[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
百足衆の現時点での考察について。長いので二回に分けました。
まずは、関連が深いと思われる道玄道策の整理からとなります。
ふたりの「師」
隻狼世界の重要人物と思われる道玄と道策について、各テキストから導き出される姿をまとめる。
あいつは稀代の薬師だった
そして、絡繰りにも明るい
まず道玄といえば絡繰りだが、隻狼世界でカラクリといえるのは忍び義手のほか
・寺入り口の昇降機
・寺入り口の忍び凧
が挙げられるだろう。
ここから道玄はおそらく、仙峯寺の関係者だったのではないか、
両者を備える建物は、道玄の診療所兼研究所だったのかもしれない、という想像が導かれる。
一方で道策については資料はないが、弟子とみられる道順が拳法の使い手であること、
また名前の類似や道玄にライバル意識(?)を持っていることから全員同じ仙峯寺一門の僧侶だったのでは、という見方が最もシンプルなものになる。
我が弟子は、みな道玄の元へ去った
それぞれ弟子を持つからには、道玄道策の二人ともそれなりの位の僧であったと思われる。
対立に至る原因として想像されるのは、寺の方針のイニシアティブの奪い合い、
つまり以前に考察したように一心の国盗りの際の意見の相違が有力な候補となる。
仙峯寺として、一心につくか、田村につくかである。
本来のトップである上人は既に無力化、つまりこの時点でもう物言わぬミイラ化していたのだろう。
捨て牢にいる施術師・道策がしたためた文
ぼろぼろで、血に濡れている
「血」とは僧侶の間では師弟関係を指すとのことであるので、
師弟関係に拘泥し「ぼろぼろ」なのは、もしかすると道策その人を指すのかもしれない。
道玄の技
稀代の薬師・道玄
その弟子の一人が、作り出したもの
道玄はエマの師匠にあたる薬師でもある。
その研究は弦一郎が口にしたという「変若の澱」に至ったことから、変若水についてかなり深い知識を得ていたことが伺える。
「種鳴らし」は、深い谷あいに生える
深い谷で、白蛇の腹の中へ、嫁に行くのだ
また薬師という職業柄か、瓢箪ほか植物についても造詣が深かったことが各テキストから想定される。
この種鳴らしが収録された「葦名薬種捗」なる書物も、エマとの類似から道玄の作である可能性が高い。
竜咳の血よ…お前は…
果たして、如何に…病を起こす…
エマの成分の擬人化はぬしの力の移動を「嫁入り」と表現した師譲りなのである。
余談となるが、変若水の力と植物とは何らかの結びつきがあるように思われる。
理由としては
・長命化、時間と共に巨大化
・「斬撃」に強く、火に弱い
という変若水がもたらす変異のほか、
・桜と一体化した竜、髯枝の生えたナメクジなどが「源の宮」の眷属とみられること
・また本来は植物の寄生虫であるムカデが白化した生物内でこそ本領を発揮するように見られる点
などが挙げられる。
色白にもなることから、本質は桜になる水なのかもしれない。
道策の技
一方、道策はどのような技を持つのか。
各種のテキスト等から、彼の方は御霊降ろしの技を得意としていたのではないだろうか。
飴を噛みしめ、「阿攻」に構えることで
人ならぬ御霊の加護を自らに降ろす
仙峯上人が、らっぱ衆に授けた飴
夜叉戮の飴は、仙峯寺で禁制とされる
まず飴は御霊降ろしの技が使われており、それは仙峯寺の開祖からの伝統である。
また弟子である道順は捨て牢をラボとしているが、以前の考察からかつてそこで人の御霊を宿した獅子猿や猿兵たちを作ったのではと疑われること、
御霊降ろしは、人の身に余る御業
加えて御霊降ろしが魂=人格の移動をベースとした技術であるならば、二人分の人格が棲む現在の道順自体が道策の「作品」では、とも考えられることも仮定の理由として挙げられる。
その仮定のうえで「飴」や「御霊降ろし」のテキストを読むと、道策の目的や過去が読み取れるかもしれない。
鎮めの首塚はあるが、長く参るものはいない
一心の国盗りの後、放置され捨てられていた地下牢に道策一派が密かに居座ったことを示すと予想される。
道玄が一心と組んだ以上、対立者の道策は田村側に肩入れし、敗れて隠れたのである。
仙峯寺は護国の勇者たちのため、
これを葦名に広めた
「これ」とは「御霊降ろしの技術」そのものを指すとも読める。
つまり「護国の勇者たち」とは、道策が田村の支配する葦名を一心から護るために御霊降ろしで創り出した
半人半獣の怪物となった者たちのことではないだろうか。
この勇者は、双子として生まれるはずだった
二人いたならば、宮の貴族に敗れるなどは…
道策の戦場である「葦名国盗り」で勝利した宮の貴族といえば、おそらくは巴のことであるだろう。
そして以前の考察より、巴と戦った可能性のある捨て牢クリーチャーといえば獅子猿であるので
獅子猿はなにかの失敗で双子になれなかったものらしい(寺の小太郎が「失敗した方」かもしれない)。
そして葦名には、道策がこの反省から2体セットでリリースしたのでは、と考えることが可能な半人半獣のクリーチャーがいる。
長手の百足、ジラフと仙雲である。
狂気の業
人ならぬ御霊は、降ろせば力となるが、
代わりに差し出すものなくば、やがて狂う
ジラフたちにはまともな理性が残っているようには見えない。
彼らは人ならぬ御霊=何かの動物霊を憑依され「狂う」に至ってしまった例なのではないだろうか。
暗所を好み壁を這うのは例えばトカゲのような低級生物の霊か、または飴や赤成り玉のような特殊な神仏関連なのかもしれない。
なお「ジラフ」「仙雲」の名には、それぞれ「阿」「吽」がzei、hyuと苦しげな息遣いの中に隠されている。
御霊降ろしは、人の身に余る御業
複数の魂では「一人の身体に」余る、と読む可能性もある。
百足衆は、己の「星」を探す者たちだ
百足衆について言及されているのはこのテキストしか存在しない。(「星」については後の考察にて)
百足衆たちを道策の御霊降ろしの「成果」と見た場合、彼らが棲息するのは落ち谷と仙峯寺であることから
それは敗走した道策の足跡を示し、かつては落ち谷にも潜んでいたが、その後で一時期、寺に復帰した時期があったことを示すようにも思われる。
「飛び猿」も田村についた寺の関係者であり、また御霊降ろし施術済と予測した考察を踏まえるなら、かつて二人は組んでいたと考えるのが自然な考察といえるだろう。
彼らは田村が破れたのちも葦名に潜伏し、誘拐や改造手術を重ねたが発見され敗北、
飛び猿は梟、道策は道順の中に隠れたという流れがここまでの考察からは予想される。
敗北者には見えるが凛と作左を葬り梟を倒し道玄も行方不明であり、平田屋敷も焼き払ったことまで考えるとたった二人でかなり葦名を揺るがしている。
変若の試しだ、人さらいだ、黒笠の責務だ…
ムジナは寺で道玄・道策の両方に付き合わされていたことが、どことなく想像されるボヤキである。
以下に「御霊降ろし」の可能性があると見られるキャラクターたちを列挙してみる。
次回以降の考察分も含む。
対象 |
ベース(身体) | 御霊 |
獅子猿 |
猿(小太郎) | 犬彦+蟲 |
小太郎 |
(太郎兵) | 猿(小太郎) |
ジラフ |
(落ち谷衆) | 動物霊(トカゲ?) |
仙雲 |
(僧侶) | 動物霊(トカゲ?) |
道順 |
道順 | 道順+道策 |
仏師 |
飛び猿 | 梟+怨嗟 |
梟 |
梟 | 飛び猿 |
巴 |
(比丘尼の子) | 神鳴り竜 |
破戒僧 |
比丘尼 | 比丘尼+蟲 |
赤目鯉 |
鯉 | 壺の貴人 |
「揺り籠」は次の世代に竜の御霊を降ろす特殊な御霊降ろしという見方もできると考え一覧に含めた。
また壷の貴人から鯉への変体も「身体の乗り換え」と考えられないこともないことから同上とした。
これらの例から、御霊降ろしは変若水と同じく宮の由来の可能性があるように思われる。
それらを寺に伝えた上人は、やはり宮(=上?)から来た人であったのかもしれない。
ちなみに上人レベルになると身体を置いて御霊状態で散歩している疑いもある。(洞窟内の身体が全く動いていないため)
御霊の影
上記のようにまとめると、余るといいつつ二人分の御霊を一人の身体に持つ場合がかなり見られるようにも思える。
そこから考えると隻狼世界では、例えばひとつの生命は首と胴体にひとつずつ御霊を持つという仮定も可能なのかもしれない。
一人の人間であれば一人の人格であるが、どちらかを入替えられると二重人格になる可能性である。
それを私に使うというのか…!
喋ってるのは道順だが、身体の制御は奪われているようでもある。
お前さん…
ありが…とうよ…
こちらも暴れているのは怨嗟の鬼だが仏師の意識は残っている。
また首を切られる前後で明らかに動きが異なる獅子猿、破戒僧などの例、
首がなくても動きまわる首無しなども観察すると、胴体側の御霊のほうは
・会話はあまりしないが身体の制御が得意
・攻撃的、暴力的、感情的
という首側との違いがあるようにも思える。
逆に言うと首側の御霊だけだと理知的だが無感情に近い状態になることも予想されるが、
心まで無くしたか
泣くことも、怒ることもできず
ただ、呆然と…
もしかすると、梟に拾われた隻狼やエマの姿がそうであったのかもしれない。
害はないが、効果が切れたのちも
きっと腹の中にずっと残るだろう
また怨嗟の御霊など、胴体側の御霊は複数が蓄積、変質していくようにも見える。
加えて赤成り玉が示す重要な点として、胴体側の御霊は「眼」の変質に現れるようにも思われる。
あやつの瞳を覗いておると…
水底に引き込まれるような、心地がしたものよ
お主の目にも、修羅の影があるぞ
そう考えると、巴の目にはやはり竜が現れていたようでもある。
他にも目が特徴的な生物、例えば水生村の桜鯉なども御霊降ろしされている可能性が推定できることになる。
また竜の御霊は、目を介して「拝涙」されることの説明にも繋がる。
影落とし、お返し致す
上記の一心の台詞や、背後からの胴体狙い=影落としと呼ばれることから
胴体の御霊が「影」と呼ばれている可能性もある。
もしかするとそこから「影は二度死ぬ」の意味が見つけられるのかもしれない。
猿の腹の中とはな
そして仏師は自分の影、飛び猿の腹の中に居る者を知っていた。
それはほそ指のかつての持ち主でもあったため、思わずこの台詞が口をついてしまった、という予想が可能な下地があるのである。
後半はやや詰め込みとなりましたが、長くなったのでいったん区切りとして
次回はこれら御霊降ろしと道玄道策の足跡を前提に
怨嗟の鬼となった男、「百足の長手」についてまとめてみたいと思います。
参考:
荒魂・和魂 - wikipedia
関連記事:
【隻狼】新隻狼考察⑨_御霊降ろし

竜胤に直接関わらないことから、今まで触れる機会のなかった仏師の過去に迫ります。
結果、思っていたよりも遥かに想定外の方向に転がっていきました。
義父の変節
ぬしの主は、生きておるぞ
初手からお見通し感が強い仏師殿であるが、すべてのエンディングを迎えてもなお謎の人物のままである。
腕を失った儂に、道玄が作ってくれた
今はお前さんの左腕にある、そいつをな
その過去については、忍び義手の初代の使い手であった忍び、エマを拾った者であったこと、以外は情報がないかに思える。
しかし仏師が気前よく渡してくれる貴重品に着目すると、ある共通点が浮かび上がる。
これは、葦名に仕える忍び
寄鷹衆の技である
迫り、襲い、飛び去る
寄鷹の名を冠する戦いとは、そうしたものだ
仏師からの伝授であるはずの忍び義手技には、数ある忍者衆のうちなぜか寄鷹の技のみが、それも複数収録されている。
侍には真似できぬ
地に足を付けぬ戦いの技
地に足つけぬ忍びの戦い
そのための体術だ
同じく仏師殿がくれる忍び技の伝書においても妙に空中戦推しである。
もしもらっぱ衆や孤影衆の忍び伝書があるならば、そこまで空中重視ではないはずだろうと思われるところに
さらにこの書には、寄鷹の頭と予想される梟の大技である大忍び刺しまでが収録されているのである。
これらの情報から推測すると、この伝書は寄鷹衆のための教科書ではないのだろうか。
そしてそれを手渡してくれる仏師は、高い実力の寄鷹衆だったのではないか?
