿=平田梟は内府と組んでいた可能性もある。
つまり、この敗北した忍びとは過去梟=仏師のことだったのである。
復讐の忍び義手
落ちれば死ぬる谷で
ただひたすらに、駆け、跳び、刃を交える…
そのような修行を重ねた
敗北を喫し全てを失った二人の忍びは復讐のため、落ち谷で修行を重ねる。
(特に梟にとっては、復讐の遂行は掟の義務でもある)
まともな師は、もはや、おらなんだ
彼らは強制交換された身体こそ不慣れだが、師匠が必要な若手ではない。
そこからこれは忍術の師ではなく、仏教の師を指していたのでは、と読むと
人格交換をやり直してくれる師、仙峯寺の上級僧侶はもはや存在しない、
つまり動乱の後おそらく、道策と飛び猿はニセ道玄、ニセ梟として仙峯寺を手中に収めたことがこの台詞から導かれる。
「ゆえに」、本物二人の目標は、いまの身体での再トレーニングのうえ、自分の偽物に乗っ取られた仙峯寺の壊滅となった。
道玄はそのために忍び義手を作成し、片腕の飛び猿の身体をあてがわれた梟に与える。
修行に飽きると、儂はこの猿酒を飲んだ
そして、あやつの、泣き虫の指笛を聞いた
エマにせがまれ、独楽やら何やら、彫らされたものじゃ
忍びを捨てた男が、だが捨て難く残していた研鑽の記録
やがて忍び義手は牙となり、内府の関与から一心の手も借りた大々的な仙峯寺鼠狩りが行われたと推測される。寺に残る葦名侍たちの亡霊は、その戦の犠牲者であるのだろう。
(敵側の亡霊はおそらく形代となって仏師の忍び義手に喰われた)
隻狼の不死断ちから、およそ5~10年程度の昔にあたる時期となるのだろうか。
ベテラン二人のモチベーションは高かった。
しかし彼らには、さらなる不幸が訪れる。
極め、殺しすぎた。
男の「義手」、友の「指輪」の異端の力はその日、仙峯寺に屍の山を築いた。
忍び義手。呪物の指輪。形代。
殺した敵の命が、己の力となる。
その高揚感に、しかし男は僅かな違和感を抱いてもいた。
それからしばらく後。
指輪の所有者、男の友である道玄が、心身の変調を訴え何処かに姿を隠してから数日後。
葦名の底、洞穴の奥、
男とエマが、剣を構えて対峙する友の姿は、
すでに全身に炎纏う異形と化していた。
もはや斬るより他にないと悟った男の覚悟と若きエマの剣才は、理性なき焔鬼と化した道玄をも徐々に追い詰める。
やがて元凶の呪物たる「指輪」を、エマが一刀のもとに斬り捨てた。
同時に男の忍び義手技・纏い斬りが、炎を失った異形の友に最期の慈悲を与える。
忍殺。
止めを刺した、その瞬間。
形代が――戦いの記憶が、男の身体に忍び義手を通して奔流のように流れ込んで来た。
鬼の中にあった無数の「業」。それは殺した者が引き受けなくてはならない。
男は、指輪と忍び義手の「呪い」を急速に理解しつつあった。
なんのために斬っていた。
なんのために殺していた。
呪物をもって斬り続けた者は、やがて。
――ただ、斬る悦びだけが。
無数の死者の戦いの記憶が溶けて混ざり、
男の魂すらも、残滓となり果ててゆく。
視界が戻る。
義父を斬った悲嘆のうちに、隙だらけの姿を晒すエマ。
斬れる。簡単に。
双眸に影を、義手に炎を宿した男の得物が、エマを貫く――
寸前。割り込んできた影が、凶刃を弾いた。
女の泣く声が導いた、葦名最強の剣聖。
一心が。
無数の怨心の傀儡、修羅となった男の前に立ちはだかっていた。
死闘の予感に、微かな笑みさえ浮かべて。
「古い指輪」に怨嗟暴走を招く力があったというのは、完全に状況からの想像に過ぎない。
強いて言えば怨霊に特殊な影響力を持つこと、のちの仏師がほそ指と指輪に(彼にしては)強い反応を示す点からの推測である。
(加えて、放ち斬りや神隠しなどの一部忍術の使用は義手型である必要はないと考える)
ある男が修羅になり損ない、怨嗟の積り先となった
仮定が正ならば、修羅=仏師のほうは半ば義務的な復讐であるのに対して
怨嗟=道玄は仲間を壊滅された怨みに満ちていた。その差が影響したのだろうか。
鬼など出れば、斬りたいと思っています
あの子に斬らせるのは、ちと…忍びねぇ
エマは鬼を知っており、仏師がそうなる可能性すら知っており、また斬る自信もあるとみられることから過去の戦闘を想像した。
仏師も忍びないといいつつエマならやれるとなぜか考えていることも、かつての経験に裏打ちされたものであったと考えると納得がゆく。
やれるとしても二度も父代わりの男を斬らせるのは、忍びないのも良く分かる。
お主の目にも、修羅の影があるぞ
一心は一心で忍び義手の暴走体「修羅」をその身で知っているらしいことも含めた。
どうやら鬼のお出ましか
孤影衆が持つ、葦名に棲む鬼の情報は、おそらくはこの仙峯寺鼠狩りの際の仏師と道玄を指すと思われる。
極め殺し過ぎて全滅したため噂だけが残ったのかもしれない。
炎は、まだ…消えませんか
いくら仏を彫ろうとも、怨嗟の炎は消せぬ
押し留めるが、せいぜいじゃ
仏師は忍び義手の切断により修羅化は免れたが、体内に留まってしまった御霊、怨嗟となった道玄の暴走を押し止めるため
道玄の趣味であった絡繰り作りに近い木工=仏像彫りにその身体を貸しているものと予想する。
いまは、もういない
死者の魂と入り混じり残滓となった道玄はしかし、木彫りに集中させることで
かろうじてその暴走を押し止められる荒御魂となったという想像である。
道玄の残滓が腹に残っているから、「まことの仏師」ではないが鬼仏も彫れるし忍び義手も触れるのである。
猿の腹の中とはな
仏師が作った後の仏はかなり放ったらかしなのも、作ること、手を動かすことそのものに意味があるからと考えると理解できる。
なお鬼の骸に供えられた酒は、かつて痛み止め治療を受けた猿の恩返しと思われる。
(この死体は奇しくも「蝉の抜殻」であったことになる)
ほそ指に似合う、古い指輪
人の骨を模した偽骨を軸に、
絡繰りが施されている
そして忍び義手の偽骨(および指輪)は、形代という小型の御霊降ろしを機構に組み込める
素材自体が強力な呪物で出来ているとしか思えない。
予想に過ぎず根拠もないが、巴が残した腕骨は、その素材として考えられる有力な候補ではないだろうか。
それは竜の片腕でもあり、
即ち忍び義手もまた、封じるべき「死なず」のひとつであったのである。
参考:
…片手を笛にしたのは、道玄なりの「ちとふざけた」公案の解だったのかもしれない。
関連記事:
【隻狼】新隻狼考察⑩_長手の百足、川蝉と怨嗟

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