という想像が導かれる。
我が梟、見せてやろう
ここで葦名城天守上階で対戦する梟について改めて考えてみると、
天守梟は大忍び落としのほか、平田屋敷の過去梟が使っていた大技のほとんどを使ってこない。
代わりに増えたのは毒などの寄鷹衆らしからぬ技である。
黙って義父は、おはぎをくれた
父の言葉に従い、御子を捨てよ
加えて、子供隻狼を拾って育てる、おはぎを与える、などの人情味溢れる過去とは似つかわしくない非情と欲望の人物へと人格も変貌している。
共に来るか、飢えた狼よ
野良犬に喰わせることもあるまい
素っ気なさの裏に人情を備え、寄鷹の技を基礎から伝授してくれるなどの点、発言の数々を並べると
現在の梟よりも仏師殿のほうが、狼を拾った過去の梟の印象に似ているとさえ感じられる。
心まで無くしたか
ま、まってくれぇい
そして過去梟と天守梟の変貌ぶりも、いっそ途中から中身が別人になったと割り切って考えると辻褄が合う。
大技を忘れたのではなく、ニセ梟では真似できなかったのではないかということになる。
両者の観察から導き出される仮説は、
いまの仏師の中に過去の梟の人格があり、
いまの梟の身体の中には邪な人格がいる、
つまり梟の身体と精神は離別している可能性である。
捨て牢の御霊降ろしで寺の小太郎と獅子猿の人格が入れ替えられているのではないか、という考察の延長線上にあたる。
また他の人格移動の可能性として、明らかな二重人格である捨て牢の道順も存在する。
御霊降ろしは、人の身に余る御業
つまり仏師と梟は、どこかのタイミングで御霊降ろしを施術され
互いに身体と魂が入れ替わっている過去梟とニセ梟ではないか、
という仮定が成立しうる呪術の土壌が隻狼の世界にはある。
直接の関係は明らかではないが、仏師殿の顔の古傷は梟と同じ左頬にあるようだし(額の傷は一般的に浅いので消えやすい)、
そもそもムービーに一瞬登場する過去梟の顔は、仏師殿と明らかに似すぎているように思われる。
あれは、外道…ド外道だぜ、正就さんよう
ちなみに平田屋敷の梟は複合的な梟のイメージである。後の平田屋敷の再考察で触れるが一応整理だけすると
OP梟:義父人格、梟技
平田梟:外道人格、梟技
天守梟︰外道人格、外道技
となる。
常識外れな仮定ではあるが、この前提に立つと見えてくる奇妙な符合は他にもある。
義父と酒宴
心まで無くしたか
戦場跡に、一人
私は、呆然と立っていました
エマと狼は共に戦場で拾われた孤児であったという共通点がある。
エマは仏師、狼は梟にそれぞれ拾われたと考えられるが、先の仮定の通り過去梟がいまの仏師(の人格)になったとしたならば
共通点どころか二人ともが過去に梟に拾われた子供であるということになる。
「親は絶対」の規範を敷く以上、これまで拾った子は複数いるのだろうと以前に考察したが
それならば同じ戦場で梟が複数の子供を同時に拾ったとしても不自然ではない。
あの戦場で拾われた子よな
人の縁とはつくづく面白い
偶然にもエマと隻狼が同じ目的で動くことになった点を、一心は奇特に思ったのかもしれない。
なお二人が拾われたその戦は、オープニングムービーによると田村主膳との国盗り戦だった。
じーっと、ずーっと、握り飯を睨んできてな
面倒だから、くれてやった
腹を空かせた狼に、
黙って義父は、おはぎをくれた
あのおはぎは、とてもうまかった
そうしたら、今度は猿が、握り飯をくれたのです
とても、うまかった…
余談となるが、おはぎは握り飯の一種であると考えて良いならば、これらはすべて同一のシーンである可能性が出てくる。
そしてもしそうならば、エマもまた狼と呼ばれる存在であったという考察上で重要な可能性を含んでいる一文である。
その眼…
さしずめ、任に敗れた狼…といったところか
そう考えると仏師のこの台詞は「狼」を「任務を持ち、主を持つ特定の職」として見ていたようでもある。
「平田」を護る「狼」についても、今後の平田屋敷考察にて詳しく考えてみたい。
共に葦名に厄介になることになった
道玄の養女になったのも、その時よ
仏師の人格=過去梟説を続けると、葦名に梟が加わったのがエマを拾ったタイミングと同時であっても話は矛盾しない。
逆に考えると戦場跡にいた梟は、まだ葦名の者ではなかった。
偶然通り掛かったのでなければ答えは限られる。
梟は戦の敵方、田村の手の者だったのである。
一心の勝利により、おそらくは配下の寄鷹ごと一心に召し抱えられた外様だったのではないだろうか。
そしてそれは梟が葦名の厄介になる=主を変えたその瞬間、すなわち田村と一心の決着の直後であったとも予想される。
そこに梟がエマに渡したうまいおはぎが出てくるのである。
勝ち戦のときは、こうして飲んだものよ
葦名衆の、みなでな
流れから予想すると、エマと義父の出会いとは国盗りの戦勝を祝う戦場での祝勝会の一端だったのではないだろうか。
そこには梟と、同じように葦名の外様配下となった道玄、その場で拾った隻狼とエマ、当然に一心とその配下たちもいた。
お主の養父もまた、馬鹿者であったわ
そしてその戦場での宴は、同時に一心にとっても鮮烈な思い出であったはずである。
一心にとって葦名のトップになった瞬間であり、宴の肴はうまいおはぎと竜泉を揃えた葦名高級セットであったのだ(おそらく当時の変若の御子の米なのだろう)。
一心は、「見事な折れぶりよ」と褒め称え、
敵将・田村主膳の十文字槍を下賜したという
酒飲みながら、十文字槍を手放さぬ馬鹿者に
若い鬼刑部が、田村から奪って与えられた槍を持ったままであったという逸話も、
この考察が正ならばこの宴はそれを賜った本当に直後であるために、無理もない格好であったといえるのである。
つまり一心と仏師は、同じ酒宴のことを語っていたのである。
二人の語る内容から想像される、この祝勝会の様子をまとめると以下のようになる。
戦には負けたが、命は助けられた。
それどころか、己の配下になれという。
田村と一心、決着のついた戦場の端。
祝勝の振る舞い酒と握り飯を持たされ
葦名一心の厄介になるか考えていたところ、
梟は握り飯の端を地に落とした。
猿たちがそれを奪って食べ始める。
道策の地下牢に囚われていた猿たちだろう。
眺めていると、一人の小娘も同じようにそれを眺めているのに気付いた。
手に残っていた握り飯を娘にくれてやり、
一心の所へ戻ろうとすると、
小娘はなにやらついてきた。
仲間に囲まれ上機嫌の一心はついてきた娘に言った。
でかい図体で酒朱に染まるは梟にあらず、猩々よ。
お前は猿に拾われたのだぞ。
心まで無くしたかに見えた娘の顔に、
微かに笑みがこぼれたように見えた。
拾ったからには育てよ、猩々。
娘では忍びに育ちませぬ。
梟はそういうと小娘を同じ葦名の新顔である道玄に押しつけ、
新たな寄鷹の雛を探すため、戦場跡へと再び足を向けた。
梟はこの直後にもう一人、狼を拾う。
正体の露見を嫌ってか、仏師が「なんだかんだ」で誤魔化した部分となる。
唐突な猿は獅子猿同様、田村側の御霊降ろしの実験体が解放されたものとここでは予想したが
なぜか近くにいた「ぼんやりとした様子の二人の孤児」も、猿と同様の立場だった可能性は充分にあるように思われる。
その点は焦点を隻狼に絞った際にでも改めて考察したい。
よく、道玄と、飲み交わしたもんだ
エマに、酌をしてもらってな
道玄と仏師(梟)の縁は、同じ時期に葦名についた立場が結び付けたものかもしれない。
寺の忍び凧は、寄鷹の技術と絡繰り技術のコラボレーションにも思われる。
師の…道玄様の、お役に立ちたかった
我が師、道玄の悔い
わずかでも晴らせたのなら良いのですが
エマは道玄を父と呼ぶことはない。
もしおはぎを貰った狼がエマならば、義父は拾ってくれた猩々のほう、と心の中では考えているようでもある。
梟の正体
仏師の身体には梟がいる。
では梟の身体の中にいるのは何者であるのか。
これまでの考察を踏まえるならば、それは落ち谷の飛び猿という答えが導かれるように思われる。
落ち谷の飛び猿と呼ばれた忍びが、 かつて愛用した忍具
まず交換したのであれば仏師の身体の本当の持ち主ということになるが、飛び猿は以前考察した通りならばらっぱ衆である。
単身矮躯といえる見た目の特徴は近いといえるだろう。
また天守梟の落下斬撃、すれ違いの斬撃、遠めからの手裏剣、そして毒撒きはすべてムジナなどらっぱ衆の技に酷似している。
加えて、前回考察の通りであるならば、巴の帰郷に乱入した飛び猿は「源の香を作る」「水生村が死なずとなる」を目撃だけしたことになる。
その不完全な情報は「源の香というものを作れば、死なずが出来上がる」=誤解から死なずの探究者となった後日の梟の動機の予想と保持内容が完全に一致する。
他にこのような半端な情報を持ちうる人物は、巴サイドにもその外側にも存在しない。
だが飛び猿は、左の腕と共にこれを失った
飛び猿は水生村にて、一心の暗殺に失敗している。そこで敗北し、何らかの傷を負ったとしてもおかしくはない。
腕を失った儂に、道玄が作ってくれた
つまり梟は飛び猿と御霊を交換させられた際、左腕のない身体を与えられるという特殊なルートで「失った」ことになる。
ああ、この酒を好きな御方に…
くく… 切り落とされたのじゃ
しかしそれだと一心に切り落とされたという証言と辻褄が合わないかに見えるが、そうではない可能性がひとつある。
儂の十文字は、修羅の腕をも斬り落とす
剣聖・葦名一心は、そう嘯いた
一心は仏師が忍び義手を装着後、その暴走に引きずられ「修羅」となりかけた際に、忍び義手だけを仏師から切り離したのではないだろうか。
呪物にまつわる強化義手忍具を作成する筒薬
忍び義手は明らかに呪具である。
道玄が作った、形代=魂の欠片を燃料とするその絡操りがもたらした災厄については、今後の考察で明らかにしていきたい。
そこにはおそらく、「鬼」の姿がそろそろ現れてくることだろう。
水生村から平田屋敷まで、の時期を解くキーワードは「黒の不死斬り」「御霊降ろし」がもたらす「狂気」のような気がしています。
つまりダークとソウルと人間性の喪失ですね。(そっちは未プレイなので中身はよくわかってないです)
参考:
猩々 - wikipedia …酒で赤くなる、猿のほか鳥の属性も持つ妖怪であるとのこと
関連記事:
【隻狼】新隻狼考察⑧_酒と猩々

謎の男「作左様」について、更に考察を進めます。
結果、九郎様ほか「変若の御子たち」の家系がまとまったように思われたので、図にしてみました。
作左の過去
前回の考察で「お凛」の名を考察したが、
「作左」という(奇妙な)名についても同様の見方で考察を試みる。
亻:カタカナの「い」に似る。
乍:やや強引であるが、書き順などから平仮名「た」と似た線形をしていると言えなくもない。
左:そのままだと左でしかないが、筆書きで崩すと平仮名の「ち」に似るともいえる。
「いたち」。作左のもうひとつの名なのだろうか。
前回の考察を前提とすると、鐘鬼のお堂に閉じ込められた凛と縁を持ち、そこから逃し護りぬく実力を持っていた「イタチ」はおそらく寺の忍び、らっぱ衆である。
そして同じような名を持つ老らっぱ衆「ムジナ」の存在が、「イタチ」の存在に無視できないリアリティを与える。
こいつぁ、俺の…ガキの墓だ
ムジナの「死んだガキ」とは、イタチこと作左だった、と仮定すると何が見えるか。
ムジナは結局は自分も寺と決別することになり、かつて凛と共に逃亡した息子の評価を急に改めたのではないか、と
それは突然に息子の墓を訪れた理由の判明に繋げられる。
ガキが、いなくなったあと…
何やら急に、らっぱの任が、面倒になってなぁ
息子が「死んだ」のではなく「いなくなった」と表現した理由も、ここで判明となる。
だが、受け継がれてきたものは、何かと重い
手放したくなる者がいても、おかしくはない
かつて手放したのはムジナではなく、らっぱの若長、作左こと「黒笠のイタチ」であったのだろう。
凛との出会いの場所に残された木片は、盲目で文字も知らない御子に「イ」「タ」「チ」の名を教えるのに使われたものかもしれない。
ムジナの一族
下手な字で、何か書かれている
「ムジナから、テン吉へ」と読める
竜泉詣とは、風船を用いた水生村の祭礼と考えられる。
テン吉へ宛てたミブ風船の存在は、息子一家が水生村に住んでいた可能性を補強する。
そこから、テン吉はおそらくは孫、作左と凛の子の一人では、と予想ができる。
作左と凛の子といえば隈野陣左衛門だが、他にも候補がいなくもない。
シラフジとシラハギである。
なぜなら彼女らは年齢が陣左と同世代とみえることのほか、青錆の毒が有効なことから、変若の御子、比丘尼の血筋の女性と推定されるからである。
残ったのは、あの子だけ
比丘尼の血筋は輿入れしたため、この時代は葦名には凛しかいない。
凛と母娘である可能性は、年齢の点からも矛盾しないように思われる。
「シラ」=「白」は以前の考察のとおり変若のカラーを指すものを名に追加したのだと考えて良いだろう。
彼の女衆は、いにしえの淤加美の一族の末裔
葦名の救い主ともいえるかつての変若の御子が粗野な落ち谷にいる理由は不明だが、そこを根城とする旧葦名衆とは田村時代の捨て牢で接点が出来たのかもしれない。
従って、彼らの幼い頃は水生村の「はぎ」「ふじ」そして「じん」という姉弟だったと推測される。
そして考察が正ならば、彼らはムジナの孫たちでもあったことになる。(比丘尼の孫たちでもある)
それは田村時代に捨て牢に囚われ、帰りを願う唄の対象となった変若の御子たちである。
三味線一家
「ふじ」「はぎ」はそれぞれ植物由来の名とも思われるが、もうひとつ可能性がある。
「富士糸」「剥ぎ撥」、すなわち盲目の凛が覚えた楽器である三味線のパーツ名である。
「じん」というパーツは見当たらないが、三味線のネックの先の部分は「天神」という。
もしそれが元の名前であったと仮定すると、風船に書かれた「水生のテン吉」らしき名がようやくここに現れることになる。
父上から、霧深い隠し里のこと
聞いたことがござった
彼自身は実親を覚えていないが、幼少期に地下牢に囚われ、そこで親代わりになってくれた人の養子となった、と想像してもこれまでの考察とは矛盾はしない。
そしてもう一人、近い年代で三味線のパーツ名とも言える名を持つものがいる。
「弦」である。
葦名弦一郎は、市井の生まれである
水生村の三味線弾きの子供たちは、「げん」を含む四人であったのではないだろうか。
そして更に考察を飛躍させ、仮に一心の子である丈と巴が結ばれていたのなら、
凛が巴の実妹であるため、彼らは市井の生まれでありながら一心の外戚となり得たのである。
よくぞ我が孫、弦一郎を止めてくれた
陣左衛門の名は幼名のほか、実の親である「凛」と「作左」の音韻の名残もあるのかもしれない。
そう考えると弦一郎の名には、「凛」と「イタチ」の名残があるようにも思われる。
叔父上と九郎
叔父上の墓前以来か
ここまでの考察からは、弦一郎から見た「叔父上」とは母(凛)の姉(巴)の夫、すなわち「丈」が叔父上という位置付けに収まる。
九郎は先代(一心)の御子である丈の墓前に立てる立場であることと、
平田屋敷において梟にマークされていない存在であったことを合わせて考えると
「凛」の血筋:平田から葦名に米を提供する役割をもって表に知られた変若の御子たち
「巴」の血筋:有事の際の隠し御子、更に隠蔽のために男子として周知された裏の存在
と仮定してもいいように思える。
つまり九郎は巴と丈の子であり、平田屋敷の隠し部屋の主であったのだろう。
貴い御血を、お守りしたいだけにございます
だからこそ平田を襲った時点での梟は、表に知られた変若の御子こそ殲滅したが
「御子でなく」「男子である」九郎を見落とし、後に判明してから奪いに来るという行動理由にも繋がり得る。
(警備責任者である「本物の」梟ならばあり得ないことでもあるが)
不死の契りを、俺と結べ
弦一郎と九郎は母同士が姉妹、即ち従兄弟同士の関係となる。
また弦一郎が葦名に引き取られ跡継ぎとなったのは一心の孫としてなので、おそらくは義理の兄妹でもあるのかもしれない。
以下に、現在までの考察から、「巴の一族」こと変若の御子たちの家系図を表としてまとめる。
(「=」は夫婦、「/」はスペースの都合で兄弟姉妹の同時記載)
八尾比丘尼(破戒僧) = 水生の神主(ぬしの世話係) |
||||
┌─ |
┌─ |
│ |
||
宮の老婆A /老婆B |
巴=丈 (一心の子) |
凛=作左 (ムジナの子) |
||
│ |
│ |
─┐ |
─┐ |
|
│ |
シラフジ /シラハギ |
陣左衛門 (テン吉?) |
弦一郎 |
|
│ |
│ |
|||
九郎 |
│ |
|||
仙峯寺の御子 / その兄弟(屏風の猿たち) |
考察が正なら、九郎はちょうど九番目の変若の御子となる。
(男子の変若の御子は特別な力は持たないようではあるが)
寺の御子たち(屏風の猿を含む)はシラフジまたはシラハギの子、九郎の年の近い甥や姪となる。
寺の御子は、九郎とは平田屋敷では姉妹のように育った間柄であったかもしれないが、九郎という名は偽名のためか知らなかったとみられる。
竜の帰郷エンディングでは彼女の元に九郎が運び込まれるため、もし彼女の目が見えていればかなり違った展開になったのかもしれない。
この葦名は、俺の全てだ
ここまでの考察から、弦一郎の親戚たちは葦名のあらゆる場所に散っている。
その生い立ちから彼は竜胤を断つのではなく共存の道を模索し、九郎と道を違えたのだろう。
外から来たものが、伝えた技ゆえに
巴が異邦人なら弦一郎にとっては母も、更には自分も異邦人になってしまう。
また葦名衆は竜胤との関わりを断つべき、という思想は父母の関係を完全否定する。
その点では葦名衆の独立不羈にこだわる一心「葦名流」とも反りが合わなかったのではないだろうか。
親たちの心
作左様…
どうかこの子を、この布でおくるみください
作左に敬意を払うこの文章は凛でなく、その母の比丘尼が、娘が世話になった婿の作左に宛てたという読み方でも文脈に矛盾はない。
この布でおくるみ、とは(愛妻の輿入れを)見送る(作左の)身、を意味する可能性もある。
竜泉詣では桜色の布をあちこちに下げることから、その「布」を首吊りに利用したという読み解きになる。
なお今も残っているライトアップ首吊りは、凛に現実を気付かせるため比丘尼が作ったダミーと思われる。
作左が実際に吊り下がっていたのは、今も村人が手を合わせたまま固まっている場所、村の常桜だったのかもしれない。
開門の発動直前に死んだので、本当の彼の肉体は既に朽ち果てたかに思える。
(父親のムジナが回収し、落ち谷に葬った可能性もそういえばある。風船を持ったままであることから彼はその日、テン吉に会えていないが会いに来たのだ)
村の入り口を不自然に崩したのは、工事のための人手が使える一心かもしれない。
新たな犯人像
盲目の妻が三味線で稼いでいたことから、夫である作左は身体が不自由になっていた可能性もある。
逃避行に負傷したか、あるいは竜咳を患っていたのかもしれない。
ならば今生の別れとなる妻の「輿入れ」を前に、彼は生活不安と寂しさから悲嘆にくれ自決をしたのか。
母が死んだのち、葦名に引き取られた
しかし親戚となった一心は身内の世話くらいするはずである。実際、一度に両親を失った弦一郎やフジハギは引き取っている。
なにより輿入れ当日の朝に首を吊ると、愛妻を絶望に落とした上で別れることになる。
タフで頭もいい作左が、最後にそのような裏切りを行うとは考えにくい。どうしても死にたかったのなら、輿入れ後である。
自殺の動機がないなら答えは絞られる。
作左は絶望を与えるのに効果的な祭礼の日に、他殺のうえ目立つ場所に吊るされた可能性である。
「その日」の水生村には殺意を持った不審者がいた。
巴の輿入れに乱入した者、つまり開門の暴走を引き起こした水生村事件の犯人である。
その殺意は源の香を作る現場にいた巴や一心たちのほか、御子を寺から奪った作左、逃げた御子である凛にも向いたということであれば、
その者は凛がいた時代の仙峯寺の関係者だったのではないか、という予測が水生村事件の犯人像に追加されることになる。
元は寺を護るための忍びであった
御子である凛と、らっぱ衆の若頭に同時に逃げられた仙峯寺。
結果、蟲憑きの首脳陣は米不足で行動不能となり、更に田村と一心の戦いも始まり、寺は混乱の渦中に叩き込まれたと予測される。
我が弟子は、みな道玄の元へ去った
そこからおそらく仙峯寺の僧侶たち、すなわち師弟たちは田村につく側、一心につく側に割れたのでは、と推測すると
水生村事件の犯人となったのは、かつて田村側についてしまい勢力争いに破れた「寺の落ち武者」という線も成り立つ。
それならば水生村のその日、作左、凛、そして一心を狙う動機は「恨み」の一点で明らかといえるだろう。
仙峯上人が、らっぱ衆に授けた飴
元とはいえ寺の者ならばこちらも元らっぱの可能性が高い。月陰の力も借りたであろう犯人の隠密行動は、一心への最接近をも果たした。
だが飛び猿は、左の腕と共にこれを失った
しかし彼は作左と凛の暗殺に成功するも、一心の暗殺にだけは失敗する。
だがそこで、源の香と「死なず」となる村人たちを目撃した犯人は、混乱の中逃げおおせたことが
さらに他のテキストから読み取ることができるのである。
今回の考察はここまでで区切りとして、
寺の両派のリーダーと予測される、道玄と道策の対立については項を改めてまとめたいと思います。
関連記事:
【隻狼】新隻狼考察⑦_作左と弦一郎

前回「朽ちた囚人の手記の作者は、古文書を持ったオカミに出会ったのだろう」と考察しましたが
結局それは誰だったんだろう?というところから結構想像が広がったのでまとめてみました。
ゲーム中のテキスト類から導き出した「お凛」を先にまとめると、以下のようになります。
・破戒僧の娘、巴の妹
・輿入れした巴の一族の唯一の例外
・お米が出せる
・寺に引き取られるも脱走、水生村で生活
・巴を介して丈、一心らとも知り合い
・開門の事故で御霊姿に
仏師の正体や道玄の居場所よりはヒントが多かったように思います。
未見の方は最初の考察を見てからのほうが読みやすいかも知れません。
【隻狼】新 隻狼考察①_巴の一族と水生村の事件
作左については墓をみつけました。
そちらの詳細についてはこちらに。
【隻狼】新 隻狼考察⑦_作左と弦一郎
彼の女たち
「朽ちた囚人の手記」で、石を探し村を目指した「彼の女たち」、
それはきっと淤加美の末裔であったと思われるが、それは一体誰であったのか。
香気の石、葦名の底の村に祀られておるとか
丈と香花を探していた巴か?
→これまでの考察の通りなら、水生村で生まれたはずの巴が村に帰るのに案内を要したとは考えにくい。
仙郷へ出立した比丘尼か?
→比丘尼は古文書を残した側と考えているので更にあり得ない。
しかし水生村には最後の、それも有力な候補がいる。
それは巴流に似た剣舞を使い、青錆の毒という血族独特の弱点を持つ水生村の女性、
「水生のお凛」である。
見ぬふりを、するのですか
お凛の狂気のようなセリフから推し量れる背景は少ないが、よく観察すると言動以外の点から推測できることは多くある。
まず服装と持ち物から、三味線を弾く旅人であることが予測される。
本邦の歴史において旅する女三味線弾きは「瞽女(ごぜ)」と呼ばれる職業で、
それは主に視力が不自由な人の職業だった。
よく墓石や段差に引っ掛かる点からも(?)、彼女は盲人ではないかという推測ができる。
あらぬ方向を向いていることもしばしば。
次に彼女の名を紐解く。
「凛」はパーツとして「冫」「禀」に分けられるが、
「冫」:冷たい
「禀」:こめぐら
という意味をそれぞれ持つ。
加えて彼女もまたオカミの末裔、つまり変若の御子ではないかという推測の上に立てば、
「盲」「冷」「米」が指すものは明確であるように思われる。
その三点が揃うのはつまり、
「竜の帰郷」エンディングに至る変若の御子の姿である。
そこから彼女は「細雪」の排出が可能な、二つの蛇柿を食べさせられた過去の変若の御子だったのではないかという推測が成り立つ。
竜胤の揺り籠が、二つの蛇柿を食すのを
田村よりも前の時代、蛇柿と御子の知識を持つのはまず仙峯寺である。
寺が御子に蛇柿を食べさせる動機があるとすれば、おそらく前回考察のとおり蟲憑きの育成と維持に必要な変若米の強化を狙ったものであり、
もしそうだとすると彼女は旧い時代に仙峯寺にあり米を提供していた変若の御子、
隻狼と出会った「お米ちゃん」こと現在の仙峯寺の御子の先代にあたる存在ではないかと推測できるのである。
貴いお方が、そこにはおわす
変若の御子様の、お米じゃぞい
現在の御子は秘匿性が高いように思われるので、おぼろ比丘尼たちが指すのは先代(凛)で、彼女は民間にもその存在と米とが流布されていたのかもしれない。
また寺では御子に名を付けないので、冷たい米を出せることから「凛」と後から誰かが名付けてくれたと考えると
名に意味があること、寺との関係があること両方の補強となるように思われる。
そしてこの推測を前提にすると、仙峯上人の言葉の意味は異なる内容に解釈することができる。
仙峯上人の懺悔と後悔
貴いお方…あの子のことじゃな
もうここにはおらぬ
こちらも半ば狂気を感じる上人との直接会話であるが、これは凛のことを指す可能性もあるということになる。
許しておくれ、変若の御子たちよ
残ったのは、あの子だけ
不死斬りを隠し、それを巴に悟られることから上人は巴および比丘尼の一族と近い関係であったことが推測される。
そこからこの台詞の「変若の御子たち」とは知己である御子、つまり巴と宮の老婆二人であると仮定すると、
四姉妹のうち葦名に「残った」のは凛だけで、ほかの三人は輿入れで源の宮へ行ったというこれまでの考察の状況に適合した台詞として読むことが出来る。
つまり彼のため、寺のために末妹の凛だけが残されたということになる。
奥の院に篭ってしもうた
ここでいう奥の院はおそらく水生村の奥にある例の建物を指すと予想される。
輿入れ後に残された不死斬りを隠した人物なので建物自体は知っていただろうし、主が破戒僧と思えば僧院と言えなくもない。
なお凛を一人で閉じ込めていたのは、その孤立性や格子の向こうを拝む構造から、鐘鬼のお堂が候補のひとつとなる。
そこにある三点の像は変若の御子、つまり巴と宮の老婆二人を模したものかもしれない。
貴き者とて、人は人…
姉妹代わりの像と共に閉じ込め、御子は貴いと拝んではいても人間扱いしていなかったことを後悔するような台詞を上人は吐くが、
そなたは…そなたの御子を、独りにするでない
最終的には逃したことを後悔している。
しかし、あの強い比丘尼が御子の擁立を許可したことを考えると、上人は古の戦でそれなりの信用または働きがあった者、
たとえば先代の竜胤の御子の従者であったことなども考えられるかもしれない。
宮や竜、変若の御子の事情に詳しいこと、
現在の変若の御子が隻狼を見て竜胤の従者であると見抜くこと、
それらはそのあたりの事情に起因する可能性があるように思われる。
何より、危険な赤の不死斬りを平然と持ち帰った点がポイントなのかもしれない。
少なくとも誰かは、古の戦でそれを抜き「あやかし」から拝涙を果たしたのは確かなのである。
御子の旅
凛が古文書を寺から持ち去り、内容すらよく分からないままに源の宮を目指したのは家族に会いたかったからであることがここまでの考察から推測される。
盲目であるはずの彼女が寺から脱走し森を抜け水生村まで辿り着くのは困難であったはずだが、
彼の女たち、まこと源の宮に辿りついたのか
この文からは凛を手助けした協力者の存在が推察される。
寺からの追っ手も想像されるかなりの危険を伴う旅であり、ゴール地点も夢のような存在である「源の宮」。
作左様は、いずこですか?
そんな無謀に付き合ってくれた人間だからこそ、死してなお彼女は会いたいのだろう。
作左様が、代わりにあの子を寄越してくれた
そして陣左衛門が彼女の子であること、
相手が「作左様」であることは明確といっていいように思われる。
つまり彼女たちは(この時代、葦名の何処にも竜胤の血はないので)源の宮へは行けなかったが、おそらくは水生村で平和に家庭を持ったのだろう。
しかしその後の葦名の歴史は、田村の侵攻へと続く。
貴い御子の米を失った葦名全体が竜咳の流行により弱体化した、つまり凛の逃亡が田村台頭の引き金になったということもあるのかもしれない。
捨て牢の唄
ああ…呼んでおるのは儂なのか、尋ねるのじゃった
隻狼の時代、亡霊となったお凛の唄は捨て牢へ届き、その子である陣左衛門を呼ぶ魔力を持った。
以前の考察で、田村時代に捨て牢に囚われた変若の御子がいる可能性に触れたが
それが凛と作左の幼い子であったとするなら、子を呼ぶ唄との線が繋がることになる。
盲人ではあるが三味線を習い覚え、普通の人として生きようとしていた凛が
肺病に効く米を利用しようという田村に子を奪われたと仮定した先ならば、
捨て牢に囚われた子供たちへの帰還への強い願いを込めて唄っていたと想像することは難しくない。
なお陣左が特別扱いでないことや養子に出されたとみられることから、米を出す力を持つのは女性、お凛と作左の娘たちが別にいたのではと予想される。
そして捨て牢は、一心と巴に解放される。
帰りを願っていた子供たちは、彼女の実の姉が助けてくれたのである。
それは苦労の多い凛の人生の中で、最も幸福な日となったことだろう。
再会した二人は、(巴の竜胤の血を素材に)共に宮へ輿入れするために動くことを決める。
あの白い、香気まとう花が咲いているかも
丈が巴に協力したのはこのタイミングだろう。
また一心は水生村の水さえあれば、彼女ら竜胤の恵みを断っても葦名は自立できると思っていたと想定される。
丈様の咳は、ひどくなられるばかり
範を示すためか咳き込む丈に変若の米を与えていなかったとみられ、その姿に悩んだ巴は一時、自刃による抵抗力の返還まで考えている。
そんな紆余曲折の末の輿入れの日、
穏便な竜胤断ちが成るはずだったその日に、
水生村は呪いに落ちるのである。
ある日、水生村に首吊りがあった。
死んでいた男の名は作左。
その祝祭の日、愛妻と永遠に別れる筈の男であった。
同じ日、村からやや離れた岩戸の社殿。
大勢の友や家族に囲まれた凛は、微かな不安の中にいた。
姉に会えた。輿入れが済めば父や母にも会えるという。
お米を出すあの力が備わった娘たちは、葦名に置くべきでないというので共に連れてゆく。息子たちはここにはいないが、一心様の伝手で立派なお家の養子となった。
宮への輿入れ――それは幼い頃から、待ち望んでいた日であるはずなのだ。
しかし、目が見えずとも判る。
別れを惜しんでくれる村人、助けてくれた一心様やそのお仲間は大勢いらっしゃるが、
作左様は、この場にいない。
夫であり、囚われの自分を助けてくれた大恩ある作左様。
どうして見送りに来てくれないのだろう。
一心様や知人に、村のほうへ頼りの使いを出してもらっても、みな戻らないか曖昧な返答ばかり。
巴姉様さえも、知らぬ存ぜぬの一点張り。
誰に聞いても答えてくれない。
まるで――目が見えないのを幸い、何かを知らぬまま輿入れをしてしまえばいい、
そんなことで口裏を合わされているような奇妙な雰囲気を感じる。
落ち着かない気分のまま、源の香を作るという儀式は進行してゆく。
突然の怒号。混乱。
何が起こったのか分からぬままに――
村に何があったのか。
自分に何かあったのか。
――作左様。
今頃は、どこにどうしておられるのか。
気づけばただ、三味線の音だけが、響いていた。
水生村で起こった事件については過去の考察の発展となる。
村人たちの永遠の日常継続を開門に願ったのは、その混乱の場で死んだ凜であったのかも知れない。
凛もまた村人にカウントされる存在で、死んだ瞬間に開門の現状維持の呪いに捕らわれたため
生者でも死者でもない、隻狼世界では「御霊」と呼ばれる形のままの水生村住人となったのだろう。
そして全盛期の姿で黄泉帰った彼女は、当時捨て牢に向けて歌っていたわが子を呼ぶ唄を歌い、
やはり…儂を待っておったのじゃなあ
偶然にも十数年を経て、歌が届いた一人の息子との再開を果たすのである。
そして水生村の水が使えなくなった以上、葦名は竜咳で滅びる。一心は苦渋の選択で村の封鎖を決断、竜胤断ちを一旦諦め娘二人を葦名に残して貰う。
(変若水がない以上は、変若の御子の米に頼るしかないのが葦名の弱みである。)
そして寺や田村のような輩に二度と奪われない絶対の御子防衛施設が必要となり、
それが平田屋敷の誕生に繋がったのだろう。
従って凛の娘である二人の変若の御子、
シラフジとシラハギはおそらく平田屋敷にいたと推定されるのである。
長くなってしまいましたので、作左様の追求や次世代については次回に。
関連記事:
【隻狼】新隻狼考察⑥_お凛の足跡

「太郎兵は何故太郎兵なのか」
そんなことを考えていたら
獅子猿に繋がってしまったという話です。
柿と「太郎」
葦名の太郎兵は、柿をたくさん食べて育つ
ゆえに食べ頃を心得ている
隻狼の太郎兵といえば白い巨漢であるが、
彼らが柿を所持したり食べたりする描写は少ない。
柿を落とすのは葦名の猿である。
落ち谷の猿は異様な強さを誇る二刀流の白猿のほか、刀や鉄砲で武装しており内府軍と戦う気概まで見せる。
対して巨漢のほうは地均しのハンマーやなぜか鐘を担いでいるだけで内府襲来時は泣き叫び、兵らしさは相対的に低い。
つまり柿食う太郎兵とは実は猿の兵士を指す言葉であり、火牛のような葦名の秘密調教兵器であるという可能性はないのだろうか。
お主、太郎兵に鎧を着せたそうじゃな
ああ、あ奴め、ぐずりおってな
猿に鎧を着せたとしても意味は通じる。
巨体に強力も「猿にしては」だったのかもしれない。
捨て牢の「太郎」
その仮定の上に立つと、若干意味合いが変わってくる文章がある。
捨て牢の注文書である。
頑強な男、一人 入用
熟達の侍、若しくは大柄の太郎兵などが、良い
ここに書かれた太郎兵が猿兵を指すとするならば、捨て牢ラボは猿も改造対象とする技術を持つことになる。
(寺外れでうずくまっていた巨漢の小太郎は「頑強な男」でもあるので注文は満たせる。)
しかし赤目に改造された人間はいるが、赤目の猿はいない…と思うところだが、明らかに自然発生とは思えない猿ならばいる。
二刀流の白猿、そして獅子猿である。
獅子猿の顔の傷は縦に入っており、首を切り落とす途中のような大刀の切断方向とは実は無関係である。
またその割れたような痕に若干似ているのは、捨て牢の囚人たちの傷である。
もしも「太郎」が猿ならば、獅子猿は捨て牢で作られたクリーチャーである可能性が出てくるのである。
手記の「太郎」
もうひとつ、捨て牢と「太郎」を繋ぐものがある。朽ちた囚人の手記である。
小太郎や、小太郎や、すまねえなあ…
小太郎は寺にいる巨漢の名ではあるが、珍しい名前であるとはいえない。
捨て牢で改造される前の獅子猿が普通の小猿であったならば、それを「小太郎」と呼ぶ囚人がいたと仮定することも
太郎と猿、牢と獅子猿を繋ぐ線の先ならばあり得ないことではない。
またこの手記には他に大きな特徴がある。
香気の石、葦名の底の村に祀られていおるとか
じゃが「身を投げねば、辿り着けぬ」とは…
この囚人は一部を引用できるほどに淤加美の古文書を知っているのである。
石を求めるのはなぜか。古文書を見るくらいなので、源の香の材料集めだろう。
この後に「彼の女たち」ともあり、それは比丘尼や巴のような輿入れを望む淤加美を目撃した記録の可能性が高いように思われる。
あの白い、香気まとう花が咲いておるやも…
ではその石や花を集めていたであろうオカミは、猿から見たらどのように映るか。
雌の猿は、この白い花の香りを好む
それは香の材料となる白い花をも求める雌であった、という認識は誤ってはいない。
この認識に至った賢い猿は、しかし人と猿の区別がついていないのである。
淤加美一族の伝承を辿り、ここまで来た
彼の女たち、まこと源の宮に辿り着けたのか
つまり、手記の主と「小太郎」獅子猿は、源の香を作ろうとする「ここまできた彼の女たち」と、共にどこかで出会っていたという可能性が読み取れるのである。
そして「ここ」とは、捨て牢の中とは限らない。
「猿と共にいた者」のヒントは外にある。
村外れの「次郎」
猟師の犬彦のやつが松脂を燃やして、家に立てこもってたんだ
水生村を覆う森には、かつてこの松脂が取れる黒い松があり、
くすぶる火は、村への道しるべであった
水生村の森には、黒松脂採取、猟師、道案内を生業とする一族がいたとみられる。
いま猟師に見えるのは、森に住み銃と火を所持している牛飲の徳次郎である。
彼の特性からその一族は猿の使い手、大刀の使い手でもあると想像できる。
また死なず化した水生村住人の現状認識は10〜20年程度昔のままと考えられることを合わせ、「犬彦」は彼の先代の猟師ではと推察される。
強力な火薬の元となる黄色い煙硝
落ち谷で取れる貴重なもの
個人で銃を持っているのは猟師だからであるだろうが、葦名における火薬の入手ルートは落ち谷が有力な候補と考えられる。
落ち谷は旧葦名衆のルーツであると思われることから、犬彦もまた前回考察にあった田村時代に捨て牢に収監された旧葦名衆であった可能性が想定される。
彼が道しるべ担当、つまり森林内で村へのガイドをも務めていたのならば、石や花を求めて旅をするオカミの一行と出会い、そこで古文書を目にしても不思議はないといえる。
つまり朽ちた囚人とは猟師の犬彦であり、
彼は飼い猿であった小太郎と共に、古文書を頼りに源の香を作ろうとするオカミを村へ案内したことがあったのである。
彼にとって目の前の村、祭礼には人々も多く訪れる普通の村が「身を投げねば、辿り着けぬ」と書かれていたことが気になって日誌に残したのだろう。
よく見ると数枚の組み合わせのようである。
それはもしかすると、何回かに分けて書かれたものだったのかもしれない。
今回の考察範囲からは、獅子猿誕生までの流れが以下のように想像される。
田村による葦名侵攻の少し前、
水生村近くの森。
奇妙な古文書を持った女たちが、森の猟師であり案内人でもある犬彦に道を訪ねた。
「源の宮に行くため」「白い花も探している」「身投げ」等など、話の意味はよく判らないが、目的地だという水生村ならば目の前である。
猿たちに命じて近隣の白い花を探しに出してみたが、芳しくないのでその日は諦め旅人を案内し別れた。
小太郎猿だけは迷子になったかまだ帰らない。
犬彦はその日、日誌に以下のように記した。
香気の石、葦名の底の村に祀られているとか
じゃが「身を投げねば、辿り着けぬ」とは…
それから数日後。
田村なる武将が葦名の城の中枢に居座ったらしいとの噂を別の旅人から聞いた。
落ち谷との関係者は城の牢に拉致されているとの噂も聞く。
先日の女たちはどうなったか知りたかったが、自分も収監を覚悟しなければならない。
犬彦はその日、日誌に記した。
淤加美一族の伝承を辿り、ここまで来た彼の女たち、
まこと源の宮に辿り着けたのか
それが知りたいが、どうやら叶わぬようじゃ
それからどれほどの時が過ぎたのか。
大勢の人間が押し込まれ肺病も流行り始めた暗い地下空間の中、犬彦は思いがけないものを見た。
猿の小太郎が、主人の居場所を探しあて帰ってきたのだ。
その手には、白い美しい花が携えられていた。
朽ちた囚人の手記には、最期の言葉が綴られた。
小太郎や、小太郎や、すまねえなぁ…
小太郎の運命については、その後に花を知る獅子猿が生み出されてしまったことが証明している。
獅子猿は大切に育てていた
己のつがいに供えるために
この文は実は「(自分を)大切に育てていた己のつがい(=飼い主)」と続けて読むのが正しいように思われる。
手向けの花も、朽ちてもう無い
またその手に花が携えられていたことも、「花は」ではなく「花も」であることと、囚人と一緒の「朽ちて」の表現が示しているように思える。
「手向け」とは旅人に渡すものも指す。
真白いお花を、探さなきゃあ
そして名前に加えて白い花を探すという偶然とは思えない共通点から、更に考察を飛躍させることもできる。
寺の「太郎」
なにせ、おらは、御子様たちのお世話係だからな
花を探すのも「お世話」といえる。
そして探していた女は地上のオカミ、即ち「変若の御子」とその協力者でもある。
じめっとした…穴倉みたいな所に、連れて行かれちまった
寺の小太郎の捨て牢の描写は、行ったことがあるかのように具体的である。
お父ちゃんは、そこにいるんだあ
「お父ちゃん」という単語は「父親」のほか、妻から見た「夫」を指す場合もある。
人間と猿の区別がつかない猿、という前提をここに反映させて考え、
もし小太郎猿が雌であり、愛情をもって接する男の飼い主を「つがい」と思っていたのなら、
小太郎が飼い主である犬彦を「お父ちゃん」と呼ぶことはあり得ることになる。
つまり記憶が定かではない寺の小太郎の人格は、犬彦が遺した猿の小太郎(雌)のものである可能性が高いように思われる。
では改造小太郎であるはずの、獅子猿の中にいるのは何者なのか。
あれはもはや…人間ではない…
犬彦は村の鼻つまみ者だ
獣の肉など、食いやがる
惨いことに、犬彦自身がいまや「獣の肉を食らう、かつて人間だった者」になっているという仮定がひとつの可能性となる。
首を失ってなお、水生村の森へ帰ろうとした意志は猟師だったならばおかしくはない。
首に刺さった刀は、人間らしい心が残っていた頃の自刃未遂の跡だったのかもしれない。
しかしこの仮定が真ならば、捨て牢は田村時代の時点で人格の交換技術が確立されていることになる。
(あるいはそれが「御霊降ろし」と呼ばれるものなのかもしれない。)
獅子猿の刀
2体目の巨大猿は謎として残る。
ひとつの可能性は黒の不死斬り、開門の力である。
・犬彦が黒の不死斬りを知っていた
・獅子猿が黒の不死斬りの実物を持っていた
・国盗りの捨て牢解放戦などで黒の不死斬りを持って竜胤である巴を傷付けるほどの善戦をした
条件がやや厳しいがもし揃っていれば、弦一郎と同じく、自らの首を切り落とすことによる開門を望んでもおかしくはないのかもしれない。
犬彦の人格ならば、最期に(全盛期の姿の)小太郎の復活を乞うかもしれないのである。
(蟲がいるので、半兵衛同様に自刃はできないのだが。)
獅子猿の残した咆哮は、
あるいは、何かを乞うものだったか…
登場と退場のタイミングを考えるとその願いは
「次に自分が生まれ変わった時、共に生き、共に死んでほしい」
といった内容のものだったのかもしれない。
犬彦が生業としていた黒松脂採取と黒の不死斬りは何らかの関係があるのか、
または道策・道玄などの捨て牢博士から用意されたのかなど
その辺りはいまだ予想がつかないので開門説は想像のその先がない。
蟲憑きであるはずの大猿の顔になぜか傷が残る理由や、一心が不死斬りを持っていた経緯に繋がるのかもしれない。
このあたりは田村時代の捨て牢についての考察時にでも再度見直してみたい。
なお獅子猿のねぐらにも、満月は見えるようにも思われる。
太郎兵たち
小太郎の名を継いだのが猿の太郎兵たちであり、太郎兵に食べさせる柿が太郎柿であったならば
獅子猿こそが初代の太郎兵でありネームドとなった白い悪魔である。
太郎柿も捨て牢で開発された、人工兵士たちの成長を促す特殊な品種なのかもしれない。
またあの長過ぎる刀は初めから生体兵器である獅子猿に持たせるため専用に作られたと考えるのが唯一、納得がいくサイズ感でもある。
白い二刀流の猿についても、獅子猿と同様に人間の人格を移植されてしまったと考えればその技術や強さは理解できる。
ただ同じ白猿である獅子猿が刀を一本しか所持していない理由は、今のところ不明である。
考察を続ければ、その空隙にいつか開門が違和感なく嵌まるのかもしれない。
仮定が多く開門については若干の消化不良ですが、各テキストの読み方によっては様々なドラマが浮かび上がることが想像される考察になりました。
また捨て牢の歴史は案外長く、その技術には予想以上に非倫理的・超自然的な力があることが朧げに見えてきたようにも思われます。
捨て牢は忍び義手や隻狼自身とも何らかの関りがあるように思われるので、今後も考察を継続したいと思います。
次回は犬彦が村へ案内した「彼の女たち」の足跡について。
参考:
サルタヒコ - wikipedia …猿であり道案内であり蟲とも縁のある神。
関連記事:
【隻狼】新隻狼考察⑤_獅子猿の主

いままでの考察結果がパズルのピースのように嵌っていくので、筆者としては面白い考察でした。
さらにその後の考察のベースともなっています。
竜咳と米
生きるための、当たり前の力を奪われています
エマの解析によると竜咳のメカニズムは、竜胤の従者の回生に「力」を奪われたことによる。
その「力」とは、葦名の人間が、産まれた時から持っているものなのだろうか。
葦名は高地である。そもそも寒く、空気が薄いであろう上に火山性とみられる毒ガス帯まで存在する。
たとえ喘息持ちでなくとも、呼吸器には厳しすぎる土地柄であることが伺える。
人は葦名で生きようとすると、ただそれだけで高い確率で肺病を得るのではないだろうか。
しかし人々は克服し生きている。「(葦名に)生きるための当たり前の力」をどこかから得ているということなのではないか。
止まぬ咳が、止まるのだ
竜咳の特効薬は、竜胤の雫である。
人々が日常的に摂取する、それと同じものがあることになる。
お米は、大事と、存じます
変若の恵みが、肺病の薬となっていたと仮定すると、後述する様々な点の辻褄が合う。
源の宮の要素が含まれる水生村の水や、変若の御子たちの掌の米には、竜胤の雫と同じ要素が含まれているという仮説である。
平田屋敷が、変若の結晶である白米を生産できる変若の御子たちを囲い、葦名全域の人々に変若米を提供する生産基地であった、と考えると
水運に適した立地にあり、倉庫と学舎を備える不思議な施設である理由、また内府が施設そのものを破壊した理由も分かる。
葦名の米を賄う、文字通りの「平田」だったのである。
そして竜胤は病を撒き散らす訳ではなく、
変若と龍胤のシステムは人々に肺病の薬を与え、必要に応じて回収しているということになる。
竜咳に苦しむ人々は、子供の時から自然に馴染んでいた竜胤の薬効を断たれ、葦名の天然の毒性空気に直接晒された姿なのだ。
ゆえに酒も、うまあいっ!
そして酒は米と水の合わせ技である。
葦名衆には、葦名の酒が旨く感じて当然なのである。
荒れ寺の周辺人物が竜咳に掛からないのは謎だが、変若の御子である九郎自身が米を提供しているのかもしれない。
九郎にも米を出す能力があるのか?という点については、
これは、密かに秘めた決意と
惜別をこめて、こしらえたもの
2個目のおはぎは、寺の御子に貰った米で作ったとは書かれていない。
こちらは九郎のお米からの手作りなのではないだろうか。
うまそうな茶だ。もらうとするか
そうなると仏師殿は米を拒んでいることになるが、竜咳の調べのために身を提したのだろうか?その点は今のところ判然とはしない。
酒はいいが米は遠慮している理由は、何かの考察のヒントになるのかもしれない。
変若の御子は、おそらくみな掌から米を出せる。
そして掌の米は、葦名の民にとって無いと命に関わるレベルで大事なのだ。
せめて竜胤を断ち、人に返して差し上げたい
余談となるがここまでの考察から、これは不死の人物を人間に戻したいのではなく、
巴は自分の胎内に竜胤を持ち、それを停止することで人々への力の返還を図ったとも読める。
あの日、常桜の木の下で…
巴殿が…自刃されようとしたのを…
巴が自らの竜胤に黒の不死斬りを突き立てるのを、エマは自刃と見たものだろう。
「巴も揺り籠である」「黒は竜胤を殺せない(拝涙できない)」という話に広がるので詳細はまた後日。
蟲と米
獅子猿や破壊僧は蟲憑きであるにも関わらず、寺の僧のようにやせ細った姿となってはいない。違いはどこにあるのか。
落ち谷の奥に咲いていた、青白い蓮の花
米や睡蓮が示すように、変若の色素は白色であると予想される。
破戒僧の水生村も源の宮も、色鯉が流れ着き睡蓮の咲く獅子猿の水場も変若要素の豊富な土地である。
変若要素が豊富ならば、獅子猿や破戒僧のような白味を帯びた身体となり、痩せ衰えることもなく蟲は安定して飼いならせるものと思える。
逆に考えるとミイラのように痩せた僧の姿は、変若の栄養補給を失った蟲憑きの姿なのではないだろうか。
高い金剛山には、源の宮から流れる水を湛える川はない。
平田屋敷を失った結果、変若米の供給が断たれた僧たちは一般人の「肺病」とは異なる「栄養不足」の被害を被っており、その時点で、変若の御子を携えて居座った梟の強要に抗えるはずがなかったのである。
かつては普通の姿だったであろう蟲憑き僧たちは、平田屋敷の陥落と変若の御子の引きこもりによるダブル米ショックで、蟲憑き独特の痩せ病(?)に悩まされているのだと予想する。
僧のムカデは栄養不足からか、隻狼が近付くと吸ってくるのである。
これは獅子猿などの蟲には見られない行動である。
なお梟派の忍びや寝返った僧は、おそらく平田から奪った在庫の分配を受けているのだろう。
または葦名の火山性の毒ガスは、さらに高所には影響は少ないのかもしれない。
田村と米
敵将田村の時代には、一心の縁者である平田の屋敷はあるはずがない。
しかしこれまでの考察の通りならば、葦名に来た田村も米を必要としていた筈である。
国盗られ刑死した
葦名衆の荒ぶる御霊
ここに鎮める
捨て牢には田村時代の前に住んでいた、旧葦名衆の碑がある。
一心は盗られた国を盗り返す意図なので、旧葦名衆の出身であることが伺われる。
その同族を田村は捨て牢に捕えていたのだ。
そして巴もまた、捨て牢に目的があったのではないだろうか。
巴… あれほどの遣い手は、そうはおらぬ
輿入れして宮にいた巴に、葦名一心に国を持たせたい理由は見当たらない。
しかし彼女の親族である変若の御子、肺病に効く奇妙な米を出せる子供たちが田村に利用され迫害を受けていたのなら、同じように旧葦名衆を解放したい一心と手を組む理由は十分となる。
弦一郎の師の技じゃ
なかなかに、面白かったであろう
地下牢では、巴の雷も届かない。
一心と巴の共闘の気配から、旧葦名衆と当時の変若の御子たちは、共に捨て牢に囚われていたのではと考えてもおかしくはない。
むしろ外から来た田村から見ればどちらも原住民である。セットで収監するほうが自然とさえいえる。
そして巴の雷は、葦名に再び米の豊穣をもたらす「稲妻」となったのである。
以下が、米と変若の御子を中心とした葦名の時系列の整理となる。
次回以降の考察分も少し含む。
「御子」はすべて変若の御子の意味である。
・八尾比丘尼、あやかしを封じる(古文書時代)
・蟲憑きの寺が開祖の上人により興される
・比丘尼が輿入れするも末子を葦名に残す
・比丘尼の末子、寺に封じられ米を生産
・「有難き寺の御子の米」が葦名民間に流通
・寺の御子、逃亡する。竜咳が再流行
・田村の侵攻。次世代の御子たちと米は田村が専有する
・巴の浮き舟渡りと一心の国盗り(二十余年前)
・巴と一心が牢を解放する
・一心が米生産拠点を牢入口から平田へ移す
・巴の帰郷時、水生村事件が発生
・平田の御子たちが再度の世代交代
・梟と内府、平田を襲撃し御子たちを殺害・強奪(三年前)
・寺の蟲憑き、米不足となり痩せはじめる
・葦名は米不足で斜陽、存亡の危機を迎える
現在の状況:
・仙峯寺は梟が平田から誘拐した御子を置くも結局、米は得られなくなり僧たちは飢える
・弦一郎は、変若水や九郎とその血筋を利用した葦名の建て直しを図る
・一心と九郎は逆に、葦名からの変若/竜胤の影響の一掃を図り隻狼が暗躍する
平田の郎党である伊之助の服とおなじ稲穂の紋が、捨て牢入り口に放置されていたため、米どころの移動は信憑性がそれなりにあると思われる。
想像をたくましくするならば、この素朴な変若の御子の紋デザインは、もしかすると解放当時の変若関係者では最年長の巴の手によるものかもしれない。
また平田と捨て牢入口は、共に大量の桶を積んだ大八車が多く見られる。変若の御子の米は稲わらがなく、俵が作れないため輸送には桶を用いたのだろう。
どこで道を…別ってしまったのだろう
このように整理すると明確だが、ふたたび竜胤の力で葦名を救いたい弦一郎と対象的に
九郎と隻狼の不死断ちの先にあるのは、変若の恵みを失い竜咳に喘ぐ葦名の姿しかない。
しかし更にその先、竜胤・変若の恵みへの依存の断ち切り=葦名に生きる人間の竜胤断ちこそが、
竜胤断ち
それを成す術を、ここに書き記す
いずれ竜の雫を仙郷に戴くべし=返却せよという初代の変若の御子である比丘尼、および
毒地で生まれ育つ生き物は、
毒の影響を受けぬようになるという
葦名の毒素の源の水、毒慣れ修行の地とみられる毒だまりに育ち
変若の米なしに国盗りが可能=おそらく生まれながら竜咳に罹患しない男たちの将である葦名一心による葦名のための選択だったと思われる。
儂はこの葦名を、黄泉還らせねばならん
この世のものでない食物を口にした葦名を、いま一度、黄泉還らせるために。
ゆえに隻狼、お主を斬るぞ
それは最後の変若の御子を斬るために。
そして葦名と竜胤の未来は、掟に縛られ駒に過ぎなかった男の意志に委ねられることとなる。
ここまでが、今後の考察のベースとなる内容となります。
次回は獅子猿と小太郎について、これまでの設定考察を踏まえて捉えなおしていきます。
参考:
神産み - wikipedia …口にすると帰れなくなる「黄泉竈食ひ」についての記載も。
関連記事:
【隻狼】新隻狼考察④_誰が為の葦名

ただし平田屋敷や梟の考察については、仏師との関係などもあり容易ではありません。
そのため今回は梟の行動と目的について、これまでの考察をベースに表面に見える部分だけをトレースすることとし、深部については後日に回したいと思います。
寄鷹と梟
空中殺法を得意とし、藁蓑に身を包み、猛禽を名乗る葦名の忍者「寄鷹の衆」。
技、装備、そして名前から「梟」は寄鷹の一員であることは十分に予測される。
また個人として一心の近くにあったことや、「親は絶対」などの規律を引いていることから、
梟が寄鷹衆を率いる立場にあることは疑いないように思える。
なお対象がひとりふたりでは「親は絶対」の掟をわざわざ用意することはないように思われるため、
戦場で孤児を拾い忍びに育てることは日常的だったのかもしれない。
終盤で寄鷹同士の戦闘が行われているのは、梟派と一心派の争いかと思われる。
己の掟は、己で定める
「主は絶対」もまた、鉄の掟であり――または、隻狼と同じような心境の変化がその同士討ちの背後にあった可能性も否定はできない。
葦名より北に離れた薄井の森には、
正体掴めぬ猛禽が棲む
梟の名と同じ薄井の森は、寄鷹の修行場である可能性がこの文からは垣間見える。
余談となるが、鳥の名を持つ忍びは他にも名前が登場している。
川蝉、そして霧がらすである。
おそらく寄鷹と、そして梟と無関係ではないのだろう。
森で修業したというお蝶が、老い羽の、そしてぬし羽の霧がらすであるかもしれない。
だが今回の考察の中心はあくまで梟とするため、それらの推量は後の機会としたい。
大望
梟は桜の香木を持っていたが、仙郷の常桜は源の香の材料にしかなり得ない。
梟に輿入れの動機があるとは思い難いが、彼が源の香に興味を惹かれそうな仮定がひとつある。
前回考察の仮定、水生村が開門の暴走事故によるものであった場合である。
いま自分に忠実な部下たちを、もし水生村と同じような「死なず」に出来たなら、
もはや誰も手の届かない権力の持ち主になったも同然となる。
梟は水生村で起きた変事を調査した結果、源の香というものを作る過程で「そうなった」らしいということまで知ったのではないだろうか。
彼は「死なずの探求者」となったという仮定である。
桜、花、石、そして血。
梟は城の常桜を手折り枯らしたのち、水生村や落ち谷に寄鷹を走らせる。
血を持つ御子は、平田にいた。
揺り籠と雫
平田屋敷には、九郎がいた。
しかしこの時点で九郎が竜胤の揺り籠だったのならば、なぜ、目的であった揺り籠の誘拐を梟は果たせなかったのか。
ここでは、襲撃の時点では九郎は揺り籠ではなかったのではないかと考察する。梟の認識の外にあったのでなければ、味方のない状況で拉致は免れないからである。
ここで揺り籠と竜の涙についてもう一度整理する。
揺り籠の命果てず、子を宿さば、
竜胤の御子は不死身であったとしても、揺り籠は死ぬ可能性があることがわかる。
一度流れた涙もまた、形を保ち
常しえに乾くことはない
しかし竜の涙/雫は「常しえ」である。ならば揺り籠が死ぬと既に飲んでいた雫はどうなるのか。
不死の契約成らざる時に、引き換えに残ると伝わる桜色の結晶
不死となる子を成せなかった揺り籠から、おそらく取り出すことが出来るのである。
「不死の契りをやり直し。」とは、婚約からの再トライを指すのだろう。
しかし、もしもこの雫の移譲を意図的に行うとしたらどうか。
揺り籠の命と引換えではあるが、悪意の襲撃者から、竜胤の存在を隠すことができるのではないだろうか。
死んだ変若の御子から生きる変若の御子への、雫と竜胤の譲渡。仮にそれが行われたと考えると、変若の御子「たち」は、複数が平田屋敷に住んでいたことになる。
つまり襲撃の時点では、特別扱いの「揺り籠である変若の御子様」が九郎の他にいた。
その仮定は、九郎が拉致を免れ城に保護される理由にも繋がるように思われる。
仏に供えて欲しいと、老婆は望んでいた
鈴を持っていき、供養してくれるか
野上のおばばも九郎も、「御子様」に渡すはずだった守り鈴を、本人ではなく「仏」に供えてくれという。
仏に供えるとは大抵の場合、死者への供養を指す。
平田は終いじゃ…
こちらも完全に取り返しのつかない終わりに至った感が非常に強い。
隻狼も、護るべき御子を失い井戸底にいた。
彼らの特別な「平田の御子」は、もはや希望なく確実に他界しているとしたら
それは自然なリアクションであるといえる。
実際、平田屋敷を調べると未成年とみられる犠牲者も複数確認できるのである。
暗闘
梟は平田屋敷で香の材料である竜胤の血液、即ち揺り籠の誘拐を狙った。
しかし何者かが梟の先手を打ち、揺り籠を殺害し雫を摘出した。
雫を密かに譲られた別の変若の御子は、揺り籠となり従者を任命する力をも持つ。
それは死にかけた人間を救い、命を延ばす力ともなる。
梟の野望阻止のために動いたのは誰か。
選ばれ、新たな竜胤の主となったのは誰か。
従者に選ばれたのは誰か。
どこまで事実か分からない平田屋敷の幻であるが、隻狼の記憶をプラスすることでこれらの解までは辿り着けるように思われる。
しかし仮に九郎が近い年代の親族、例えば兄弟のような存在の死の上に生き残った御子であるとするならば、全く同じ境遇の「御子」がもうひとり存在する。
仙峯寺の変若の御子である。
この類似は偶然ではなく、多くの兄弟が死んだが二人だけが生き残ったのだと仮定すると
平田襲撃の先の展開をまた違う方向へ進めることができるだけでなく、仙峯寺の御子の出自も明確にできることになる。
最後に、今回考察範囲の内容をまとめる。
炎上する平田屋敷の一角。
梟の姿をした男は、不覚を噛み締めていた。
内府と組んでの平田襲撃自体は上首尾に終わった。平田屋敷はもはや再建は成らず、葦名の大打撃となろう。
しかし、自分の目的は果たせていない。
誘拐するはずだった御子、「竜胤の揺り籠」の娘は、既に何者かに殺害されていたのだ。
「はぐれ忍び」の乱入も、想定外だった。仏殿が倒壊しなければ、危なかったかもしれない。
――先行させた霧鴉に、一杯食わされたか。
舌打ちをしながら、気絶させた一人の娘を担ぎ上げる。
ほかの変若の御子はすべて殺したが「竜の涙」は見つからなかった。何者に雫を飲ませ、隠したか。
――九郎様も、平田にいたはず。
一瞬はその考えがよぎったが、男児であり変若の一族でもない筈だと考え直す。
ともかく。
裏切りのため倅も何人か手にかけた以上、
おめおめと手ぶらでは去れない。
いまはこの偽りの御子でやむを得まい。
いずれ竜の涙を飲ませ、真の揺り籠にしてくれよう。
竜胤の血、源の香、不死の忍び衆。
死なずの求道こそ、大望への道。
この平田から逃げた者、皆殺しにしてでも竜涙を探し出してくれる。
梟は獲物を抱え、炎が照らす夜空に消えた。
その後、梟が寄鷹や賊の配下を連れて占拠した地、
野望のため死なずの探求を続けた拠点はおそらく仙峯寺と推測される。
それを示すように、賊や、技や装束から寄鷹の精鋭に見える忍びが、寺に配置されている。
今は、死なずの探求の手足である
らっぱ衆も梟の配下におかれたようである。
寺に散らばる遺体は、水生村の死なずの研究かお宿り石探しのため攫ってきたものか。
兄弟を殺されながらも生き残った、変若の御子のその後は周知の通りとなる。
上人との関係は薄く、寺で作られた訳でもない。
彼女が蟲憑きとされる可能性は低いといえるだろう。
変若の御子たちの亡魂も、たゆたっており
屏風の猿たちに宿り、動かした
共に平田で暮らした変若の御子たちは、見る猿、聞く猿、言う猿、となったと考察される。
エマ殿、平田から逃れてきた者、他には
もうほとんど、残っておりません
平田屋敷の直後、逃げてきたものを見舞うだけならばこのやりとりは不自然である。
平田屋敷襲撃の後も、何者かによる逃亡者殺害事件が暫く続いたであろうことが伺える。
梟の殺戮は、九郎に竜胤との決別を促した要因のひとつになったのかもしれない。
仮定に仮定を継いだ想像と空論の内容ですが、平田屋敷の事変を見直すためのひとつの視点の提供になればと思いまとめてみました。
平田屋敷については考察を継続して、いつかは全容を解明したいと思います。
参考:
ツクヨミ - wikipedia
関連記事:
【隻狼】新隻狼考察③_大忍び梟の軌跡

その母や姉妹は竜胤と無関係であるのか、
またそもそも竜胤の御子が
宮へ「輿入れ」したり
再び地上へ「浮き舟渡り」したりと
忙しく上下するのは何故か、
という点の考察(超私見)から、隻狼ストーリーの根幹から裏話まで関わる「竜胤」とは何なのか、の解説・説明を試みたいと思います。
竜胤について異質なほど具体的なのは上人の「竜の帰郷の章」であるため、まずはそちらから。
竜胤の血族
竜胤の御子が、つめたい竜の涙を飲み干し
竜胤の揺り籠が、二つの蛇柿を食すのを
揺り籠の命果てず、御子を宿さば、
西への帰郷は叶うだろう
この文から、竜胤、竜胤の御子、といった言葉の意味をある程度明確にできる。
出てくる重要キーワードは
「つめたい竜の涙」、
「竜胤の揺り籠」、
「二つの蛇柿」である。
揺り籠が母体を指すことは文章から想像がつくが、その前に竜胤の御子が涙を飲むことになっているため前後がやや混乱する。
ここで「冷たい」で良いはずのところをあえて「つめたい」となっている点に着目すると、これを足掛かりに別の方向へ解釈を進めることもできる。
考察が発展する有力な候補のひとつは「詰めたい」である。
黒は転じて生を成す
竜胤を供物に乞い給え
黒の巻物の記載は、不要な改行を除くと「転生を成す竜胤を…」とも読める。
これを元に、ある女性に、いずれ産まれる我が子(御子)の肉体に詰めたい竜がいると仮定して、
その「涙」を飲むことで竜の転生となる御子を生む母(揺り籠)となれると考えると、時系列の前後しない文章となる。
この解釈で再整理すると以下となる。
1.母親候補が竜の涙を飲み竜胤の血の所持者(竜胤の揺り籠)となる
2.その母親候補が更に蛇柿を食べる
3.その母親候補が子を宿し出産する
4.竜の魂を詰められた「竜胤の」御子が誕生する
そして「帰郷」は叶うのである。
竜胤の御子が傷を負わない肉体を持つのも、この特殊な手間をかけ竜の力を宿した存在だからと考えると納得がいく。
即ち竜胤とは「人に転生する直前の、竜の胤(たね)」と呼ぶべき存在と推定される。
またつめたい竜を選べるように見えることから、桜竜以外に竜がいる可能性の示唆でもある。
我が血と共に、生きてくれ
仙峯寺の御子は桜雫(竜の涙と違いはないと予想)を得ることによって回生を与える力を持つことから、自分の血を分けた将来の子(=竜胤の御子)と共に生きる従者の任命、回生の授与は母候補である揺り籠の能力と推定される。
九郎も従者任命を行ったことから平田屋敷の時点で竜の涙雫を飲んでいるはずであり、少なくとも竜胤の血が流れる「揺り籠」であることは間違いない。
(九郎が自称の通り竜胤の御子であるかは少々怪しい)
不死の契りを、俺と結べ
弦一郎が望んだのは揺り籠との婚姻であり、出産つまり「不死の契り」により葦名の跡継ぎを不死身の竜胤の御子とすることで、無敵の葦名家を創りたかったのではと思われる。
なおこの母親候補は誰でも良い訳ではなく、一部の血筋の者だけが資格を持つように見える。
それが「変若の御子たち」である。
そこから考えると、九郎は少なくとも竜胤を持つ変若の御子ではあるだろう。
竜胤システムの構成
彼の女衆は、いにしえの淤加美の一族の末裔
変若の御子たちは宮から降りた天女の血筋ではあるが、彼女たちの竜胤製造をサポートするためだけに「蛇柿」という超自然的なアイテムが地上で作られているように見える。
蛇柿は落ち谷下流で水を飲み生物を食らう白蛇の胎内に作られる。
そしてその上流には宮から流れ着く「ぬしの色鯉」の死骸がある。
天から落ちた色鯉から流れる赤い成分が食物連鎖で蛇柿に繋がっていると仮定すると、ぬしの世話係からぬしの色鯉、ぬしの白蛇までが同じ目的で接続されるのである。
ぬしとは、土地神
つまり彼らは「ぬし」の所有物であり、
蛇柿、ひいては竜胤の御子の作成こそ「ぬし」の意思だと解釈できる。
魚類の生食からの感染、大型捕食者の生体濃縮、に加えて
赤目はおそらくカタツムリの寄生虫のように白蛇に食べられやすくなるよう目立つために赤目となる中間宿主なのだろうと想定される。
神々の意思ではあるが、寄生と濃縮のシステムはすべて自然のままの構造となっていることが伺える。
ぬしは常しえだが、死ぬと髭が抜ける
全体で一つのシステムのため、鯉も蛇も死ぬ前提だが交代が常に補充されるはずである。
世話係さえもそうなのかもしれない。
ぬしの白髭が白蛇の元となる可能性もある。
なお「ぬしの力」は赤い色素を持つ形なきエネルギーと思われるが、赤成り玉や寺に見られる小さな赤い線虫がその化身である可能性も否定できない。
竜胤の目的について
淤加美の血族たちは土地神のサポートのもと、竜胤をつくるために地上に降り、なぜか再び帰郷しようとするように見える。
淤加美の行動に地上侵略の意志は見えない。
これらの前提から例の掛軸を見直してみる。
この掛軸は天から淤加美が来襲した図ではなく、天から淤加美、地から葦名侍の挟み撃ちの図と見ると
竜の涙を欲するオカミ、あやかしを倒そうとする葦名衆、の構図にぴたりと嵌るのである。
つまり中央の雷雲こそがあやかし、「神鳴る竜」である。
揺り籠の命果てず、御子を宿さば、
西への帰郷は叶うだろう
オカミの目的は、天空の仙郷、寺の上人や御子が仏教用語である西方浄土から「西」と呼ぶ地点への「竜の帰郷」であると想像される。
つまり地上に逃げた竜を、胎内に捕らえ天へと持ち帰る捕獲ミッションなのである。
まるでUF○キャッチャーのようなその役割のため、揺り籠は蜥蜴の冬眠を促すような冷凍体温となるのだと考察する。
かつて葦名に降りた神鳴る竜はどうなったのか。
考察に沿うならば「いにしえ」のストーリーは以下のようであったと想像される。
葦名の地へ落ちた神鳴り竜を追った八尾比丘尼は
現地の武士たちに天から来た者であると告げ、協力ののち拝涙を果たし竜を封じた。
得た雫を飲んだ比丘尼は揺り籠となり、輿入れの準備も兼ね水生村に身を休める。
二つの蛇柿をも食した彼女は、やがて無事に子を宿す。
いずれ共に天へ帰らねばならない運命の竜胤の御子、不死身の雷竜の転生体。
彼女はその娘に、巴と名付ける。
そして輿入れの日、幼い巴や他に生まれた変若の御子たちと共に、天女は天へと帰っていった。
ただひとり、その後の「葦名の変若の御子たち」の祖となる赤子を残して。
青錆びの毒は、いにしえの戦で
人ならぬ、淤加美の女武者らを退けたという
その血筋に連なる者にもまた、有効だろう
これも改行と読点で分かり難くしてあるが、
対象は「人ならぬ」「女武者」ではなく
「人ならぬ~退けたという、その(竜の)血筋」「(それ)に連なる者」である。
おそらく比丘尼の子孫は飲んだ涙をとおして雷竜由来の竜胤の血を引いてしまったため、青錆びの毒が効いてしまうものとみられる。
ちなみに錆び丸の覚書は、同じ文章が途中で途切れているのである。
常しえに砕けることも、錆びることも無い
神なる竜の恩寵を受けるがゆえだ
神鳴り竜は青色や錆と因縁があるようである。
神鳴りも、しばらくならば抑えられよう
神鳴り(雷)竜攻略として、うな胆の効力を武士たちに伝えたのは比丘尼なのだろう。
破戒僧のジャンプ攻撃、長い滞空から鋭く打ち放つ動きは雷返しで習得した技なのかもしれない。
なお拝涙には不死斬りが必要だが、赤を抜ける不死の持ち主がいたか、黒を使ったかはまだ判然としない。
(あるいはそのために蟲を憑けた可能性もある?)
武者侍りほか、葦名各地に見られる信仰の封じ箱は「竜封じの輿入れ」を模しており、帰郷の解釈を補強するように思われる。
西へ…。神なる竜の故郷へと…
(変若の御子)
竜は貴く、水もまた貴い。具体的に竜胤や不死の知識はなくとも、その思いは葦名の民に古い信仰として残されているように思われる。
長くなってしまったので、残された子供である「水生のお凛」の運命については今後の考察にて。
参考:
関連記事:
【隻狼】新隻狼考察②_ぬしの竜胤

「川沿いにさかのぼった先、水源に近いお社にいらっしゃるぞ」
このセリフがずっと気になっていました。
なぜ「遡った」が、ひらがな表記なのか。
そして「実は『坂登った先』つまり川の逆方向を指す台詞では?」と気づいた途端、
・破戒の僧こそ仏敵の名に相応しいこと
・ミヤコビトのスカウトは宮の貴人の意志であろうこと
・「二階から入れる建物」は逆であること
いろいろな点で辻褄が合ってしまうことにも気付き、同時に隻狼の世界が急に広がった気がしました。
明らかに意図的に「ひらがなを仕込んで」あるならここだけではないはずで、
独特のどこか不自然ともいえる文章の端々、
「義父」「ぬし」「御子」など、複数の意味で読める単語の数々、
そこには日本語のダブルミーニングや思い込み・引っ掛けを駆使した、隠された要素がテクニカルに混ぜこまれている可能性があるのでは?
その観点で台詞や文章を見直すと、謎解きの材料として用意されたいくつかが見えてきた気がしました。
以下は隻狼のテキストとセリフを中心に「何かが隠されている」観点で読み直しを図り妄想で補う、純粋な意味での考察とはいえないかもしれない隻狼考察です。
こんな風に読んだ人もいたんだ程度で流し読みいただければ幸いです。
巴の『一族』
お宿りは吉兆ぞ
かぐわしく、輿入れ奉ろう
源の宮にいる「ぬしの世話係」と老婆A、老婆Bは家族であることはイベントから明らかであるが、
宮では逆に異質といえる普通の外観をした彼女ら(とその父)は水生村から輿入れしてきたのだろうと考えられる。
しかし仮に「偶然のお宿り石だけで輿入れしてきた」(そもそもそれが出来るか不明だが)とすると家族三人だけというのは不自然で、「源の香を家族で纏った」という方が流れとしては自然である。
しかしモブ以上のパワーを持たなそうな彼らに不死斬りと御子の血まで材料揃えられるのか…というと厳しそうだが、それを補える仮定がひとつある。
伝承知識とパワーとを兼ね備えたであろう、このお方が一家の「母」である場合である。
香気の石、葦名の底の村に祀られたり
身を投げねば、辿り着けようもなし
これで源の香気、揃うたり
淤加美の古文書によると過去に香リーチに辿り着いたオカミの末裔の人物がいることがわかる。
「身を投げる」については不明だが隻狼のように飛び降りなければ着けない立地の村とはそもそも考えにくく、
山麓の「村の一員になった(身を投じた)」と考えるべきところかもしれない。
破戒僧・八尾比丘尼がこの古文書の作者であり、かつて水生村に住み、やがて家族を持ち一家で輿入れした、と仮定すると
源の宮に異質な一家族だけが存在している結果に齟齬なく繋がる。
輿入れの岩戸を使う必要から彼女は神社の神主と結ばれ、そのため水生村の宗教模様は元々の神道のほか、比丘尼が持ち込んだ蛇、仏の信仰が加わり三つ巴になったのかもしれない。
そしてその婚姻は、仏の教徒からは確実に「破戒」と映る。それは彼女が破戒僧と呼ばれる理由に繋がる。
巴の一族は、かつて源の香気を集め、宮に至ったと言う
仮に「葦名一心の一族」とした場合、孫の葦名弦一郎を一族に含むのは不自然ではない。
同様に「かつて輿入れした巴の一族」とは、巴の「種族」「民族」以外に「家族」であったと読むこともできるはずで、
巴は、破戒僧こと八尾比丘尼を母とする、水生村生まれの娘であり
幼少期に父、母、姉妹の家族と共に水生村から五人で輿入れした可能性にも発展して考えることもできる。
オカミの血を引くとはいえ宮にいる姉妹が一般人老婆の姿であることから、巴の外観も通常の女性姿であったのだろう。
丈と巴
普通に考えれば丈と巴は仙郷から同時に降りてきた竜胤の御子と従者であるが、
良く読めばそうとは限らないと考えられるように思われる。
その遣い手は、
浮き舟を渡り、葦名に舞い降りた
名を、巴と言う
浮き舟テキストで名言されているのはなぜか巴だけである。
この枝に、かつて咲いていた花を眺め、
丈は仙郷に想いをはせたのだろう
丈については仙郷を想像していたというだけで、仙郷から来たという点は巧みに明言を避けているようにみえる。
丈が仙郷の名残として持ち帰り、
接いで咲かせた花である
こちらも仙郷から持ち帰ったとは書いていない。
仙郷の名残りとして咲いていた地上の桜を城に持ち帰って接いだとしても通じる。
予想としては水生村の桜である。(八尾比丘尼は源の香の材料は全て持っていたのだ。)
香炉の上で、丈様が刀で腕を斬っておられた
このあと巴が丈に説明していることから、丈が巴の腕を切っていたと読んでも矛盾はない。
傷が塞がる、つまり先代の竜胤の御子とは巴であったことが示されている。
つまり巴は幼少期に母である破戒僧、八尾比丘尼とともに輿入れし、源の宮で剣術修行ののちに再度地上に降りた「竜胤の御子」だったと考えられる。
その後の二度目の輿入れは、彼女にとって「帰郷」だったのである。
余談だがこの作者はいわゆるニセ神主となったと想像される。巴の実家を占拠していることのほか、京の水の匂いに反応したのは、源の香の匂いや宮の情報を二人に仕えることで知ったからだろう。(巴の二度目の輿入れには置いていかれた模様)
かつての竜胤の御子、丈が記したもののようだ
竜胤の御子と、丈が記したものである。
香花の手記の「巴の~」の部分は丈による記載で、
「あの白い~」は、かつて見た経験を伺わせるので過去に輿入れ経験のある巴の記載部分だろう。
しかし丈は城内に部屋を持つ葦名公認の「先代の御子」ではある。
竜胤の御子でないならば、何の御子であるのか。
葦名城の一等地に居を構えるという事実からは、先代の殿の御子、即ち葦名一心の子であったいう仮定が自然ではないだろうか。
巴は一心に出会ったのち、その若殿に仕えたのだろう。
(なお浮き舟渡りと伝承された移動手段は、浮き鮒、つまりぬしの色鯉の死骸に乗り込んで宮から地上へ降りたものと予想する。)
水生村に何が起こったか
水生村は複数の出来事が中心の出来事の上に層を成すように覆い被さっており、そのままでは考察が容易でない環境にある。
そのため1枚ずつヴェールを剥がしていくことを試みる。
己がもう狂っている
それを悟り、男は一人、森奥へ消えた
・水中の死体は?
水中の大量の死体を観察するとすべて足を開き、尻方向から強い力で水底に押し込まれている。
水中の出来事という観点からも、これは首無しが尻子玉を抜き続けたのだと想像するのが正しいように思われる。
死んでも生き返り同じ行動を繰り返す、謎の無限ループが発生したのである。
さすがにおかしいと感じ、首無しは村を脱出し森を彷徨っていたのだろうことがこのテキストから推測される。
・大量の卒塔婆は?
清宝寿院 妙醐日光大姉 也
おそらくすべてこの名が入っている。
「姉」を用いるのは女性の戒名または僧侶名であり、この村に無限に発生する新たな死体にこまめに卒塔婆を供えられる、常駐の女性僧侶は一人しか該当しない。
かつてこの村の宗教者であった、破戒僧の幻影の手によるものと推測しても良いように思える。
・ナメクジのような魚は?
隻狼に登場するナメクジのようなものは他に二種類、貴い餌、まこと貴い餌が形状が近い。
若さを吸うという理屈を超えた能力を持つ宮の住人は、何らかの手段を用いて御霊をナメクジに変容する手段を持っていて
白ナメクジも「餌」、源の宮で用いられる生物に変えられているのではないだろうか。
すなわち偽の神主である貴人の謀により、無限に死なない村人を利用したぬしの餌の無限養殖場とされていたのである。
籠被りの正助がいう「火を怖がる」「水を求める」姿は、単に乾燥を嫌うナメクジ化の途中段階を指すものであったのだろう。
おそらく水を飲んだからどうということではなく、初対面の時点から実はおかしいのである。
村の現状を維持するために余所者を排する、それも呪いによる強制行動の一端と考えられる。
・血染めの布は?
「陣左のおくるみ地蔵」を所持していた水生のお凛の服装は時間経過を感じさせるものではなく、地蔵の布地も同様と予想される。
つまり数年単位を経ると変色して桜色→赤色となる染め物なのだ。
すなわち時間経過の前、昔は綺麗な桜色だった数々の布旗で村は飾られたままでなのであり、源の宮を思わせる祭礼の日のような姿であったことが想像される。
霧の中
村の入口にあたる森の中は霧に包まれ、ゴーストのような姿の人々が見られる。
これはニセ神主である霧ごもりの貴人による「振る舞い酒の酒宴」に囚われた人々の魂とみられ、この酒宴の中でナメクジ化が進行するものと思われる。
たまに酔っ払いの声が聞こえるのは気のせいではないのである。
霧籠りは僧侶の吊るされた僧院のような建物内にいるが、倒すと霧が晴れる。
では霧は貴人の技かというと、そうではない。宮に辿り着けば分かるが、あの厄介な幻影の霧は、破戒僧の技である。
哀れな村を騒がせる僧も忍びも貴人も追い出し、幻影の霧でくるんだのは村に愛着を持つ破戒僧・八尾比丘尼であった、という推測も成り立つ。
幻の牢として貴人を捕らえ続ける村外れの庵は、八尾比丘尼が村に馴染む段階で棲み家にしていたかつての尼寺の姿の再現なのかもしれない。
月光の剣
残った問題、つまり水生村の問題の中心にあるのは「無限に復活する村人」である。
良く観察すると村人たちは山菜を採ったり畑を耕したり、建物を覗いていたり「ある日常の瞬間」を繰り返しているのがわかる。
隻狼において、死人が黄泉還る方法は回生のほかただひとつしかない。
黒の不死斬り、開門の呪いである。
かの一心でも「憐れな孫の最期の願い」に逆らえなかったのと同様、復活した村人は誰かの「願い」によって日常を繰り返さざるを得ない状況に陥っているのではないだろうか。
一心戦と同じような満月の存在が、その可能性を補強するようにも思われる。
開門の条件は弦一郎の挙動から予想するしかないが、
・竜胤で血刀すること
・持ち主が強い願いを持って死ぬこと
は少なくとも必要と思われる。
平和だった水生村で、開門が竜胤を傷付けるような事件はあり得ない…ようにみえるが、ひとつの可能性がある。
それは源の香の作成である。
仙郷へ帰る道は、どうやら叶わぬ
せめて竜胤を断ち、人に返して差し上げたい
オープニングムービーで一瞬見えるが、巴の知人であった一心は開門を持っていた。
そして上記テキストにあるとおり、巴の優先順位は再度の輿入れが最優先である。
人返りには赤の不死斬りが必要かもしれないが、香の作成に必要なのは御子の血であるため、開門でも源の香の作成は可能なはずである。
そして御子の血がクリアできるならあとは花と「お宿り石」であり、自然現象である石はどのような知恵と力を駆使しても待つしか手はない。
この手記を記載した時点では諦めつつあったが、もしその後にお宿り石が手に入ったとすると、巴はどのような行動を取るだろうか。
ここまでの考察からは、以下のような「事件」が浮かび上がってくる。
隻狼の不死断ちの十数年前、
一心の国盗りからは数年後。
水生村の祭礼の日、岩戸の社。
その日に源の宮へ帰郷の輿入れをする巴の元へ、一心や丈など知己が集まる。
諦めていたお宿り石は、手に入った。
赤の不死斬りは、手元にはない。
巴に近い誰かが、源の香の材料「竜胤の血」の採取のため
黒の不死斬り「開門」で巴の身体を傷つける。
突然、殺意を持った何者かが乱入し、開門を持っていた「誰か」を殺害する。
何事かと覗き込む村人たち。
竜胤の血で血刀すること、
自身が生命を落とすこと、
被害者は偶然にも開門の両条件を満たしたため、
無意識の最期の願いが成就する。
「平和な村人たちの生活は、
永遠に今のままであるように」
祈りは呪いとなり、村人たちは死ねずの身となった。
被害者はこのあたりで足跡が途絶え、今では墓のみが残る丈か、加害者は凶器を持った片腕を斬られたという「飛び猿」か、
誰がどの役割を果たしたか、が今後の考察のテーマのひとつとなる。
事件の現場と想定した場所に残されていたこの片腕の男の像は、
少なくともここで何らかの騒乱があったことを示すものと考える。
今回の破戒僧の立場の想像、およびこの「事件」の存在を仮定することは、
隻狼における他の多くの謎について驚くほど様々な考察、特に人の動きの理由付けにつながった。
梟が平田屋敷を襲った理由もそのひとつである。
今後の考察で、順を追ってまとめていきたい。
関連記事:

[映画/ドラマ編]
[Comic/Anime/Game編]
[小説/その他編]